銀色の風に吹かれて

カワナガ

プロローグ

プロローグ

「――ネフィリムの侵攻、尚も拡大していますッ! 個体数、最早推定不能!」

「いいから列車砲をありったけこっちに回せ! 今ここで食い止めなければ、全てが終わるんだぞッ!!」

「ダンジネス周辺の防衛排煙は機能を停止し、車砲主線に至っては既に崩壊している! ドーバーの防衛に戦力を割いている余裕など無いんだ! 上は状況を分かって言っているのか!?」

「第三偵察隊からの電信、途絶えましたッ!」

「ちくしょうッ!! この化け物共が……!!」


 泥にまみれた野戦服を纏った兵士達。

 悲鳴混じりの報告に交錯する怒号。

 大の大人達が一様に悲壮な表情で叫ぶ、絶望的な光景。


「いいから砲弾を浴びせ続けろ! ――くそっ、何故増殖を抑えることすらできんのだ……っ!」

「仕方が無いだろ、前哨部隊はほぼ壊滅状態で、弾着観測もまともにできない。……おまけに、みんな陸に向けて撃つことには慣れてないんだよ。これほど内陸まで浸透されては、艦砲射撃も既に射程限界だ」

「主線・複線の配置も、海岸線での迎撃が前提です。列車砲を集めたところで、まともに機能するのは最早その半分にも満たないでしょう……」

「遅滞戦闘の要となるべき排煙機構も沈黙しております。万全の怪物を相手にするなど、防衛隊の戦力では……」

「泣き言は後だ、やれることを全力でやれ! たった一時間でこの有様なんだぞ!? このままでは、一両日中にロンドンが陥ちるッ!!」


 紅潮した顔で仲間を鼓舞する男。

 しかし、叫ぶ彼自身の脳裏にも過ぎる。

 最早目を背けることさえも許されぬほどに差し迫った絶望が。

 想像するだに恐ろしい、人類という種の終焉が。


 発破を掛けたはいいが、実際問題として、これ以上自分達に何ができるというのだろう。

 想定を超えた絶望の中で、やれることなど果たしてどれだけ残されているというのだろう。


 何か手を打たなければという想いはもちろんあり、現状の打開策立案に知恵を絞るも、絶望する。この悪夢のような事態を乗り越えるための方法が、もはや残されていないという現実に至って。

 もちろん語るまでもなく、この絶望的な世界にあってなお職業軍人という道を選んだ以上、彼らには祖国に殉じる覚悟があった。王冠へと誓った忠誠は断じて嘘ではない。

 死ぬことが任務だというならば、喜んで命を差しだそう。それで祖国を救うほんの一助にでもなれるのならば、彼らの本懐は遂げられる。

 ただし一つ致命的な問題は、現状においてその行為には全くもって意味が無いということだった。

 ここにいる兵達の命を使い切ったところで、この悪夢は終わらないだろう。

 玉砕程度で事態が好転するのであれば、彼らはきっと諸手を挙げて喝采していた。


「――大隊長。誠に遺憾ながらも撤退と、防衛陣地の再構築を具申します。ガラ空きの内地を、奴らに闊歩させるわけにはいきません……! 今は騎士団が到着するための時間を、なんとしてでも稼がなければ!!」


 振り絞るような部下からの進言に、男は静かに顔を伏せた。


「……排煙と重火砲の無い我々に、奴らの侵攻を阻害できるような能力は無い。防衛線を構築したところで、肉壁にもならんだろう」


 何しろ敵は、地球上のあらゆる国家を滅ぼしてきた異形の怪物。ただの人の身で抗することなどできようはずもない。

 部隊を率いる者として、部下の命を預かる者として。無謀で無意味な命令は、下すわけにはいかない。


「兵隊の群れを防ごうとしても、意味は無い。だが……。女王個体に向かって突撃をしかければ、奴らの注意を引けるかもしれん」


 それは、彼らにできる最後の抵抗。部隊の全滅は目に見えているし、上手くいく保証も無い。しかし。

 どれだけ僅かでも構わない。ネフィリムの侵攻をほんの僅かでも遅らせることができるのならば。

 その先に、希望はまだ残っている。


「……っ! やりましょう、大隊長殿ッ!!」

「命じて下さい! 今すぐに!」


 口々に声を上げる兵士達。彼らの瞳は、まだ前を向いていた。

 一緒に死んでくれとしか命令できない己の無力が恨めしいが、ならばせめて、無駄にはさせまい。

 真っ直ぐに自分を見つめてくる仲間達の視線を受けて、男ははっきりとそう誓った。

 そして意を決し口を開こうとしたその瞬間。

 一人の兵士が上げた声が、辺りに響いた。


「――ど、ドーバーより入電ッ! 現在、一個騎士団が援軍として急行中ッ!!」


 その報告に兵達は見開いた目を見合わせる。


「騎士団の援軍……!? 早すぎる、何かの間違いではないのか?」

「だが事実であれば有り難い限りだ……」

「しかし、たった一個団では……」

「いや、待て。ドーバーからの援軍だぞ……? ということは――」


 直後。

 兵士達は耳にした。

 複数の物体が猛烈な速度で空を斬り裂いていくことで生じる、異質な音を。

 兵士達は見上げた。

 暗澹とした空を斬り裂くように、細く鋭い軌跡を残して駆け抜けていく一団を。


「な、なんという速度だ……」

「あれは、間違い無い……!」

「……白亜の、英雄」


 呆けた顔の男達。

 それが一人、また一人と、強張った表情を和らげていく。

 残っているものが絶望だけではないと知ったから。


「白鳩だ! 白鳩騎士団だ! ――貴様ら喜べ、この戦い、まだ終わってはいないぞッ!!」


 ◇◇◇


 ダンジネス方面の防衛線崩壊とネフィリム上陸の報を受け、騎士団権限で独自の防衛行動に移ったのが今より一時間ほど前。

 司令部からの横槍を受け実際に出撃できたのは、それから更に三十分ほどが経過してからのことだった。

 あの時は随分と余計な気遣いをしてくれるものだと、司令部にいる将校らの頭を疑ったものだが、なるほど。

 実際に現場へ来てみると、百戦錬磨のルシルをしても想像を絶する惨状だった。

 恐らくこの状況は司令部にも正確に伝わっていない。想定外の事態による混乱が、まともな判断力を鈍らせているのだろう。


 埒外の暴力により激しくねじ曲がり、断ち切れた鉄道。

 横転し砲弾が誘爆でもしたのか、煙を上げている列車砲の残骸。

 その周りに転がる、無数の屍。

 原形を留めている死体は、その内の何割か……。

 眼下の光景を見やりながら、彼女は魔鎧騎まがいきの中で一人ため息をつく。


「――終わりね、この国も」


 ぽろりと口から溢れた独り言。

 それに対して、焦ったような声色で少女の思念が頭の中へ直接響く。


『だ、団長、ジョークでもそのような発言は……。その、士気に関わりますので……』

「……あら、ジョークにしては笑えない状況よね。はっきり言って絶望的よ。悪いけど、全員、この世への未練は今のうちに捨てておきなさい」


 伝信魔法による思念伝達にも困ったものだと彼女は思う。

 誰にも聞かせるつもりのなかった呟きがうっかり部下達へ伝わってしまった居心地の悪さ。

 それを包み隠すように言葉を束ね、平静を装って言い返す。

 すると、今度は先程とは別の少女の声が、場にそぐわない爆笑と共に返ってきた。


『あっはっはっは! 団長のユーモアは笑えないっすね! 真っ先に死にかねないのはウチらみたいな傍付きなんすけどぉ!』

『大丈夫だって少尉、遅いか早いかの違いでしかないから、あはは! それにどういうわけだか排煙も止まっているし、最期に見る空としてはそこそこ悪くないかもしれないよ。……あ、でももちろん団長は死なせませんよ? 私が命に代えてもお守りしますからねっ!』

「……ナディア中尉。再三言っているけれど、そういう頼もしい台詞は私に模擬戦で一度でも勝ってから吐きなさい」


 こんな地獄のような光景を目の当たりにしていながら、底抜けに明るい部下達の言葉に、目眩がする。

 かわいそうに。過酷な戦闘ばかりで、感性が死んでしまっているらしい。


『……どうやら、士気は上がったようですね……』


 ため息交じりな副長の言葉に、ルシルはいつも苦労をかけて済まないなぁと、伝信魔法にキャッチされないよう思考の片隅で感謝する。

 まったく、これだから戦場は嫌いなのだ。

 常に気をつけておかないと、隠しておきたい心の奥までさらけ出される。

 感情を抑制しながら仲間の士気は保たないといけないのだから、指揮官という立場も苦労が絶えない。


「どんな局面でも堂々たる姿で勇猛果敢な部下達に恵まれ、私は幸せよ。――そんなことよりロザリ中尉、伝信の範囲を近くの防衛隊まで広げられる? 敵の情報が欲しいわ」

『――……』


 呼びかけると、応答こそ返ってこなかったものの、伝信範囲が広がったことを感覚で悟る。

 本当は返事の一つでももらえるとありがたいのだが、彼女が無口なのは今に始まったことではないので、今となっては一々気にすることもなくなっていた。

 ともあれ、これで電気通信線が通っていない地上部隊とも交信が可能になる。


「ルート大尉、お願い」

『了解いたしました』


 先程までの困りげな気配を切り替えて、凛とした声色で副長が言う。


『こちら白鳩騎士団。ネフィリム撃退のため推参した。敵情の共有を請う』

『やはり、白鳩か! よく来てくれた!』


 応答は驚くほど早く返ってきた。

 どうやら向こうも既にこちらの到着を察知していたらしい。


『前線は既に壊滅、こちらも状況は掴みきれていない。だが、女王個体上陸からの経過時間と侵攻速度を踏まえて、既に敵個体数は数十にまで膨れあがっているはずだ! こちらは列車砲からの砲撃を続けているが、効果は認められていない』

『あー……。だって、全然的外れなところに撃っちゃってるっすもんねぇ……』


 これまた独り言のつもりだったのであろうノエミの呟きが伝達され、次いで防衛隊交信手の苦々しげな気配が伝わってくる。

 感じた一抹の気まずさを振り払うようにルシルは小さな咳払いを一つした。

 そして部下達へ向けて命令を下す。


「各員、戦闘計画を通達する。ルート大尉とロザリ中尉は敵の侵攻面にて遅滞戦闘、ノエミ少尉以下傍付き隊はその直掩に回りなさい。ただし、ジーン、シャロンの両伍長は上空にて列車砲の弾着観測を担当。前衛は無理して敵数を減らす必要は無い、地上部隊の効力射を待てばいいわ」

『了解!』

「女王個体の討伐は私とナディア中尉で行う。私達の伝信をロストした場合は大尉の指揮の下で損耗抑制を第一に、他騎士団の援軍を待ちなさい。――その時はちゃんと報告するのよ、ロザリ中尉」

『――………………っ』


 言葉は無くとも、了解の意が伝わる。


『まあ~? 私がご一緒する以上、そんな心配ありませんけどね!』

「……今回はいつもの海上空中戦とは勝手が違う陸上戦よ。敵数も多い。油断しないことね」

『まさかぁ、油断なんて! ――私はいつだって全力、ですよ』


 ナディアの雰囲気が変わったのを感じ、ルシルは小さく苦笑する。

 やれやれ、ようやくスイッチを入れてくれたようだ。

 真面目にやれば魔女としても騎士としても優秀なのに、彼女はいつだって軽薄だ。

 戦場に似合わないその態度にはこれまで何度も困らされてきたことだが……、今では少し、心地よいと感じるようになってしまっている。

 どうやら感性を狂わされてきているのは自分も同じだったらしいと気づき、ルシルは僅かに生じた気恥ずかしさを気取られないよう目を閉じた。

 一呼吸置いてから、指揮官として檄を飛ばす。


『各位、今一度王冠への忠誠を示せ。白鳩騎士団――行動開始ッ!』


 後に地獄の防衛戦として語られるこのダンジネス暗野戦。

 実際はそんな言葉では決して言い表せないほどの、絶望が待ち受けていた。


 人が溢す嘆きも、悲しみも、流れる血も。

 全てが大地へと染み込み、この星は形作られている。

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