第5話
スマートフォンを眺める。画面内では周藤恵奈が自己PRをしていた。
画角は悪く表情は固いように感じられたが、それ以外の大きな問題点は見当たらない。
「前回のオーディションでは表現技術としてダンスを学んできたことをお伝えしましたが、芝居には滑舌も大事だと考え、早口言葉を習得してきました。今となっては特技になっているので、それをこちらで披露いたします」
そう言って恵奈は早口言葉を二十秒ほどで幾つか披露した。あまり一般的ではないが、七海が真似しようとして数秒で挫折するような難易度のそれらだ。ざっと見ただけでも恵奈の滑舌が随分と立派であることは判断できる上、七海の主観だが、面白い特技にも思えた。
動画を通して見終えた七海は、ワイヤレスイヤホンを外して溜息を吐く。
昼食時の教室の喧騒が耳から脳に入ってきて、現実に引き戻される感覚だった。
母親が作ってくれたおにぎりを片手で食べつつ、もう片手でペン先を規則的にノートへ叩きつける。そこには脚本の修正案が書かれていた。ノートパソコンに表示された芸能オーディションの自己PR例文を参考に、彼女の自己PRの問題点を分析していたのだ。しかし――
恵奈は顔面だけで合格判定を貰っても納得できるほど美形だ。
だが、それを打ち消すだけの問題点は、七海の目では見付けられなかった。
つまり、どう改善すればいいのか七海には分からないということだ。
「どういう風の吹き回しだ?」
前の席の真白が、椅子に横向きに座してこちらを見ていた。
「まさかお前が周藤の頼みを聞き入れるとは」
クラスメイトには、休み時間に周藤のPR動画を撮影するという話をした。その時にも驚いていた様子だったが、ノートパソコンを広げて脚本の修正までしていると、改めて七海が似合わないことをしていると感じたのだろう。真白だけは唆していただけあって嬉しそうだったが、基本的には意外そうな視線が複数向けられている。
七海は『特技の変更』と書いた文字を二本線で消す。
「成り行きだよ、そう驚くようなことじゃないでしょ」
「いや、驚くだろ。昨日はあんな断り方をしてたのに。何があった?」
「言わなきゃダメ?」
「別にそんなつもりは無い。どうあれ全面的に賛成だ」
珍しく穏やかな笑みを浮かべる真白に、七海は肩を竦めた。
「いや、でもカントクもマジでやってる訳じゃないでしょ? だって、女優とか普通に無理じゃん。周藤、顔だけは良いけどさあ……女優でしょ?」
クラスメイトの女子が、ヘラヘラと笑いながら決めつけてくる。彼女だけではなく、クラスメイトの大半が似たように挑戦者への軽視を持っていた。――真白が見定めるような目を向けてくるが、それに気付かないフリをして目を瞑る。
「まあ、無理だろうね。何度も言わせないでよ、成り行きだから……本気じゃない」
目を瞑ったから、真白の白い目は届かない。気付かない。そう誤魔化す。
「だよねー」という無邪気な笑い声を周囲に聞きながら、上の空で意味のない文字を脚本に書き連ねる。真白がそれを見ていることに気付いたから、慌てて意味のある文字にした。
「つか、AV女優とかだったら普通にいけんじゃない?」
そんな冗談が女子から飛ぶ。呼応したのは少し離れた席の男子生徒だ。
「え、マジ、周藤さんAVデビュー? 俺買うけど」
「カントクのお父さんが撮るの? それともカントクもそっちの道に行く感じ?」
笑い声と共に品のない会話が行き交った。
その業界で努めている人々や恵奈、双方に失礼な発言だった。七海とて人に褒められるような生き方をしている自覚は無いが、それでも限度を超えていると感じる。
後ろの席の遠藤も聞くに堪えかねたのか、人畜無害そうな顔に精一杯の不満を宿し、小さな体から懸命に声を上げようとした。
「あの――」
だが、その言葉が教室に響くよりも先に、地響きめいた音が教室に木霊した。
瞬間、全員が目を見開いて押し黙る。――真白が自身の机を拳で叩いたのだ。全員の視線を一身に浴びた真白は、口答えを許さない威圧感と共にドスの効いた声を出す。
「冗談でも度が過ぎる。仕事にも、周藤にも……失礼だ」
しん、とあっという間に教室が静まり返った。プラスチックの箸が弁当箱に触れるような些細な音でさえ、今の教室ではよく響き渡る。説教を食らった女子の一人が不服そうに舌打ちをしたところ、「何だ?」と青筋を浮かべた真白が腰を浮かせる。これはマズイ雰囲気だと判断し、「真白」と慌てて七海が宥める。舌打ちをした女子生徒も委縮して俯いた。
しばらくの沈黙の後、恐る恐ると教室で昼食が再開される。
「馬鹿は何を言っても無駄だ。無視してお前はお前の仕事をしろ」
ようやく喧騒が戻り始めた教室で、真白は七海に囁く。肩に彼女の手が乗った。
「でも、お前まで馬鹿になったら許さんぞ。悪いが、その時は手を出すからな」
――正直なところ、漏らしそうなくらい怖かった。
七海は彼女の後ろに代紋を見たような気がした。
放課後の視聴覚室にて恵奈を待つこと数分。
やってきた彼女は視聴覚室の入り口で立ち止まると、マジマジと七海を見た。
何をしてるのかと尋ねようとした矢先、彼女は綺麗な笑顔で小さく手を上げた。
「や」
挨拶だ。七海は毒気を抜かれて嘆息をする。
「昨日ぶり。動画の内容について私なりに分析した。作戦会議をしよう」
言いながらノートパソコンを視聴覚室のプロジェクターに繋ぐ。
どうして生徒が視聴覚室の鍵を持ってプロジェクターまで平然と使っているかという話だが、どうやら四組の担任が彼女の芸能活動を強く応援し、推奨しているとのこと。夢を語るだけではなく、ダンスなどの表現分野でも活躍していた美形の生徒が、養成所に通いながら本気で目指しているということもあって、学校規模でサポートをしているらしい。
羨ましい限りだが、学校としても、彼女に在学中にデビューを飾ってほしいのだろう。
そんなことを考えていると、恵奈が制服の内ポケットからスマートフォンを取り出し、それで己の口元を隠した。あざとい仕草だが、不覚にも可愛いと思ってしまう。
「ところでさ、この令和の時代に手紙で連絡するの、やめない?」
六限目の開始直前に彼女を教室へ呼び出しに行ったのだが、その際に、彼女は席を外していた。仕方がなく文字を書いた付箋を机に貼り付けたのだが――それについてだろう。
七海もスマートフォンを出し、連絡先の交換に応じた。
そして、七海はすぐにそれをポケットに戻すが、対する彼女はしばらく交換した連絡先を眺めた後、七海のノートパソコンの画面を投影したスクリーンを見た。そして最後に七海の顔へ視線を移すと、んふ、とこぼれだすような笑みを見せた。
「……何だよ?」
「いや、なんか、同級生とこういう話をするの、初めてだから。変な感じ」
心底嬉しそうだった。七海としてはむしろ、彼女には比較的に苦手意識を持っている訳だが。それを伝えるのはあまりに酷だろうと判断し、肩を竦めるに留まった。
「時間は有限だ。馬鹿言ってないで話を始めよう」
「はーい」
笑顔で敬礼する彼女を尻目に、七海はスクリーンに自己PR動画のワンカットを映す。
ややローアングルからの、顔に影が落ちた構図だ。昨日の苦言を思い出したか、恵奈が少々気まずそうな愛想笑いを浮かべた。構わず七海は指摘を始める。
「通して見たところ、概ね、昨日伝えた通りの内容が問題点として挙げられると感じた。見上げるような画角と、顔が中心にない構図は修正。照明も工夫しよう。後はトラックアップ――カメラとの距離をもう少し近付けるか、或いは拡大して顔がよく見えるようにしてもいい。身体を動かす特技じゃないから、腰から上が見えればいいかな。とにかく顔を動画の軸に置こう」
「全身じゃなくて大丈夫? 昨日は私が売り物だーって言ってたけど」
「スタイルが良いからそれも悪くないと思う。ただ、下半身の肉付きは上半身を見れば大体分かるから、どちらかというと、比類ない顔を売った方が印象は良いんじゃないかな。周藤の顔は――正直、それだけで通ってもおかしくないくらいには良い」
手放しに称賛された恵奈は少々面映ゆそうな笑みを見せた。
だが、呑気なものだと七海は目を細める。
「……そう喜べたもんじゃないだろ。そんだけ良い武器を持ってるのに二回も落とされてるんだ。抜本的な改善策を講じないと」
恵奈もその問題点を自覚してはいたのだろう。途端に晴れない顔で腕を組む。
「うーん、やっぱり内容も問題なのかな。でも、私なりに色々と調べて台本書いたし、正直なところ、何が悪いのか分からないんだよね」
依頼を請け負った以上は制作の方針も考えるべきなのだろうが、実際、七海もどのように彼女の自己PRを修正すればいいかは分からなかった。
「いや、私の目から見ても、話の内容や構成に大きな問題は見当たらなかった」
「やっぱり?」
「最低限の挨拶と自分のアピールポイントの主張。早口言葉ってのは少しばかり俗的な印象があるけど、実務で役立つし、ユーモラスでもある。大きな減点になるとは思えない。……前回はダンスをアピールしたんでしょ。そっちはどんな具合で話したの?」
「中学一、二年の間は養成所に行かずに独学で勉強していたんだけど、その間にダンス部に入ってたの。スタイルの形成と運動能力の向上、的な。そんでスモールクラス――少人数部門で審査員特別賞を貰った。成績の証明書もある。それら諸々を含めて、身体を激しく動かす役でも演じて見せるって意気込みを語ったかな。会心の出来だったんだけど――」
恵奈は続きを語ることはせず、嘆くような顔で首を左右に振った。
しかし、七海が思っていたよりもしっかりとダンスに取り組んでいたらしい。舌を巻く。
「だとすれば余計に理解ができない。能力の証明としては充分だと思うんだけど」
「だ、だよね? 私、間違ってないよね」
顔を見合わせて悩むこと数秒。問題点が微かも浮かばず、揃って溜息。
「……志望者が多いから適当に流されてるんじゃない? 運が悪いだけ、とか」
「そんなことあるかな? 志望数と各選考の通過数が公開されてるんだけど、一次から二次だけで倍率三十倍だよ? 三十人に一人が通って、そこから更に運?」
そう言われると結論を出すには尚早に思われ、七海は思考の深掘りを試みる。
「その事務所ってのはそもそも、どこ?」
「……言ってなかったっけ」
恵奈はバツが悪そうにスマートフォンでサイトを検索し、つい先刻交換したばかりの連絡先にURLを送り付けてきた。「エクレールプロモーション」と、恵奈と、リンクを踏んだ七海の声が重なった。あまり聞き馴染みのない事務所で、少なくとも業界最大手ではない。
金をかけていることが窺える公式サイトの所属タレント一覧を見る。そして、そこに居る錚々たる顔ぶれを眺めた七海は「ふむ」と唸る。事務所は有名ではないが、所属タレントはいずれもテレビで見たことのあるような人物ばかり。そして、その大半が多様な話題性を持つ者ばかり。バラエティでよく見るトークに長けた芸能人や、オールジャンルの作品に出演して主役から悪役まで網羅するベテラン俳優。鬼気迫る演技で作品の話題を掻っ攫った新進気鋭の女優。
無論、ここに掲載されていない人物も多数居るのだろうが――少数精鋭という言葉が七海の脳裏に過る。ほとんど全員が、七海も見たことのあるような者達ばかり。これだけの錚々たる面子を揃えておきながらも事務所の名前が有名でないのは、ひとえに事業規模が理由なのだろうと考えると、そのオーディションの難易度も窺えるというものだった。
『オーディション』と書かれたページを表示する。
そこにはこれからのオーディション日程、今までの通過人数などが記載されていた。
次の募集は開始しており、夏休み半ばが締め切り。その次は夏休み明けに開始、その少し後が締め切り。その次は冬、とやや不規則だ。通過人数は恵奈の語った通りで、少なくとも一次――書類選考を通過した人間を『その他大勢』として雑に振り落とすとは考え難い。
「どう?」
「確かに、運で落とされているとは考え難い」
「だよね」
「だから、明確に周藤の実力不足なんだと思う」
見解を肯定された安堵と容赦のない指摘に挟まれた恵奈は、唇を横一文字に引き結んで不貞腐れた。七海は視聴覚室の机に腰を掛け、「あ、こら」と叱る恵奈を無視して語る。
「そもそも、自己PRってなんだ?」
「それは哲学的な話? それとも言葉の意味?」
「後者」
「パブリックリレーションズの略だった気がする。たしか、相互利益を目指した個人・組織間の関係性構築、みたいな意味だったかな。要はお互いに利益があるかが観点になる」
博学だ。七海は、恵奈の頭のてっぺんから爪先までをじっくりと見る。
「顔と技術はある。私が事務所経営者だったら、周藤には幾らでも使い道があると判断する」
「実際、何か所かはスカウト貰ってるしね」
腕を組んで悩む七海と同様に、恵奈も悩ましそうな顔でそう付け加えた。あまりにも平然と言うものだから首肯しそうになったが、「待て待て」と食いつく。
「何。スカウト貰ってんの?」
「え、うん。養成所経由で、四つかな? ええと……」
恵奈は指折りながら、スカウトをくれた企業の名前を思い出す。その中には七海も知るような業界大手の事務所も含まれていた。唖然とした。
「……そこでいいだろ。大手じゃん」
「いや、私、エクレールプロモーションがいいし……」
価値観と見解の相違だ。至極当然のようにそう言うものだから、平行線を地平線まで辿るほど愚かではない七海は頭を掻きながら荒い溜息を捨て、閑話休題を図る。
「余計に分からん。品質には大手様の保証があるんだろ、じゃあ何で落ちる」
「分かんない」
「……浅いのか? 認識が」
七海は額を押さえながら思考に耽る。
事務所がオーディションをするのは、優秀な人材が欲しいから。優れた俳優が良い仕事をして、その稼ぎの一部を徴収しつつネームバリューを上げて全体の価値を底上げする。つまり、求めている人材は稼げる人材。では、どのような志願者を稼げる人材だと判断するか。
顔と、実力。この二点だろう。
考えても答えは出そうになかった。一瞬、本業の監督である父の顔が七海の頭を過る。彼なら何かを知っているだろうかと思ったが――間もなく、思考を振り払った。
「駄目だ、何もわからん。……締め切りは一月後だし、取り敢えずは現状で判明している問題点だけでも修正して撮り直そう。それだけで大きく雰囲気は変わる筈だから」
七海自身が必要だと提言した『抜本的な解決策』が出ぬままの妥協案になってしまった。恵奈は苦い顔をするかもしれないと身構えたが、意外にも彼女は快諾する。
「了解。頼ったからね、全面的に信じる」
深く頷く恵奈を見た途端、七海は淡い胸の痛みを覚える。
段々と痛みは増して、吐き気を催すような圧迫感に顔を歪めそうになるが、寸前で堪えた。――期待と信頼。彼女に現実を思い知らせるという邪な自らの動機を思い出した七海は、彼女との差に酷い罪悪感や劣等感を抱く。微かに瞳を伏せ、心の膿から目を背けた。
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