バッキンガム事変

「いや、お噂通りお若く可憐だ。流石はアルベルニアの守護天使。初め聞いた時は天使という呼び名は大袈裟だろうと思いましたが、いやはや驚いた。全く誇張でないと今なら思える」

「ロンドンに来るとそのような甘い言葉に曝されてしまうので困ったものです。驕って墜ちた結果、堕天使として祖国へ牙を剥かぬよう気をつけなければなりませんから」

「はっは、少佐のような美しい堕天使に殺されるのなら本望ですがな――おっと失礼、これ以上はワイフの方に殺されそうなので私はそろそろ。お目にかかれ光栄でした、シルバ少佐」

「こちらこそ。陛下の民一人ひとりの思いによって前線は支えられているのだということに、改めて思い至ったところです」


 王国国歌の演奏と共に始まったガーデンパーティ。

 スタングレン陸軍大臣がルシルの席へ足を運んだのを皮切りに彼女の下へは招待客がしきりに訪れるようになっていた。

 穏やかに紅茶と料理を味わう暇もない。


 しかし流石にルシルは慣れた様子で、そして意外にも当たり障りのない応対を続けている。

 まあ話しかけてくるのは、彼女や白鳩騎士団に好意的な感情を持った者達ばかりだ。

 所謂ファンサービスも軍務の内と考えているのかもしれない。


 彼女へ言い寄る招待客の列が僅かに途絶えたところで、アイラはそっと話しかけた。


「お疲れ様です団長。アルベルニアの守護天使は大人気ですね。私まで誇らしいです」

「アイラ少尉、アルベルニアの守護天使って、何? 何なのそれ? 私の預かり知らないところでどんどん呼び名が増えていくのだけれど……」

「それだけ皆から慕われ頼られているということです。ルシル団長以外にも、鉄斬血鬼に旋律無音、彗星、福音……。白鳩の団員は大人気ですよ」

「劇団のスターにでもなった気分ね」


 苦々しげな顔でそう言うルシル。

 そんな彼女にアイラは微笑む。


「けれど、些か意外です。ここはロンドンですし、もう少し魔女に対して偏見的な感情をお持ちの方も来られるかと思いましたが」


 如何にルシルや白鳩騎士団が皆から讃えられる存在だからとはいえ、中にはそれを面白く思わない者達だって当然いる。

 特に、魔女という存在に対して昔ながらの価値観を抱いたままの人間にそれは顕著だ。


 今でこそ少数派となった派閥ではあるが、多種多様の人間が集まるここロンドンには未だ一定数存在する。


「そういった連中は勿論このパーティにも参加しているでしょうけれど、流石に場を弁えているのよ。険悪な雰囲気になることは目に見えているのだから」


 肩を竦めてアイラに語るルシル。

 その口調からは、彼女もまたこれまで魔女を快く思わない者達と相対し、好ましくない経験をしてきたのであろうということが読み取れる。

 彼女のように目立つ存在は、それ故に面倒事も多いはずだ。


「それにね、彼らにとってはわざわざ自らの意思を主張するまでもないでしょう。他でもないアルベルニア王室自体が元々彼ら寄りの考えを――」


 そんなやり取りの中で、不意に周囲の雰囲気が変わったのをアイラは感じた。


 華やかな喧騒の中で突如として現れた静謐。


 アルベルニア連合王国国家元首、ヘレナ・オーガスタ・ヴァクナ女王陛下。


 その存在が、身に纏う威光が、自然とその場の空気を張り詰めさせる。


「――お久しぶりですね、シルバ少佐。招待を受けてくれて感謝します。……少し、お痩せになりましたか?」


 思いがけずそんな声をかけられて、瞬間ルシルは硬直する。

 アイラとしても、同じ思いだ。

 心臓と共に時が止まったような錯覚を覚える。


「……本日はお招きいただきありがとうございます、女王陛下」


 陛下から差し出された握手に応じつつ、片足を引いて膝を曲げて挨拶する。

 その流れるような所作は完璧な作法に則っていたが、表情は今日初めて強張っていた。

 それは騎士団団長としての彼女が見せる、己の内面を包み隠そうとする際の仮面。

 ルシルの傍らで息を呑むアイラは、口を一文字に引き結んで見守ることしかできない。


「ネフィリムとの戦いは日に日に激しさを増していると聞きます。……何かお困り事などはありませんか?」

「宸襟を悩ませる次第となり力不足に恥じ入るばかりでございます。女王陛下におかれましては、何卒御心を乱されませぬよう、謹んでお願い申し上げます」


 連合王国の長たる迫力を漂わせながら、女王陛下の物腰は柔らかであった。

 柔和な笑顔に、慈悲深い眼差し。

 その姿はどことなく、久し振りに再会する我が子の成長を喜びつつもその身を案じる母のようであった。

 故により鮮明に、ルシルの硬直した態度が際立つ。

 これまで他の招待客に対して向けていた一種の隙のようなものは一切無く、ただ実直に必要十分な言葉のみを返す機械にでもなったようだ。

 緊張、という単純な単語では表すことのできない、複雑に張り詰めた機微をアイラは感じ取っていた。


「……くれぐれもお身体には気を付け励んでください。引き続きの献身を期待しています」

「イエス・ユア・マジェスティ」


 言葉少ななルシルの応答。

 女王陛下は僅かに眉尻を下げ、困ったような笑顔を浮かべた。

 そして傍らのアイラへと目を向ける。


「アイラ・アッシュフィールド少尉。先日のご活躍、見事でした。あなたのお陰で防衛隊の被害は最小限に抑えられたと聞いています。あなたの忠誠に、王室を代表して感謝します」

「は、はっ! 光栄の極みであります!」


 まさか自分にも声がかかるとは思っておらず、飛び上がりそうになるのを必死に堪える。


「是非そのお力で、シルバ少佐をお支えして下さいね」

「全身全霊を以て尽くす所存であります!」

「そうだわ。あなたも白鳩の一員となったのですから、何かシルバ少佐の副官に相応しい称号が必要ですね。……あなたの得意な魔法に因んで、冰華繚乱というのはいかがでしょうか」

「身に余る栄誉を賜り言葉もありません、陛下。謹んで拝命いたします」


 恭しくお辞儀をする彼女に、女王陛下は穏やかな笑顔を浮かべたまま、アイラにのみ届くよう抑えた声量で囁いた。


「――それから、あなたにはこちらをお渡ししておきたいのです」


 そう言って陛下から手渡される、小さな四角い物体。

 手の平に収まるほどのそれを、両手で包み隠すようにして授けられたそれは――


「――キャアアアアアアアアアッ!!」


 突撃庭に響いた悲鳴。

 穏やかだったパーティの空気が一変する。


 ただ事ではない非常事態。

 瞬間的に脳の回路が切り替わる。


 悲鳴がした方向へ身体を向けつつ、アイラは女王陛下とルシルを庇うように前へ出る。


 直後、眼前へ迫る鋭い刃。真っ直ぐに放たれた短剣。


 顔を横に振って躱しつつ、後ろの二人へ届かないよう右手でその柄を掴み止める。


 しかし、そこで気付く。

 その短剣は、ただ単純に投擲されたものではない。


 その証拠に、アイラに掴み取られた今なお、勢いを失わず飛び続けようとしている。


「――っ!?」


 このままでは、右手による拘束を逃れ、再び対象へ向け飛んでいってしまうだろう。


 理屈は後に回してその事実だけ理解した彼女は、咄嗟に手元のティーカップを引っ掴んで中身を短剣へと被せ、同時に手元で魔法を発動。


 結果、短剣は紅茶の氷塊に覆われその場へ落下した。


「――へーえ。ただの小娘かと思いきや、中々良い動きをするもんだ。私の刀剣舞闘リッパー・スプラッターをそんな方法で防いだのは、あんたが初めてだよ」

「……ジャクリーン・ザ・リッパー……」


 不気味に愉快そうな笑い声を上げて現れた女性に、アイラは苦々しげな目を向ける。


 その登場は、女王の庭を恐怖へと陥れた。

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