極限

翌日。

朝5時に目覚めてすぐ

渡邊さんの教室を革新しに行くと、

そこは既にもぬけのからとなっており、

あったはずの布団や着替え

その全てがなくなっていた。

まるで退去した後の家のよう。

恐る恐るロッカーの中も確認したが、

役職カードの入っていた封筒すらもない。

机が壁を背に何かを囲うようにして

コの字型に並んでいる。

ちょうど人1人入りそうな具合から

この中に布団を入れていたのだろう。

まるで自分は檻の中から出ることなど

とうに望んでおりません、と

全てを拒絶するような配置だった。

または外敵から身を守るよう。


することもなく午後になるまで

教室を行き来した。

蒼先輩と多くを過ごす。

時々気分転換に一緒に

別の教室に移る。

とはいえ外の景色は変わらない。

2人でいることも疲れてきて、

やがて別々に行動しだす。


いくら気を許している相手だとしても

同じ人とずっといると

疲れてしまうことがある。

人の存在が恋しくても、

恋している相手でなければ

永劫に一緒にいてもいいとは

なかなか思い難い。

閉じ込められて数日ともなれば

できることに制限があることも

余計わかってしまう。

現に自室で何度も眠っている人や

自室ではないものの一室にずっと籠って

ぼうっとしているだけの人もいる。

反面毎日学校を探索している人もいるが、

疲弊の色が見え出していた。


かく言う自分も

教室をぐるぐる回るだけで

体の核が濁り出したような

何とも言い難い苦痛が滞在している。


杏「あ。」


歩いていると、

不意に音楽室が目に入った。

いつも定期的にクラシックが流れていたが

それが今日はぱたりと止んでいる。

珍しいと思うも束の間、

もしかしたら渡邊さんが

流していたのかもしれないと思う。

多分自分と同様、

見た目で損するタイプに見える。

だからこそ、クラシックを聞いているなんて

意外にも程がある。

もう少し話していればよかったとも

少しばかり思った。





°°°°°





彼方「言いたかったのは襲われる日を間違って認識してることじゃない。占い師や騎士は動いただろうってこと。」



---



彼方「話し合う前だったし能力を使ってても不思議じゃない。悪いことじゃないし。その占い結果、結構大事じゃない?」


詩柚「なるほどねぇ。」


彼方「んで、言わせてもらいます。羽元詩柚は人狼ではありませんでした。」


一叶「…まあ、ものすごい置き土産。」


彼方「言わずして死んだらなったことになるでしょうが。うちだって秘密は守りたい。そのためにももし謎が解けな言ってなった場合、念の為人狼に移ることも考えて言わない選択肢はなかった。」





°°°°°





杏「ああ言ってたしね。」


独り言は廊下で踊る。

うち以外誰もいなかった。


昨日のことを思い出していると、

ふと部室棟の話が上がったことを想起する。

もうひとつの選択肢は

鬼ごっこなんじゃないか、

部室棟の奥に黒い靄がいた。

そのふたつが未だに

脳内に残り続けている。

自然と避けていた部室棟の奥。

そこにふらりと足を伸ばした。


小さな体育館のような空洞と

部室が並ぶ廊下。

角を曲がったその1番奥にある部屋へと向かう。

そこには1人の影が揺らいだ。

目印になるクラゲヘアが

振り向くと同時にふわりと風を纏う。


一叶「杏?」


杏「こんなところにいたんすね。」


一叶「うん。ちょっと気になって。」


彼女は部室の奥を眺めた。

隣に立って中を覗くと、

それだけで心臓が冷えるようでゾッとした。


目で見ているはずなのに、

まるで目にフィルターがかかっているように

黒い靄がそこにおり、

ゆらゆらと蠢いている。


杏「これが…?」


一叶「多分。」


杏「鬼ごっこ…ねえ。」


一叶「ね。」


杏「一叶先輩はずっとここにいたんすか?」


一叶「初日から割とここにいるかも。」


杏「そうなんすか。何でまた。」


一叶「観察してる。時々動くから、何となく気になって。」


杏「ほう。動くって今こう…ゆらゆらしてる感じってことっすか。」


一叶先輩と一緒に中を覗く。

それでも靄はゆらめくだけで

特に何も動いていなかった。


一叶「ううん。場所を変えたり、多分寝転がったりとかする。」


杏「へえぇ…人間みたいっすね。」


一叶「人間なんじゃない?」


杏「え?」


一叶「だって鬼ごっこだよ?もしいろはの話を…都市伝説をなぞらえてこれを行っているんだとしたら、鬼は靄となる。」


じゃあ、人間でしょう。

一叶先輩は冷たい目をしてそう言った。

あたらめて振り返る。

靄は動いていなかった。


杏「こんな狭い部屋で何日も…?」


一叶「…。」


杏「ご飯とかどうしてるんすか。」


一叶「知らないよ。」


杏「そんな…。」


一叶「出してあげたほうが、とか思ってないよね。」


杏「え?」


一叶「思ってた?」


杏「…少しは。」


一叶「ここを開けたら多分、いつだって鬼ごっこは開始できる。」


杏「これを鬼とするならそうっすね。」


一叶「もしもの話。謎解きが最終日になっても解ける気配がなかったとする。最後の最後まで待つ?」


杏「待つしかないんじゃないすか。村人だし何もできないし。」


一叶「じゃあ更に仮定を。謎解きが進みそうになく、しかも人狼が暴れ出したとする。」


杏「暴れ…あぁ、自分の秘密が漏れるくらいであれば自分だけでもいいから勝つっていうルート…。」


一叶「そう。その場合、急遽この扉を開けばほぼ確定で自分が最後に鬼になる状況は避けられる。」


杏「この距離ですしね。」


一叶「そうだとしたら、鬼ごっこをすることだって視野に入れる?」


杏「一叶先輩はどうすか。」


一叶「私の意見に揺らぐ前に答えてほしいかな。」


もし謎解きルートも駄目で

人狼ルートも崩壊したら。

人狼ルートで勝てばいいだけと思う反面、

もし負けるルートしか

見えなくなってしまったら。

そうしたら、他の人を犠牲にしてでも

自分はその秘密を守りたいか。

無論。


杏「そうっすね。」


人を犠牲にしてでも秘密は守る。

自分のことは自分しか守れない。

自分が1番可愛いのだから、

他の人を気遣ってやれる余裕などない。

いらない。

そう思うと、今この靄を

「かわいそうだ」と思えた時点で

まだ余裕はあるらしいことが伺える。


一叶「そっか。」


杏「一叶先輩は?」


一叶「私も。」


杏「へえ、意外っす。」


一叶「そうかな。誰だって知られたくないことくらいあるよね。」


杏「そうっすね。」


一叶「だから七の言葉にはびっくりしちゃった。」


杏「ああ、秘密あるの?みたいなやつでしたっけ。」


一叶「そうそう。まっすぐでいいよね。ああいう子がいろんな壁を突破して進んでいくんだろうなっておばあちゃん臭いことを思ったよ。」


杏「まあ真っ直ぐではあるんですけど、周りが見えてない猛進はどうなんだろうとは思いますね。」


一叶「同い年なのにこんなに違うんだ。」


杏「環境とか経験とかいろいろありますし、人間違うことくらい普通でしょ。」


一叶「それはそうなんだけど、目の当たりにすると全然違うなあ、と。」


杏「うちのことばばくさいって言ってます?」


一叶「大人っぽい大人っぽい。」


杏「もう先輩の家遊びに行ってあげないっすよ。」


一叶「いやいや、杏が勝手に着てるだけだから。全然閉め出すよ。」


杏「え、やだ。遊びに行かせてください。」


一叶「あはは、結局じゃん。」


目の前に異様な光景が広がっているのに

こうして談笑していると

あたかも自分は普通で

この場所も普通だとすら

錯覚し始めてしまう。


けれど異常なのだ。

この場所も自分も全て全て。

それから目を逸らし続けている。

そのほうが楽だから。

怖くないから。

自分は真っ当だと安心し続けていられるから。

盲信は時に必要だと思う。

盲信は時に自信をくれる。

盲信は時に余裕をもたらす。

盲信は。

盲信はよく、全てを壊す。


クラゲヘアが揺れる。

「そろそろ別の場所に行こう」と

一叶先輩は足を踏み出しながら言う。

長いことこの部屋の前にいて疲れたのだろう。

その背中を追った。


杏「一叶先輩って結構「多分」って言いますよね。」


一叶「そうかな?まあ、絶対のものは絶対ないからね。」


杏「うわ、頭こんがらがるやつ。」


一叶「それと。」


杏「ん?」


一叶「先輩じゃなくていいよ。私はあの何とか戦線ってやつ賛成派だから。」


杏「ああ、忘れてました。」


そういえば昨日

藍崎が言っていたのだ。

「仲良くしよう」と。

到底できないだろうと思いつつ、

流れに身を任せることにする。


杏「これから気をつけるよ。」


一叶「気ままにね。」


杏「うす。」


気ままに適当に

目を瞑りながら返事をした。

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