途上

「キングスクロスまで途中下車なしで一直線。大体二時間といったところでしょうか」


 ドーバー駅にて停車中の軍用列車、その一等車。

 慣れた様子で一つの個室へ入って座ったルシルの向かいへ腰を下ろしたアイラは些か落ち着かなさそうな様子だった。


 彼女がドーバーへ着任する際に使用していた貨物用とは違い人員輸送用に誂えられた列車。

 しかも一等車は佐官以上の将校が利用することを前提としており、派手な装飾こそないものの雰囲気のあるしっかりとした造り。萎縮もしようというものだ。

 もっとも、これから更に格式高い場へ足を踏み入れることを思えば、この程度で動揺などしていられないのだが。


「飛んでいけばもっと早いのに、わざわざ機関車に揺られるというのも変な話ね」

「団長……。こんな時くらいゆっくりしても、罰は当たらないと思います」

「私とてたまには軍務から離れて精神を落ち着かせるのも吝かではないけれど……。そんなこと言っている割にアイラ少尉、あなた、顔が引きつっているわよ。……悪いわね、上官と個室で二時間も二人っきりだなんて面倒な思いをさせて」


 そんな意地悪な台詞を真顔で投げてくるルシル。

 アイラは引きつり気味の口角を頑張って持ち上げる。


「団長と二人っきりだなんてご褒美ですから、面倒だなんて思いません。私が憂鬱なのは、ひとえにこの後のガーデンパーティですよ。既に腹は括りましたが……」

「……それもまたおかしな話よね。女王陛下のいらっしゃるパーティに参加できるのよ? 確かに緊張はするかもしれないけれど、喜ばしいことではなくて?」

「団長はそういう場に慣れていらっしゃるからですよ。またとない機会だというのはその通りですが、素直に喜べるかというのは別の問題です。第一、仕事です」


 副官としてルシルの邪魔にならないよう努めるという仕事だけで、頭はもう一杯である。

 余裕などあろうはずもない。


「まったく……。一人でネフィリムと戦う度胸の持ち主とは思えないわね。おどおどしているのはみっともないわよ。あなたは白鳩騎士団団長の副官なのだから」

「その肩書も緊張の要因の一つなのですが……。けれど、そうですね。私ももう少し団長を見習って、泰然自若とした振る舞いができるよう心掛けてみます」


 そんなアイラの返答に、ルシルの端麗な眉がピクリと動く。


「大変結構な心掛けだけれど……、その言い方だと、私がまるで緊張を取り繕っているみたいに聞こえるわね」


 直接的ではないにしても、不躾な部下の言動を嗜めるようなニュアンスで返すルシル。

 しかしアイラはそれに対して、穏やかな表情でこう言った。


「だって普段より口数多く私とお話ししてくださいますし……。ほんの少しだけ早口ですよ。少なくとも、普段通りの精神状態では無いということではないですか?」

「…………」


 定刻になったのか、まるでアイラの台詞を待っていたようにけたたましい汽笛が鳴り、二人を乗せた機関車がゆっくりと動き始めた。

 窓の外の景色が後ろへ流れて行き、客室が時たま小刻みに揺れる。


 そんな中で車窓の先へ視線を逸らしながら、ルシルは小さく息を吐いた。


「……あなたの観察眼には驚かされるわ。これでも一応、騎士団を預かる将校として相応しい振る舞いを心掛けているつもりだったのだけど」

「それは勿論、おっしゃる通りです。団長がご立派なお方であることには異論も反論も余地が無い、歴とした事実であります。ただ私はその完璧な外面だけを見て満足するのではなくっ、内に秘められた内面も含めて尊敬しているのです! ですから、多少人よりも穿った見方をしているかもしれません」


 白鳩騎士団団長、ルシル・シルバ少佐。


 数々の武勲と輝かしい経歴を打ち立て、その存在には非の打ちようが無い。

 しかしそんな完璧な彼女を、ただただ完璧であると評するのは思考の放棄だ。


 赤ん坊から子供を経て大人になるという成長の過程を踏む生物である以上、生まれながらに完璧な人間など有り得ない。

 完璧に見える人間も、努力と成長の結果である。

 つまり元々は完璧など程遠い普通の人間である。


 ルシルを憧れの星と公言して憚らないアイラは、彼女のそのまるで完璧に見える外面も、意外と人間味のある内面も、どちらも共に敬愛している。

 今は覆い隠されてしまっている、完璧とは程遠い普通の人間のような部分も知っていきたいと、アイラは常日頃から思っていた。


「少尉、あなた……。大分気持ち悪いわよ? というか、着任してまだ一週間も経っていないでしょう。どれだけ私のことを見ているのよ」

「常日頃から団長の振る舞いを拝見し、連合王国軍人かくあるべしという姿を学ばさせていただいております!」


 そんなアイラの回答に頭痛でもしたのか目を閉じて眉間をつまむルシル。

 小さな吐息程度ではなく、しっかりと大きく溜息をついた。


「はあ……。これまた大変結構な心掛けね、アイラ少尉」

「ありがとうございます」

「……けれど、今の私の精神状態は、緊張とはまた少し違ったものだと思うわよ。普段通りでないという点については少尉の言う通りだけれど……。言葉一つで表すことができるほど、単純ではないわ」

「そういうものですか。団長ほどの愛国者であれば、女王陛下のパーティなどそれこそ喜ばしいことだと受け入れられるのかとも思いましたが」

「悪いけれど、これ以上私の感情について教えてあげる気は無いわよ。あなたに知られるのも癪だしね。……第一、あなたばかり私のことを根掘り葉掘りするのはフェアではないわ」

「興味がおありでしたらっ、昔話をいくつかご紹介するのも吝かではありませんが?」


 いつもと変わらぬ笑顔で小首を傾げるアイラに、ルシルは小さく笑って肩を竦める。


「どうかしらね。少なくとも、人事局から送られてきたあなたの経歴書はほとんど何も教えてくれなかったけれど」


 アイラの着任に先立って送付されてきた経歴書。

 そこに記されていたのは、騎士として当たり障りのない経歴。


 しかし初日の戦闘で彼女が垣間見せた能力は、その当たり障りのない道のりではとても説明ができない。

 卓越した魔鎧騎操縦技術、命懸けの戦場に対する慣れ、研ぎ澄まされた魔法の冴え。

 天性の才能を加味しても、通常の騎士教育でこれほどの人材が生まれるのなら苦労はしない。

 精鋭集団である白鳩騎士団で即戦力として活躍できるというのは、はっきりと異常だ。

 両の手では足りないような死線をくぐり抜けたその先にある領域。


 しかしそれを示すような経歴は、書類上は見当たらなかった。

 まるで大きな力で意図的に塗り潰され何の変哲も無くなった情報だけが、残されたかのように。

 自然と、アイラを見るルシルの眼差しが相手を探る時のものへと変わる。


「少尉。あなたは白鳩へ来るまでは、本当は何をしていたのかしら?」


 意図的に、相手を試すような口調でルシルは問う。


「申し訳ありませんが軍規がありますので、公式の書類以上のお話しは、小官の口からはできかねますっ。それに、女は秘め事でもって自分を形作るものでありますから」


 しかし相変わらず、いつもと変わらぬ笑顔のアイラ。

 あるいは何の隠し事も無いのではと思わされるような、何食わぬ様子。

 そんな調子で、彼女は続けた。


「しかし唯一自信を持ってはっきりとお伝えできることは、私の主はルシル団長であるということですっ。あなたの盾となり矛となるのが、私の生きがいなのです!」

「……それは知っているわ。前に聞いたしね」


 それだけ呟いて、ルシルは他に何も問わなかった。


 確かに彼女の素性には不透明なところがあるが、同時にはっきりしていることもある。

 それは彼女が、騎士団へ害をなすような存在ではないということだ。

 書類等に書かれておらずとも、共に飛べば理解できることもある。


 それに、秘め事でもって自らを形作っているのは、何も彼女だけではない。


「では今日は貴族やお偉方との会話から私を守る盾として働いてもらいましょう。昨日も言ったように、あなたの仕事はパーティで私に降りかかる面倒事を全て振り払う事なのだから」

「お任せください、ルシル団長っ。団長との会話のおかげで大分気も紛れました。お望みとあらば、団長の魅力を舌鋒鋭くお伝えする矛としても働きましょう!」

「……少尉からは今日一日、交戦許可を取り上げておく必要があるようね」


 他愛もない会話を乗せて、列車は走る。

 蒸気で車体を覆い隠し、目的地へ向けて一直線に。

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