二章【黒の黎明】

アフタヌーン・ティータイム

 アルベルニア連合王国ウィットフィールド、白鳩騎士団駐屯地。

 そのとある穏やかな日の昼下がり。

 基幹メンバーで集まってティータイムと洒落込む中で、ルシルは言った。


「そういえばアイラ少尉。明日バッキンガムで行われる陛下主催のガーデンパーティ、準備しておいてね」

「――はい?」


 人類最後の砦、アルベルニア。

 その最前線の防衛を担当する白鳩騎士団。


 当然その責務故に過酷な現場ではあるものの、四六時中朝から晩まで緊迫しているのかというとそうではない。


 ドーバー方面はネフィリムの襲撃頻度が最も高い激戦区とはいえ、流石の奴らも連日連夜ひっきりなしにやってくるというわけではないのだ。

 平均して、一週間に一度か二度。

 先日のように一日で三度も襲撃があるという方がレアケースだった。


 そしてネフィリムの襲撃が無い間は、白鳩には努めて穏やかな日々を過ごそうという意識がある。

 今日のようなアフタヌーンティーもその一環だ。


 ルシル曰く、ティータイムは人が人であるために欠かせない時間なのである。義務のようなものだ。


 そしてアイラにとって、今日が白鳩の仲間と過ごす初めての余暇。

 着任して数日は医務室暮らしを余儀なくされてしまったおかげで、せっかく憧れの騎士団へ着任したというのに寂しい思いを募らせてきた。


 そんな待ちに待ったお茶会で、敬愛するルシルから脈絡無く理解不能な言葉を投げかけられたアイラは、眉を顰めて首を傾げる。


「準備ですか……? 申し訳ございません団長、わかりません。一体何の準備でしょう?」


 カップをゆっくりソーサーへ下ろして、確認する。

 アイラには全く心当たりのない話だったので、そもそも前提からしてわからない。

 一聴した限りにおいては自分に関係があるとも思えない。

 だからこそ、続いてルシルから告げられた答えは彼女にとって驚くべきものだった。


「出席の準備以外に何かある? 女王陛下からの招待を断るわけにはいかないでしょう」


 何を言っているんだとでも言いたげな声色と併せて怪訝な眼差しを向けてくるルシル。

 しかしアイラにしてみれば、今その態度を取りたいのはこっちだという話だった。


「え……? えっ? き、聞いてません! いつの間にそんな話になってたんですか!?」

「いつの間にって……。知らなかったかしら。白鳩の騎士団長というのは、結構こういう催し物にお呼ばれするのよ。ある種、国威発揚のプロパガンダ的に使われるのよね。軍務を理由にお断りすることも多いけれど、今回は流石にね……」

「そ、それはわかります。団長があちこち引っ張りだこになることは。わからないのは、それでどうして私まで女王陛下のガーデンパーティへ出席することになるのかということです」


 ルシルの手元には招待状が届いているのだろうが、当然アイラにはそんなもの来ていない。来るわけがない。


 女王陛下が主催するガーデンパーティは年に四回ほど開かれているが、そこへ呼ばれるのは王国への貢献極めて大なりと認められた人物のみだ。

 一介の騎士に過ぎないアイラが混ざるには高貴過ぎる場なのである。


 故にアイラはわからない。

 一体何がどう間違って、自分がルシルと共にパーティへ出席するという話になっているのか。


 今ひとつ噛み合わせの悪い二人の会話。

 恐らく何かしら前提自体に認識の齟齬がある。


「――それは当然、あなたが私の副官だからだけど」

「……はぇ?」


 ルシルが告げたその言葉に、アイラの口から間抜けな声が漏れる。


「招待客は同伴者を一人まで連れていけるのよ。貴族なんかはパートナーを同伴するのが普通だけど私は独り身だし……。そうなると騎士団長の同伴は勿論、その副官になるでしょう」

「……? えぇ? んん? ちょ、ちょっと待ってください。――そもそも私って、団長の副官だったんですか?」


 となるとパーティ出席よりそちらの方が遥かに驚きだ。

 そんなに大切な事を当の自分は全く認識していなかったのだから。

 混乱する彼女を見てルシルは隣に座るルートへ顔を向ける。


「……言ってなかったの?」

「団長こそ……。こういう大事なことは、しっかりご自分でお伝えください……」

「……私そういうの苦手だから」

「だからといってなんでも副長へ丸投げでは困ります」


 そんな二人のやり取りを見て、アイラはどうやらこれが冗談などではないらしいということをどうにか理解する。

 そして冗談でない以上、これは極めて深刻な話だ。


 彼女は思わず震えそうになる口で、なんとか言葉を紡ぐ。


「お、驚きです。まさか、着任したばかりの私が、そんな大役を……」


 騎士団における副官の役割とは、平時では団長に課せられる事務作業をサポートしたり、戦場では団長とペアを組んで援護したりといった補佐役だ。

 そしてそれが白鳩騎士団ともなれば副官に対して求められる仕事も相応に多く、責任重大な役目であろう。

 何故自分などがその役をと、アイラは素直に疑問に思った。


「……あなたには悪いけれど、そうなったのはほとんど消去法による必然よ。元々副官をしてくれていた団員が離脱して、その穴を埋めようにも、既に騎士団の副団長であるルートに副官を兼任させるわけにもいかないし、ロザリ中尉は無口過ぎて向かないし――」

「私ら傍付きにも中々荷が重いっすからねぇ。王国最強騎士の僚機なんて」

「――というわけで、白羽の矢を射る対象があなたしかいなかったというわけよ。了承しなさい、アイラ少尉」


 団長の言葉に同調するように、ロザリが無言でこくりこくりと頷いている。


 どくんと鼓動が高鳴りじんわりとした熱が広がっていく。

 理由など、この際些細な問題だ。

 どの道、果たして自分などが本当にその職責を全うできるだろうかと不安になることには変わりない。


 しかしだからといって。

 自信が持てないからと、不安だからという理由で。この話を辞退するという選択肢など、彼女には存在しない。

 真っ直ぐな眼差しでルシルへ向き直り、宣言する。


「嫌も応もありません、ルシル団長。理由はどうあれ小官を選んで頂いた以上、その信任に恥じないよう微力を尽くすところいたします」

「ええ、よろしく。――というわけで副官としてのあなたの最初の仕事は明日のパーティで私に降りかかる面倒事を全て振り払うことだから、お願いね」

「…………。……はっ! 承知いたしましたっ!」


 自分の預かり知らないところで勝手に団長の副官になっていたという驚きが強すぎて頭から抜け落ちてしまっていたが、話題は元々明日のパーティ。

 それを思い出して、アイラは早速怖気づく。

 女王陛下主催のパーティともなれば、恐らく最高レベルの礼節が求められることだろう。

 そんな場に立つ自信など無い。


 せめて元気だけは奮い立たせようと勢いよく承知してみたものの不安は全く拭えなかった。

 それどころか、緊張は刻々と増していく。

 パーティの場で副官である自分が下手をすれば、ルシルにまで恥をかかせる結果となろう。

 それだけは、何としても回避せねばならなかった。

 ……考えれば考えるほどに気が重くなる。

 それに、いくつか確認しておかなければいけない事項がある。

 緊張も相まりアイラの口数は増えていく。

 あわよくばパーティ参加自体が見送られないかと打算的な思いを抱きながら。


「……しかしルシル団長、いくつか質問をお許しいただいても?」

「許可します」

「恥ずかしながら私は戦いしか知らない無骨者ですので、ガーデンパーティのマナーなどわかりません……。私は会場でどのように振る舞えば良いのでしょうか」

「紅茶を飲んでいればいいわ。だってみんな紅茶を飲むために集まっているのだもの。もし誰かに話しかけられたら、魔鎧騎の中でどうやって紅茶を飲むのか話してあげなさい。ガーデンパーティなんてわざわざ立ち歩いてでも紅茶を飲みたい紅茶好きの集まりなのだから、紅茶の話をしていれば間違いないのよ」

「……私は団長と違って魔鎧騎の中で紅茶を飲んだことなどありませんが。わかりました。代わりに白鳩騎士団団長の紅茶の好みでも教えて差し上げれば、ご満足いただけそうですね」


 マナーにも会話にも自信がないアイラだったが、ルシルについて話すことだけなら無心でできる。

 彼女の個人情報なら参加者の興味も惹けるだろうし、いざとなればそれに頼ろうとアイラは思った。

 話の種を増やしておく為にも、この後徹底的な情報収集をしなければ……。


「ただ、ルシル団長。私、パーティに着ていけるようなドレスなど持ちあわせておりません。団長は当日の服装はどうなされるのですか?」

「軍人なのだから軍服を着ていればいいのよ。白鳩の団員章と副官用の飾緒を提げていれば、少なくとも侮られることはないでしょう」

「そういうものですか……。ルシル団長は勲章が多くてご準備も大変そうですね」

「勲章なんて邪魔なだけの飾りだとみんな理解しているから、紛失していないかをこういう機会にチェックしたがるのよね。面倒な話だわ」

「……アイラ少尉。わかっていますか? 団長のこういう言動を人前でさせない為に、あなたがついていくのですよ」

「えっ、今のジョークじゃないんですか?」

「……ジョークだったら良いというものでもありません」

「良いでしょう、アルベルニアなのだから」


 ルシルの言葉に目を瞑って小さく吐息を溢すルート。無言のまま、首を傾げているロザリ。

 どうやらこれまでもルシルには苦労させられてきたらしい。

 ルシルの副官という立場は、自分が想像している以上に大変な役回りなのかもしれないなとアイラは思った。


 そしてだからこそ、その最初の仕事が今回のような不安要素だらけの任務だというのは、許されることなら回避したいと考えてしまう。


「……そもそもですが、騎士が二人も抜けてしまって、軍務的に問題無いのでしょうか。ただでさえ白鳩は少数編制です。パーティ中に襲撃があった場合……」


 駐屯地を離れてパーティに出席する上で、最もネックになるであろうポイント。

 即ち、団長が不在の間、軍務はどうするのかという問題。

 しかしそれについても、ルシルの回答には淀みがなかった。


「その点については問題無い、とまでは言わないものの、予め対応計画は策定済みよ。端的に言うとミンスターの紺碧騎士団から応援を受けることになるわ」

「元々団長は女王陛下以外にも国防省や司令部からもお呼ばれしたりとお忙しい人ですから、こういうことはよくあるんですよ。実際、団長不在の中でネフィリムの襲撃があったことも何度かありますし、こう言ってはなんですが慣れています。そもそもどんな事態の中でも求められる役割を全うするのが軍人ですから、準備は普段からしています」

「……ダンジネスからドーバーまでの防衛排煙も復旧したようだし、まあ問題無いでしょう。第一、魔鎧騎を破損して出撃できないあなたが居ようが居まいが戦力は変わらないでしょう。だったらせめて私の事務負担を減らしてちょうだい」

「う、うぐ……。納得いたしました……」

「まあ、つまらない留守番は私達に任せて、お二人ともロンドンを楽しんでくださいよ!」


 先日の戦闘で右腕部の欠損や各部の故障など本格的に壊れてしまったブラックロードは、現在琴音の手によりオーバーホール中である。

 ルシルは自身では魔鎧騎へ乗らず生身で戦闘しておきながら部下に同じことを許すつもりは無いらしく、現在アイラは着任早々にも関わらず戦力外通告を受けた身であった。

 であるので、ネフィリムとの戦闘以外に騎士団とルシルの為に何かできることがあるというのなら、それは率先してやっていくべきだろう。

 パーティへの参加を見送らせようなどと打算的なことは考えず、与えられた仕事に全力で取り込もう。

 観念して考えを改めたアイラは、力強く頷いて言う。


「ロンドンだろうと何処だろうと、団長のことは私がお守り致しますので、ご安心下さい」


 どこか楽しげなロザリが笑顔でぱちぱちと拍手する。

 しかしルシルはアイラへ怪訝な眼差しを向けた。


「……守ると言われてもね。留守番を任せる団員達には悪いけれど、ここより遥かに安全でしょう。なんといってもネフィリムは来ないのだから」


 確かに、連合王国の首都であり海岸からも離れネフィリムの襲撃に直接さらされていないロンドンはこの駐屯地などより余程安全かもしれない。

 しかし、魔女にとっては幾分ばかり事情が異なる。


「近頃は必ずしもそうとは言えませんよ。……ご存知ありませんか? ロンドンの切り裂き魔、ジャクリーン・ザ・リッパーの噂」

「――ジャクリーン・ザ・リッパー?」


 眉を顰めて尋ねるルシルに、アイラは頷く。

 なるほど確かに、ロンドンから離れていれば知らなくとも無理はない。


 それは連合王国の首都に巣食う、とある凶悪な殺人鬼。

 魔女ばかりを狙った犯行を繰り返す、正体不明の怪人だった。


 もっとも、首都を訪れたたった一日を狙いすましたかのように遭遇することはまずないだろうが、最悪を想定するのが軍人である。

 何より、ジャクリーン・ザ・リッパーという暗部は氷山の一角。

 今のロンドンを訪れるのであれば、ある程度の心構えが必要だ。


 防衛排煙によって生じた煤が暗く覆う都。

 かつての華々しさは、今や遠い理想である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る