武運長久を祈る

 壮麗な石造りの建物が美しい緑の庭園に囲まれてそびえ立つ、連合王国の象徴。

 歴史と威厳を体現する建築はアルベルニア王室の栄光を示す明らかな印。

 屋上には女王の在宅を示す王室旗。

 その威容は、見る者に特別な感慨を抱かせる。


 惜しむらくは、防衛排煙機構によって排出された煤で覆われた空が、景観の素晴らしさを奪っているということか。


「ルシル団長は、このパーティにはこれまでどれくらい招待されているのですか?」

「今回で七回目よ」

「流石です。それでは、他の招待客の方々とも面識はおありで?」

「ほとんどわからないわ。私、戦いの役に立たない人間を覚えるのは苦手だから」

「よかった、周りに誰もいなくて。やめましょう団長、団長の評判を貶めかねない発言は」

「これだけ歴々とした紳士淑女の皆様に囲まれてしまっては舞い上がろうというものだわ」

「まだ余り大勢はいらっしゃっていませんが。この後更に発言を過激にするおつもりで?」


 時計は午後の三時を回ったところでパーティの開始まではまだ一時間ほど。

 勿論既にそれなりの数の人間が会場である庭園に入ってきてはいるが、二人が隅の座席に陣取ったということもあり周囲に人はほとんどいない。

 輪から外れ独特な雰囲気を漂わせる、軍服を身に纏った二人の少女。

 客観的に見てかなり浮いている。

 しかし会場から浮いている姿というのは人目にも付きやすいらしく、遠巻きにかなりの視線を感じる。

 そして元から彼女を捜していた者にとっては、ただただ見つけやすいだけだったようだ。


「――相変わらず物々しい雰囲気だな、シルバ少佐。この華々しい庭園においても戦場と同様の心構えということか? まだ若いのに見上げたものだよ」

「ご無沙汰しております、スタングレン陸軍大臣閣下。こちらからご挨拶へうかがうべきところを、失礼いたしました。ご壮健のようで何よりです」

「それは私の台詞だな。貴官と貴騎士団には並一通りでない苦労をかけ心苦しいばかりだ」


 慣れた様子で応対するルシルの後ろで、アイラは敬礼の形を取ったまま直立不動で固まる。

 現れたのはエドワード・スタングレン陸軍大臣。陸軍行政を統括する陸軍省のトップ。

 陸軍航空隊に所属する一介の少尉としては、ただただ置物になるしかない。


「先のダンジネス暗夜戦では白鳩からも犠牲が出たと聞いた。しかしその献身により王国は今日を迎えている。改めて礼を言わせてほしい」

「……アルベルニアの藩屏として貢献できることは、我らの誇り。礼などご無用です」


 瞳を閉じて淡々と言葉を並べるルシル。

 その声色からは、感情というものは読み取れない。

 台本を読んでいるだけの下手な演劇を見ているかのようだ。


 スタングレン大臣は僅かにばつが悪そうに目を伏せて、二、三回の咳払い。


「……これはあくまでも個人的な提案だが――」


 視線を彼女へ戻し、口を開く。


「白亜の英雄がどれほどの騎士かは語るのも野暮というものだが、それでも戦場では、何が起こるかわからん。殺しても死なないかに思えた金獅子でも、天に召されることとなった」

「…………」

「貴官も、前線が長い。そろそろ後ろに下がることを考えてはどうだ? 銃後の備えとして都を守り、後進の育成に励むというのも重要なことだ」


 個人的な提案というには余りにも直接的で具体的な転属の勧め。

 後ろで置物になっていたアイラの心臓が大きく脈打つ。


 転属? 団長が? 白鳩を抜ける?


 受け入れ難い想像が忽ちに頭を巡る。

 思わず声が出そうになりながら彼女が寸前で留まれたのは、ルシルの凛とした声色の返答があったからだ。


「お言葉ですが、閣下。人には向き不向きというものがございます。私には温かく柔らかな椅子も、弁論を要する教壇も向いておりません。無論軍人ですので、命令とあらば従いますが……。まさかこの情況でお遊びに興じろと命じていただけるのであれば、それはとても有り難いことですね」


 断じているようでもあり婉曲的に言い回しているようでもあるがどちらにせよ否定の意思表示。

 そんな反応は半ば予想していたのか、大臣は大して動じる様子も見せずに言う。


「しかし白亜の英雄は今や民達の希望だ。この暗澹とした空を照らす導きの光なのだ。それがもしも墜ちるようなことがあれば、純粋な戦力の損失以上の痛手を王国は負うこととなる」


 確かにそれは大臣の言う通りであろうとアイラは思う。

 何故なら自分がそうであるからだ。

 ルシルを喪った後の世界など考えられないし、考えたくもない。

 きっとその喪失感は世界が終わったと錯覚するほどだろう。


 しかし、だからこそ。

 アイラは自分が命を賭してでも彼女を守ると決めているし、彼女の望みを叶える一助になる覚悟なのだ。

 矛として盾として主を支えると決めたのだ。


 大臣の言い分に一理があってもルシルの意向が別にあるなら、それが全て。

 故にいつまでも置物のままでいるわけにもいかない。

 アイラは敬礼の構えを崩さぬまま、大きく口を開く。


「閣下、白鳩騎士団副官アッシュフィールド少尉であります。畏れ多くも申し上げますが」


 言葉は驚くほどすんなりと紡がれる。


「ルシル・シルバ団長の存在で士気が保たれているのは、民だけではありません。前線とて同じです。団長は王国の最前線で戦う白鳩騎士団やドーバー防衛隊の、精神的支柱なのです。団長が抜けることは、我々がその屋台骨を失うことと他なりません。前線将校の職責として、軍務遂行に著しい懸念を及ぼすと具申せざるを得ません」


 そんなアイラの上申には、スタングレンは驚いたのか僅かに目を見張った。


「……アッシュフィールド少尉。つまり貴官は、少佐に抜けられるとネフィリムに対抗できなくなるから、引き抜くことはやめてくれと言っているわけだ」

「はい閣下。仰る通りであります」

「しかし如何に困難であろうとも、為せと命令されれば為すのが軍人の仕事のはずだが」

「はい閣下。しかしそれが承服しかねるような内容であれば、下される前に上官に翻意していただくのもまた、将校の仕事であります」

「……無論、兵へかかる負担は考慮し、最大限の配慮をするつもりであるが?」

「はい閣下。前線へのご配慮は常日頃からありがたく頂戴しておりますが、それで解決する問題ばかりなら、兵は死なずに済むはずであると愚考します」

「…………」

「重ねて申し上げれば、個人的にもルシル団長とは離れがたく思っております故、どうしても団長を後方へ送るということであれば、是非とも小官もご一緒したく思っておりますっ」

「………………」


 そんな彼女の軍人としては正気を疑われかねないような発言に難しい顔で目を閉じるスタングレン。

 そして部下の暴走とも言えるような発言を、ルシルは黙って放置していた。

 ただ黙って陸軍大臣へと盾突く部下を眺めている。

 その瞳に宿った色は、どこか楽しげですらあった。


 やがてスタングレンは口を閉ざしたルシルへ向き直り、苦笑気味に口角を吊り上げた。


「……新しい副官とも、仲良くやれているようだな。大変結構なことだ。であるならば、これ以上言葉を重ねるのも野暮というものか……」

「副官が、とんだご無礼を」

「本気でそう思うならもっと早くに止めてくれないか。騎士と喧嘩などさせないでくれよ」


 肩を竦めて笑う大臣。

 軽く咳払いを一つして、片手を上げる。


「せっかくの場に仕事の話を持ち込んで失礼した。私はそろそろ退散しよう。……国の未来を憂う一人として、貴官らの武運長久を祈っているよ」


 そして去った陸軍大臣の背中が他の招待客に紛れていくのを待って、ルシルが口を開く。


「さぞかし閣下からの覚えめでたくなったことでしょうね、少尉。出世したいのなら、売るべきは喧嘩ではなく媚だということを知らないのかしら?」

「出世と言われましても、団長の下で働けること以上の待遇は無いでしょう。あなたが白鳩の団長である限り、私の職場は決まっています」

「その心意気は尊重するけど。例え私が後方へ転属になっても、別にあなたは連れていかないわよ?」

「――えっ……そんな……」

「……本気で絶望したみたいな顔しないでくれる?」


 先程までの堂々とした態度はどこへやら。

 良くも悪くもおかしな少女だとルシルは思った。


 ともあれやはり、盾として矛として挺身するという啖呵は、強がりではなかったらしい。

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