一章【アルベルニアの白鳩】

晴れやかな空の下で

 アルベルニア連合王国はもともと晴れ間の少ないお国柄。

 その中でも特に天候が不安定という印象を持たれがちな、ドーバー海峡周辺。

 気候的要因は元より、近年は沿岸部へ構築された対ネフィリム防衛排煙機構により排出される煤の影響もあって太陽の姿を拝めることなど年間に片手で数えるほどしかないという話だ。


 しかしそんなドーバーにおいて、本日は幸いにも雲間からご機嫌な太陽がわずかばかり覗いていた。

 先日のダンジネス暗夜戦による損害は深刻でありフォークストーンより南の防衛排煙は停止中という話だったので、それも要因の一つかもしれない。

 だとすればネフィリムによる悪夢のような上陸も悪いことばかりではなかったのかもなと、暢気なことを少女は思う。

 ともあれやむなし。今回の待ちに待った転属も、ダンジネス暗夜戦の結果を受けて決定されたことなのだから。


「太陽の光なんて久方振りに感じましたけど、やはりいいものですね。欲を言えば、雲ばかりでなく青空も拝んでおきたいところでしたが」


 車窓を開けて清々しい風を楽しみながら、晴れ晴れとした声。

 その主は、軍服を着た華奢な少女。


 ロンドン発、ドーバーまでの軍用列車。

 彼女が乗っているのは海岸線に沿って張り巡らされている車砲主線・複線を走る列車砲とは違い、物資等を輸送することが目的の貨物列車だ。兵員輸送用ですらないその列車に一般人の乗客なんてものはおらず、乗り合わせているのは軍の関係者が少数だけ。

 貨物輸送が主たる目的の列車ということもあり、人影は少なく、どことなく暗い雰囲気。

 そんな列車において、少女という存在はとても不似合いなものに見えた。


 窓から身を乗り出しながら時折見える風景に目を輝かせていた彼女であったが、風向きが変わったのか機関車の排煙が飛び込んできたらしく、慌てて窓を閉める。

 そんな落ち着きの無い様子を遠くから窺っていた兵士が一人、彼女に向けておもむろに口を開いた。


「騎士殿でも太陽は珍しいものですか。見上げるしかない我々とは違って、自由に大空を闊歩できる力をお持ちであると思いますが」


 そんな問いかけに振り向いた少女は、小首を傾げて考え込むような仕草を見せる。


「うーん、気温とか気圧とか酸素とかの問題もあって、飛行魔法で飛べる高さには限界がありますからね……。けど生身では無理でも、魔鎧騎に乗ってならなんとかなりそうな気もするな……。頑張ればですけど」

「雲を突き抜けて自由に空を見られるのなら、それ以上に羨ましいことはありませんな。ネフィリムに対抗する為とはいえ、防衛排煙のおかげで目にする空は煤煙に汚れた姿ばかりだ。特に前線配置の我々なんかはね」

「ロンドンも似たようなものですよ。今やアルビオン島の主要都市はどこでも全て防衛排煙機構の傘に覆われていますから。ヒベルニアにでも行ければ、少しは別なのでしょうけれど」

「なるほど確かに。休みが取れた際にはそういう旅行も悪くない。……まあ、このご時世です。長期休暇の旅先は雲の上になるやもですが」

「それはいいですね。農作物しかない田舎なんかよりもよっぽど過ごしやすいでしょう。なにより戦友で溢れている」


 兵士の自虐的なジョークに肩を竦めて返した少女は、再度そこで車窓の外へ目をやった。


「とはいえ個人的には、今しばらくは仕事の時間を楽しめるよう努力したいところです。ドーバーへもようやく着任できたばかりですしね」

「騎士殿は元々この地に興味がお有りで?」

「土地というよりは、騎士団にですね。ドーバーを守護する白鳩騎士団へ入団を果たすことは、魔女にとっての誉れですから」


 大陸とは海で隔たり、ネフィリムの侵攻を阻む地理的要因を持つアルベルニア連合王国ではあるが、沿岸部においては散発的に飛来するネフィリムによる襲撃が繰り返されている。

 そしてその頻度が特に高いのは海峡越しに大陸との距離が最も近い、このドーバー。

 当然この地は対ネフィリム防衛における最重要拠点と位置付けられ、防衛隊や拠点設備もさることながら、ネフィリム戦の中核を成す騎士団に関しても最精鋭の一団が配置されていた。

 それこそが連合王国陸軍航空隊第九魔導作戦団、通称、白鳩騎士団である。


「団員一人一人が騎士から傍付き魔女まで一騎当千のエース集団。そんな彼女らをサポートする優秀な駐屯地作業員と、騎士なら一度は耳にしたことのある天才的魔鎧技師や整備兵。そしてそれらを束ねる団長は、全魔女にとって羨望の星、ルシル・シルバ少佐! ……そんな気高き騎士団へ配属されるなんて、まさに我が世の春ですよ」


 白鳩の名と併せて、ルシル・シルバ少佐の勇名は今や王国中に轟いて止まない。

 歴代最強とも言われるほどの魔法力の持ち主、数々の戦場で数多の奇跡を起こした英雄。

 数年前、弱冠十五歳にして最年少で騎士団長にまで登りつめた天才。

 そんな彼女を表す呼び名は多い。

 曰く、白騎士、白亜の英雄、雪月雷火、千変万象……。

 最近でも、絶望的と言われたダンジネス暗野戦において多数のネフィリムとの陸戦を制したことを讃え、新たに双界の守護者という称号が贈られたという話だ。

 そんな彼女が率いる騎士団は王国の顔であり、民にも広く知られた高潔なる騎士団なのだ。


 創世記において、大雨による洪水から世界が洗い流された後に洪水の終わりを伝えたことから、曇りなき平和の象徴とされる白鳩。

 この真っ暗闇な世界において、その名を冠するということは伊達などではない。

 何故ならそれはこの国の――この世界の未来を託されていることに他ならないのだから。


 満面に喜色を湛えながら自身の配属先について語る少女。

 その表情はともすれば年相応の微笑ましいものに思えてくるが、しかし。

 成人もしていない、本来まだまだ大人の庇護下にあるべき子供が。軍人として、大人でも音を上げるような最前線への転属を喜ぶ姿というのは、果たしてどのように捉えればよいものだろうかと兵士は迷った。

 もちろん、騎士として陸軍の士官教育を経て自分よりも上位の階級章を身につけているこの少女は、戦場においては一兵卒の自分などとは比べものにならないほどの戦力を発揮する、価値ある軍人なのだろう。

 しかしそれは、本来とてつもなく歪なことなのではないだろうか。

 子供を、ましてや少女を。怪物との戦争の矢面に立たせるというのは。

 人類の持つ普遍的な価値観においておよそ許容されないはずだと思える。

 良識ある人間なら誰しもが忌避するような理不尽が、極限の非常時という狂気の中で、現実として形になってしまっている。


 そして、白鳩騎士団はある意味その忌々しい現実を更に煮詰めて凝縮したような存在だ。

 王国中をひっくり返して優秀な人材を集め、その期待を裏切ることなく赫々たる戦果を上げ続けているその騎士団は、あろうことか基幹メンバーの全員が未成年の少女である。

 自分程度の一兵卒が口に出すことも烏滸がましいと感じながらも、忸怩たる想いを抱かずにはいられない。

 目を輝かせている少女とは対照的に曇った顔で、一人の兵士はその思いを口にする。


「……白鳩の方々には、これまで幾度となく救われてきました。私達だけでなく、この国に生きる者全てがです。しかしその負担を押しつけてしまっている現状が正しいことだと、自分にはとても思えません。もっとも、それをどうにかできるような力を持ち合わせない一介の兵士では、何を言っても戯れ言でしょうが……」


 絞り出すような声で語る兵士に彼女は驚いたように眼を丸め、それからはっきり微笑んだ。


「確かに私は未だ子供かもしれませんが、王冠への忠誠を誓ったことに後悔はありません。母なる国の未来を憂い、どうにかしたいと願う心に大人も子供もないでしょう。その点において私は、国のために振るえる力を早くから手にすることができて幸運だったとさえ思えます」

「…………」

「あらゆる物事はいつか過去になる。私の好きな言葉です。今がどれだけ過酷でも、輝かしい未来を作っていかねばなりません。今この時を、過去にするために」


 その台詞は十五歳そこらの少女が発するものとしてはあまりにも献身的で、やはりあまりにも達観していた。

 しかしそれ故に兵士は感じる。感じさせられてしまう。

 目の前の少女は既に一人前の覚悟と自負を胸に戦う軍人なのだと。

 そしてそんな相手を年齢や性別を理由に引け目や負い目を感じることは、著しく礼を失する行いであると。


「それに、騎士団に対してネフィリムとの戦いの負担を押しつけてしまっているというのは、新任の身で恐縮ながらも事実誤認であると言わざるを得ません。海軍哨戒艦による警戒、車砲線による対空砲火、防衛排煙による敵能力の阻害……。どれもネフィリムとの戦いにおいては欠かせないものです。そしてそのどれもが騎士団員以外の献身で維持されています。今この国に必要なのは、魔女や騎士に限らず、軍人一人一人の奮戦であると考えます」


 そんな言葉に、兵士は勢いよく敬礼で返す。


「はっ、失礼いたしました、少尉殿!」

「わかっていただけたようで何よりです」


 ほっとしたように息を吐いて、彼女はもう一度人なつこく笑った。


「それにしても、白鳩騎士団とは私が想像していたよりも良いところのようですね。こうしてお話しているだけでもなんとなくわかります」


 そんな発言に、今度は兵士が意外そうに目を丸くする。


「はっ……? それは一体、どういう意味でしょうか」

「防衛隊の兵士が、私のような得体の知れない魔女へもこうして偏見無く気さくに話しかけてくれるというのは、普段接されている魔女達がそういう砕けた人柄なのだろうと思っただけです。ロンドン始め他の地域では、中々こうもいきませんから」


 今でこそネフィリムとの戦闘においてその有用性が認められ日の目を浴びるようになった魔女という存在。

 しかし一昔前までは酷い迫害の歴史の中で生きていた。

 今なお、場所によっては根強い差別も残っている。

 そういった実情を直に感じてきた彼女の身からすると、魔女として腫れ物扱いされるのではなくむしろ普通の子供扱いをされるというのは新鮮な気分だった。


「……共に戦う仲間に偏見など、ありません。少なくとも、ここドーバーの防衛隊においては」


 彼女の言葉に、兵士は少し困ったような顔でそう返した。


「……待ちきれないですねぇ。あーもう、飛んで行っちゃおうかな」


 血の滲むような努力と犠牲を払って得た実績を積み重ね、ようやく掴んだ今回の転属。

 このままじっと列車に揺られていれば辿り着くその場所へ、少しでも早く向かいたい。

 車窓の外へと目を向けて、少女は再度空を見上げる。

 その時だった。


 ――突如、身体を芯から揺さぶるような、重く激しい轟音が耳をつんざいた。


「っ!?」

「なッ――これは……!?」


 咄嗟に両手で耳を塞ぎ、重心を落とす。

 一瞬にして張り詰める緊張の糸。

 機関車の走行音にも掻き消されない確固としたその音は二度三度と立て続けに重ねられる。

 それが周辺を走る列車砲の対空砲火によるものだということは、少しでも経験のある兵士であれば、すぐに察することができた。

 そして、それが意味するものも――


「――来たんだ、ネフィリム」


 自然と、それまでの穏やかな心持ちが切り替わる。

 直後、少女は身を翻し、後方の貨物列車へと足を向けた。

 そんな彼女に兵士が慌てて声をかけ、追いかける。


「き、騎士殿、どちらへ!?」

「現状より迎撃へ加わります」

「方面司令部からの指示はありませんが……」

「独断専行します。騎士特権の、緊急判断というやつで」

 向かう先は、噂の白鳩専属技師様に早くメンテナンスしてもらおうと同じ列車で輸送してきた愛騎。

 わざわざ貨物輸送用の列車に乗っていたのが功を奏したと、少女は思う。

 そのせいで些か乗り心地の悪い旅にはなってしまったけれど、その甲斐もあったというものだ。


 意気揚々、という晴れやかな心持ちではなくなってしまったものの、これから怪物へ戦いを挑むという割には悪くない精神状態。

 颯爽とした足取りで最後尾の車両へと乗り込んで、騎体に掛けられていた布を取っ払う。


 ――魔導鎧装騎。


 それは、王国がその技術力と錬金術の粋を結集して創り上げた、対ネフィリム決戦兵器。

 錬金術による特殊な加工を受けた合金板を重ね合わせ継ぎ接ぎしたような無骨な胴体と、そこから生える四本の手足。巨大な甲冑とでも呼ぶべきフォルム。

 立ち上がれば全高十三フィートを超えるほどの大きさだが、今は手足を折りたたんで鎮座している。


「――すみませんが、貨物車の扉を開けていただけますか? 無理矢理壊しちゃうのは流石に怒られると思うので」

「もちろんそれは、構いませんが……」


 まだ困惑した様子の兵士だったが、少女がさっさと魔鎧騎の中へ乗り込んでしまったことで反駁を諦めたのか、言われた通り後方の扉を開放する。

 そんな様子を魔鎧騎胴体部のバイザーから確認し、少女は操縦席内の各部へ手足を伸ばした。

 駆動前の魔鎧騎内特有とも言える、ひんやりとした空気。

 どうせ動き出したらすぐに暑くなるのだが、少女はどちらの空気も好きだった。

 一呼吸でその空気を目一杯に取り込んで、目を閉じる。


「さてさて……。いきなりで悪いけど仕事だよ、リベレータ」


 目を閉じて、愛騎へ語りかけるように囁く少女。

 そんな台詞と呼応するように、貨物車両内に横たわっていた魔鎧騎が僅かに身じろぎする。

 次いで背中や各部の関節付近から白い蒸気が勢いよく吹き出した。


「お、おお……」


 その様子を見ていた兵士は排出される蒸気に顔をしかめながら、吐息を漏らす。

 魔鎧騎が動き出す瞬間というのは、何度見ても飽きるものではない。


 魔鎧騎の駆動構造の仕組みは、根本的にはこの機関車のそれと変わらない。

 炎の燃焼、それによって熱された水が発する蒸気によって動力を生み出す、いわゆる蒸気機関。

 機関車と大きく違うのは、熱も水も騎士が魔法で賄うため、石炭や水の携行を必要としないということだ。

 そのおかげで騎体は蒸気機関車の機関部よりも遥かに小型で、かつ騎士の魔力が尽きない限り動き続ける。

 ただし車輪を動かしてただレールの上を走ればいい機関車とは違い、四肢があり複雑な動きを求められる魔鎧騎では、遥かに難易度の高い操縦技術が要求される。


 しかし少女は慣れた手付きで操縦席内部のコックやハンドルへ手を伸ばし、十数個の計器群へ目を走らせる。

 左右それぞれの腕部・脚部で独立した加減弁を調整し蒸気量を操作することで、各部それぞれ独立した動作を実現する。

 それまでただの鉄塊であった物体が、騎士の搭乗によりまるで命を吹き込まれるかのように動き出す。

 初めは各部がバラバラに、動作と蒸気の循環を確かめるように無生物的な動きを繰り返し、それが逆に魔鎧騎の異質さを際立たせる。

 しかしひとたび本格駆動を始めれば、騎士の技量に比例して、人と違わぬ挙動を見せるようになる。

 その姿は言わば、蒸気の巨人。

 ネフィリムという怪物からこの国を守る、守護者の姿なのだ。


「うんうん、今日もゴキゲンだね。――良い感じだよ」


 そしていよいよ、少女の駆る魔鎧騎が腰を上げる。

 狭い列車の屋根を突き破らないように上体を屈めたまま。

 開け放たれた扉から外へ這い出るようにして、そして、飛び立つ。


 魔女はホウキを使って空を飛ぶ。

 飛行は彼女達の、専売特許。

 この空を、怪物などに明け渡すわけにはいかないのだから。


「――魔鎧騎士、アイラ・アッシュフィールド! 高らかに飛翔します!」


 五千ポンドを優に超えようかという重さの巨体が、そうとは思えないほどに軽やかに、大空へと舞い上がる。

 列車に残され見上げる兵士は、眩しそうにその後ろ姿を見送っていた。


 胸に残るはただ漠然とした感情。

 願わくは、偉大なる騎士に、栄光あれかし。

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