第14話

 翌日の太陽はいつもより少しだけ眩しかった。


 七海は昼休みの教室で、眠気を誘う陽射しに欠伸をしながら台本と睨み合う。


 恵奈が二回目に自分で撮影して投稿したオーディション動画は粗末な映像だった。だから、七海が初めて関与した三回目では構図や照明に焦点を置き、画づくりの問題を可能な限り除去したつもりだ。だが、落選した。


 プロの目から見れば画づくりの観点でも粗は多かったはずだが、俳優のオーディションで撮影の技術を求められるとは考え難い以上、必然的に問題は他にあることになる。


 容姿については一次選考を通過している段階で要求値を満たしていると考える。


 ならば、脚本。今回の自己PR動画で言うところの『話す内容』に問題がある。


 冒頭の簡単な自己紹介は必須だとして、彼女の自己表現。


 長所の主張が刺さらなかったと考えるべきだ。


 ならば、エクレールプロモーションは周藤恵奈に何を求めているのか。


「ふぅ」


 思考を詰めても要点を掴めず、一息を吐くように七海は天井を仰いだ。


「あれ、カントクまた何かやってんの?」


 昼食を食べ終えた斎藤が騒がしくやってきて、卓上のノートパソコンに目を留めた。


 その声を聞きつけたクラスメイトの数名が口々に何かを言い出しながら視線を寄せてくる。過去の動画を参照するために開いたままだったのだが、目立ってしまったらしい。


 七海は台本とノートパソコンを順に見て、改修案を走り書きしながら応える。


「恵奈――周藤のオーディションのやつ。もう一回やってみようと思ってね」


 そう答えると、斎藤が大袈裟に驚く。他にも数名が驚きを隠さないが、真白や遠藤など事情を察している数名は微笑ましそうに七海を見た。


「なんだよ、あんな騒ぎになったのに、またやらされてんのか」

「違うよ。今度は私から頼んだ」


 誤った情報が流布しないよう速やかに訂正をすると、斎藤は面食らった様子で口を噤む。


 それから、意外そうな表情で探るような眼差しを向けてきた。だから、七海は邪推する余地も何も無く、ただ目に見える行動すべてが事実であることを率直に伝えた。


「ちゃんとやるって決めたんだ。悪いね、しばらくは遊びに付き合えない」


 台本に向けていた目を一瞬だけ斎藤に向け、そう詫びた。


 斎藤は呆気に取られた様子で口を半開きにさせ、しばらくして我に返ると、「お、おお」と納得を示すように何度か頷いた。その後、彼の口から七海や恵奈の夢に関する軽口が出てくることはない。見守るクラスメイト達も意外そうにしつつ、馬鹿にするような真似もしない。


 ――簡単なことだった。胸の中で、心地よい喧騒と微かな静けさの中に独り言ちる。


 集団心理や大多数の意思に個人の力は抗えない。無力だと、そう認識していた。言葉を尽くして行動に勤しんだところで無意味だと、そう割り切っていた。だが、どれだけ大変な事だとしても、何の意味も無いなんてことはなく、何より何かが変わる切っ掛けは、常に自分の行動の中にあるはずなのだ。そんなことに、今更気付かされた。


 昼休みを終えて二つの授業も終了し、一日の授業を全て凌ぎきった。


 帰りのHRが終了すると同時、七海は誰が呼び止める間もなく真白を指す。


「真白。暇でしょ、ちょっと帰り付き合って。頼りたい」


 言うや否や返答も訊かずに教室をズカズカ出て行く幼馴染を、真白は唖然と見送る。それから呆れた目を瞑り、微かな笑みを隠せずに「はいはい」と鞄を担いで背中を追い駆けた。


 七海は四組教室の後方扉を開けると、帰りの支度を済ませた恵奈を素早く見付ける。


「恵奈!」


 名前を呼ぶと、彼女は慌てて鞄を担いで走ってくる。


「ど、どうしたの? 君が来るなんて珍しい」

「帰るから付き合って」


 親指で階段の方を示す。


 恵奈は酷く困惑した様子ながら、断る理由も無いと考えるように頷いた。


「……まあ、いいけど。私、この後養成所に行く予定があるんだよね」

「だからこそ、だよ。帰り道で作戦会議をする。時間を無駄にしたくない」

「あー」


 と、納得の表情を浮かべた恵奈は、次いで七海の後ろで話を聞いている真白に視線を向ける。「そちらは」と尋ねられたから、「本日の助っ人。客観的意見を訊く」とだけ答えておいた。


 そうして七海、真白、恵奈という奇妙な三人組は高校からの最寄り駅までを一列に歩く。一列とは言っても他の通行人の邪魔にならないよう、某有名RPG的に縦一列だ。規則的な間隔で間を置いて歩く三人を同じ高校の生徒が怪訝そうに見ていた。


「さて、始めるか。作戦会議」


 「はーい」と後方の恵奈。最後尾の真白は無言で欠伸をした。


「取り敢えず、今更言うこともないだろうけど形式的に、目的の確認をしよう」

「えっと、私のオーディション合格――で、いいんだよね? 恐れ入りますけども」

「そう。そして、恵奈の志望するエクレールプロモーションは四段階の選考に別れており、過去三回の応募では総じて書類選考を突破、そして三回とも追加書類選考、つまるところ自己PR動画にて落選をしているから、これを改善するのが最初にして最大の課題。相違は?」


 「ないかな」「そうなのか」と言葉が続くから、七海は半身だけ振り返って続ける。


「じゃあ本題だ。恵奈の動画の何が問題だったのか。これを突き止める必要がある」


 恵奈は難しい顔で腕を組む。夏服の袖から出る綺麗な腕が目を奪った。


「……分かんない。私なりに良いと思ったものを出してる訳だし」

「そうなる。そして私も、変に当事者意識を持ったせいで客観的意見が出てこない」

「で、私を呼んだって訳か」


 察しが早くて助かる。七海は「その通り」と恵奈の肩越しに真白を見た。


「まずは客観的な意見の収集に努めよう。一応、クラスメイトの田中って女子に見せた時は『軽い』印象を受けたって言われた。ただ、あまりに抽象的すぎて、具体的な――つまり改善できる問題点が見つかっていない。恵奈は何か思い当たる節はある?」

「『軽い』……? それは、その、体重的な話ではなく」

「詳しい話は聞けてないけど、まあ体重の話ではないだろうね」

「そうなると、やっぱり『話している内容が表面的』ってことになるのかな。ほら、話が上っ面だけだとか、そういう批判をするときの常套句じゃない?」

「じゃあ、まずその見解がどの程度正しいのか検討してもらおう。助っ人に」


 言って、七海は第三回の応募動画を保存してある自分のスマートフォンを真白に手渡し、接続済みのワイヤレスイヤホンを片方渡す。


 真白は「期待はするなよ」と歩きながら動画の視聴を始めた。


 恵奈が少々緊張した面持ちで待つこと一分。


 動画の視聴を終えた真白は「ふむ」と顎に手を添えてイヤホンを外した。


「まあ、少々聞こえの良い自己アピールを用意して来ました、って打算は感じるが、内容そのものはしっかり構築されている印象を受けるな。悪くないんじゃないか」

「……もう少し詳しく聞いても?」


 考えたことをハッキリと言葉にするのが得意な人間だ。七海は真白に期待を寄せる。


「結局のところ、就職活動やオーディションの類で求められるのは、『この人材がどれだけ我が社にとって有用か』って部分だろ? で、嘘のボランティア活動を捏造したり、学生時代に力を入れたことを脚色したりすると、見える人格が褪せる。そういう意味で、『どうとでも解釈できるし捏造だと指摘できない内容』は付け焼刃に解釈されかねない」

「まあ、確かに」

「……なるほど」


 分かりやすい説明に二人揃って得心の声を上げる中、真白は続ける。


「ただ、周藤の話す内容はどれも嘘ではなく、実績と実体験に基づいた根拠のある自己主張だ。悪いが、私にはこの動画のどこに問題があるかは分からなかったよ」


 そう言いながらスマートフォンを返してくる真白に、「……そっか、ありがとう」と七海は落胆を隠せずに感謝した。「お見苦しいものを」と恵奈が続けて詫びるが、真白は「いや、立派なもんだ。見直したよ」と軽く賞賛する。


「しかし、そうなるといよいよ八方塞がりだ」


 七海は頭を掻きながら困り顔を浮かべる。そこに、恵奈が提案を返す。。


「下手な鉄砲理論で、内容を色々変えながら何度か挑戦するっていうのも有りだと私は思うんだ。割り切って回数で挑むの。有名な俳優さんの中にも十回目のオーディションでやっと合格したって言ってる人は居るし、そうなるのが自然だとも思う」


 実際のところ、恵奈の提案は的確なものだった。


 認めるだとか拒むだとか、そういう指標以前に、そうせざるを得ない現実があるのだ。


 だが、七海は快諾をしかねる。


「まあ、それは最終手段だね。……ただ、考えた上でその結論に至るのと、答えが出ないからそこに逃げるのとでは得るものがまるで違うと思う。恵奈には悪いけど、ギリギリまで考えたい。もう一度信じてもらった手前、半端な仕事はしたくないんだ」


 一度は傷付けるような発言をして、それでも、もう一度頼ってくれた恵奈への恩義に報いる義務が七海にはある。それが恵奈の為になる最適解という前提の上で、異なる選択肢の模索を放棄したくはなかった。


 そういう意を含んだ七海の言葉に、恵奈は「ふーん」と素っ気なく聞こえる相槌を打つ。だが、ひっそりと頬を綻ばせた恵奈は、やや喜色を隠せない返事をした。


「そっか」


 そう言ってアスファルトを踏む恵奈の靴底が、少し跳ねていた。


 そんな二人を高校から眺めていた真白が、少々意外そうな声を上げる。


「お前ら、随分と仲良くなったんだな」


 反応は驚き一色だ。


「えっ」

「そうかな?」


 顔を見合わせると、恵奈は少々気恥ずかしそうな表情を見せ始めるが、七海は怪訝そうに眉を顰めるばかり。それを見た真白は愉快そうに「はは」と腹を揺する。


「少なくとも、私の目にはそう見える。――ただ、まあ、仲が良くなったというより、『懐の広い周藤が七海を許容してくれた』だけだろうがな。私だったら以前までの七海みたいな奴、一発くらいは殴らないと気が済まんよ」


 昨夜の出来事を知ってか知らずか核心を突く真白。


 七海は半笑いで恵奈を見た。


「……だってさ」

「ひゅ、ふゅ~」


 掠れて下手糞な口笛を吹く恵奈。


 そんな二人の反応を見た真白は、何があったのかは分からないまでも、何かがあったのだろうことを漠然と察した様子で苦笑した。


 遠くに駅が見えてきた頃、助っ人に過ぎない真白が閑話休題を図ってくれた。


「しかし、話は戻すが七海。そういうことなら私なんかより良い相談相手が居るだろ」


 心当たりがない。七海は眉根を寄せて彼女の言いたい人物を推理した。


「え? そんなの……居る? 斎藤とか田中?」

「お前、もうこの前の話を忘れたのか?」


 呆れたような真白の口調に、七海は思考を過去に遡る。


 以前、真白からこの話をされたことはあっただろうか。一日ずつ丁寧に思考を戻らせていった七海は、脳が夏休みに行き着くと同時に思いだす。


「――――あ」


 その反応で七海が思いだしたことを確信し、真白は鋭い目を投げてくる。


「なあ、話しづらい気持ちは確かに分かるが、お前の身近にあの人以上に相応しい相手は居ないだろ。だから、相談して来いよ。――親父さんに」


 『なんで、親父さんを頼らなかった?』。


 そう聞かれた時、七海はその発想が無かっただけだと答えた。だが、実際には頼ろうかと考えるタイミングがあった。それでも、妙な感情が邪魔をした。


 嫌悪感ではない。怒りでも不信感でもない。七海はそれを言語化する手段を持たなかった。


 だが、もし、七海の知る語彙で父である雄二に向ける感情へ名前を付けるならば、それは『畏怖』だ。雄二が怖いのではなく、雄二に対して向けているこの感情が、子供が世話になった親に対して向けるものではないと、そう気付いてしまうことが恐ろしい。『何となくぎこちない』という状態が続き過ぎて、その関係を壊して互いの接し方を見直すのが、恐ろしいのだ。


 沈黙して俯く七海を見た恵奈が、真白に声を潜めて訊く。


「彼女のお父さんの仕事は知ってるんだけど、その、仲、悪いの?」

「そもそもアイツの夢が笑われるようになった切っ掛けが、小学校時代の『家族の仕事』って作文なんだよ。……もう分かるだろ? 喧嘩はしてないが、少しぎこちない」

「あー……なるほど」


 首を傾げる余地も無く一切を理解した恵奈は、少々の同情を瞳に乗せる。


「あの、七海。気持ちは嬉しいけど、無理には……」


 そう言って七海の逃げ道を確保しようとする恵奈だったが、七海はパシンと両頬を己の手で叩く。それを見た恵奈が言葉を呑む中、決意を固めた。


「……いや、良い機会だよ。こういう時でもないと、私はたぶん動けない」


 今まで様々な言い訳を自分自身にしてきた。今日は都合が悪い、今日は気分が悪い、父の手を借りるまでもない、と。だが、今回は雄二の知恵を借りなければ己の信念を貫くことができない。そうなれば己の夢に嘘を吐くことになる。だから、向き合わざるを得ない。


「……今日、帰ったら父さんに相談する。明日また、話の続きをしよう」


 そう約束すると恵奈は少々不安そうな顔を見せるが、真白が何かを言いたげに恵奈の背中を小突くと、色々と尽くそうとした言葉の群れを飲み込んで、小さく頷いた。


「分かった。待ってる」


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