塩素

何度目かの目覚めと共に、

ずしんと重力も目覚めるようだった。

幾度もみた天井。

複数回眠るせいで

見知ったものとなっている。


詩柚「ふぁ……ぁ…。」


成山ヶ丘を模した学校。

開かない扉や窓、

食堂にあらかじめ用意された食材、

ない手荷物、孤立したタブレットを思えば

模した、と表現するのが

手っ取り早かった。


ここに来てから既に3回の夜と

2回の朝を経た。

それでも外が暗いせいで

時間感覚が上手く機能しない。

どうせ何度も不規則に眠るのだし

意味はないとは思うものの、

それでも時間を知れない天気が

不穏をもたらしていた。


時計を眺むと昼の0時を回ったばかり。

ほとんどの人は起きて

学校を見て回るなり

自室にこもっていたりするだろう。

またはひたすら眠っている人だって

いるのかもしれない。

まるでネットのない時代の

人生の夏休みを覗いている気分だ。

反して、起きてもすぐスマホがなく

何も確認できないのは

精神的に良くなかった。


起きてから着替えを済ませ

跳ねた髪のままカーテンを開いて廊下に出る。

それぞれの部屋は

カーテンが開かれていて

誰もいないようだった。

皆教室から出ているなんて意外だ、と思う。

もしかしたら死角を利用して

実は中にいる可能性だってあるが、

そこまで気にする必要もない。

まず第一に気になる湊ちゃんは

そういうことをしない。


詩柚「さて。」


ぽつりと声が漏れる。

誰にも聞こえない、掠れた私の声。


学校に靴の裏の喧騒だけが鳴り響く。

誰にもすれ違いませんように。

ただ湊ちゃんだけに会いますように。


昨日、一昨年と見知らぬ人と出会ったり

過ごしたりすることになって、

湊ちゃんはさらに居場所を広げた。

どんどん知らない人に

なっているような感覚があった。

小学生の高学年からずっとそう。

私から離れていくたび不安ばかり募った。

安易に消えるものじゃない。

もしこのまま1人になったら、

孤独になったら、

そのまま1人で死んだら。

そういう、どうやっても尽きない不安。


私も色々な人と薄く薄く話はした。

園部さんは同じ学年なのに

しっかりもので頼り甲斐はある、

渡邊さんは綺麗な人だけれど

1人行動をしがち。

そのくらいはわかった。

それから湊ちゃんは

西園寺さんには懐いていることも。

私自身が他に依存先を作ればいいと、

そういう問題でもない。

そんな簡単に解決する問題なのであれば

スポーツなり芸術なり

ひと通り手をつけている。

人と関わってこんな不安から抜け出している。

簡単じゃないから苦しんでる。


もう少しで時間が解決してくれる。

だからこそ最近になって

忘れていた焦りが顔を出して来たのだ。

待てば。

待てば終わる。

今頭に描いているものだって。

この人狼ゲームと称した戯れだって。





°°°°°





『敗北した陣営の参加者は役職問わず

自身の最も隠蔽したい秘密が公開されます。』





°°°°°





絶対に。


詩柚「……湊ちゃん…どこ。」


絶対に守りたいものがあった。

だから負けたくなかった。

それは自分を守るため。

同時に彼女も守るためと考えると、

一層負けられないと思うばかり。


ひぐらしが幻冬に迷い込んだ。

それほど衝撃のあった日のこと。

夏と冬しか記憶はないもので。


自然と早足になっていた。

窓から窓に私が映る、移る。

窓の外は依然として暗闇。

出れない。

獣に食われた後のような気分だった。

酸に溶ける。

時間が経つまで待つしかなく、

それまで延々と皮膚を

焼かれ続けるような苦しみに耐える。

待つ。

待つだけしかできない。

その苦しみが途切れるまで

意識を持って、待つしかない。


た。

たた。

た、たた。


足早だったそれは自然と駆け足になっていた。

髪が揺れる。

ぱらぱらと頬を打つ。

口の中にそれが入りかける。

心臓がうるさい。

普段運動しないから

明日は筋肉痛に違いない。

自分の音が。

自分の足音すら大きくなる。

教室を横目で見ながら探していると、

ふと室内に人の姿が映った。

ただの空き教室に根岸さんが

1人座って外を眺めている。


扉を勢いよく開ける。

思っている以上に大きな音が生まれ、

驚かせてしまったようで

びくりと体を縮めてその場を立った。

足を止めてようやく気づく。

肩で息をしていた。


詩柚「ごめんねえ、急に。」


古夏「…。」


ふるふると首を振られた。

相変わらず寡黙な子だと思うも束の間、

そういえば園部さんが昨日

何か言っていたような、と思い出す。

根岸さんは喋ることが難しいの。

そうみんなに伝えていた。


詩柚「湊ちゃん…あー、高田湊って覚えてる?」


古夏「…。」


小さく頷く。

怖がらせるつもりはないのだけど、

立たせたままにさせていることに

申し訳なくなってくる。


詩柚「どこにいるかってわかったりするかなあ。」


できるだけ穏やかに言う。

すると、彼女は後ろの扉へと向かった。

そこから廊下に出て

「あっち」と言うように指を指す。

反対側の棟だった。


詩柚「ありがとねえ。」


古夏「…。」


目線を合わせてもらえないまま

彼女は背を丸めて教室に戻って行った。


根岸さんの指さす方向に向かう。

それはつい昨日

湊ちゃんと歩いた方向だった。

さらに進むと

途中寄った美術室が見えてくる。

西園寺さん曰く

油絵具の匂いのしないはりぼての美術室。


もし本当に湊ちゃんがここにいて

しかも西園寺さんと一緒に

いるのだとしたら。


詩柚「…っ。」


お願いだから湊ちゃん。

1人でいて。


その願いに反するように

美術室からは湊ちゃんの声と

誰かが話している声が聞こえた。

恐る恐る美術室の扉に手をかけて

そっと開いてみる。

2人の視線が集まるのがわかる。

そこには湊ちゃんと

案の定西園寺さんがいた。

彼女はおっとりと穏やかに微笑む。

まるで歓迎するようだった。


目を細める。

笑って見えますように。


湊「ん?おー!ゆうちゃんおはよん!」


詩柚「…うん、おはよお。」


湊「さっき起きたばっかり?」


詩柚「なんでわかったの?」


湊「いつもより髪の毛が跳ねてる気がする。」


ほらここ。焦って来たでしょ。

湊ちゃんは私のことなら

なんでもわかるよと言うように笑った。

嬉しかった。

それと同時に切なくなった。

湊ちゃんから見た私は

何も変わらなくとも、

私から見た湊ちゃんは

ずっとずっと変化している。

もう彼女のことを

何も知らないのかもしれない。


詩柚「起きたてなんだよねえ。」


湊「ご飯食べた?」


詩柚「ううん、まだ。」


湊「ちゃんと食べるんだよー?そうそう、今日もうちがご飯お手伝いしたんだよ!お馴染みの味ってのがあるから探してみてねん。」


詩柚「お昼は食べたの?」


湊「んーん、まだだね。ろぴもまだ。」


詩柚「そうなんだあ。一緒にどお?」


湊「そーだね、いい時間だし行こうかな。」


ね、ろぴ。

湊ちゃんが振り返って

西園寺さんに声をかける。

彼女は優しいから

みんなで何かをしようとした。

いつだってそう。

仲間外れにしなかった。

誘われた本人が望まない限り

大人数で、みんなで一緒にいる。


だからこそ半ば諦めていた。

西園寺さんもついてくるのだろう、と。

穏やかな視線と目が合う。

にこ、と笑われた。

わけもわからず負けたような気分になる。

この子は良くない。

私にとっても湊ちゃんにとっても。


いろは「お腹空いてないし私はいいやー。」


湊「本当に?湊さんぺっこぺこだよ?」


いろは「大丈夫大丈夫、お腹空いたら適当に食堂行くから。お構いなくー。」


湊「わかった!んじゃまたねん。」


いろは「いってらっしゃいー。」


そう言うと、西園寺さんは今日も

机の上でぐったりするように横になっては

猫のようにきゅっと丸まった。

まるでこちらに興味など

毛頭なかったかのよう。


2人で揃って美術室を出る。

まるで試合には勝ったけれど

勝負には負けたようだった。

その気持ちを払拭するかのように

湊ちゃんの腕を

ぎゅっと抱きしめてみる。


湊「ん?どしたの?」


詩柚「寝起きだからねえ。」


湊「あはは、もう眠いんじゃーん。食後すぐに寝るとよくないって言うし、もうちょっと後にしとく?」


詩柚「んー、少しだけ食べてまた寝よっかなあ。」


湊「いいとこ取りだ!いいなー。」


湊ちゃんは正面を見たまま

またわはは、と晴れの日のように笑う。

もうちょっとだけでいい。

湊ちゃんの隣にいて安心したい。

私と湊ちゃんの間に

微かな違和が積み重なりつつあることに

今はまだ目を向けたくなかった。





○○○





彼方「……はー…だる。」


相変わらず言葉に出して

天を仰ぐようにして椅子に座る。

肩甲骨のあたりに

学校ならではの椅子が刺さるようで痛い。

音楽室の椅子くらい

もうちょっと深さや柔らかみがあっても

いいのではないかと思う。


勉学をするための場所だと言われたら

まさにその通り、返す言葉はない。

ただ文句を言っていいのであれば

音楽を学ぶ場所だ。

心豊かにそれを聞いて

感想を述べよというのであれば

それ相応の環境を用意しろ、という話だ。

そこまで考えて、

何が心豊かにだ、と思う。

自分自身にそんなもの残りなどしていない。


再生を終え音の途切れたCDを取り出す。

教室の外に音くらい漏れていそうなのに

誰1人として来なかったのはありがたかった。

防音のためのカーペットや壁が

音楽室らしさを醸し出している。

家にはない環境。

いつも聞いている場所と違い

落ち着かないが

これはこれでよかった。

椅子以外は。


CDを仕舞い、次のものを再生する気にもならず

気の向くままに廊下に出た。


スマホがない生活など考えられなかった。

暇で暇で仕方がない。

Twitterは見れない。

長い動画どころか

いつもうちの暇を潰してくれる

短い動画群だって見れない。

広告を見て面白そうと思ったものを

ネットで調べて

そのままネットサーフィンへと

乗り移っていくなんてこともない。

誰かと会話することもない。

うちとそれ以外の9人だけの狭い世界。


うち自身閉じ込められること自体は

どうだってよかった。

そのまま殺されたって

特に何とも思わない。

むしろ清々する。

弟に残す金だって用意し終えた後だ。

何も案ずることはない。

ひとつ言うなれば弟が、

大地が中学を卒業するくらいまでは

見てやりたいとは思うかもしれない。

そのくらいうち自身が生きることに

執着はまるでない。


が、気になるのは弟のことだけ。

高校生にもなれば大人と相違ないが、

大地はまだ中学3年生だ。

まだ子供だ。

夜のことなど何もわからない。

うちが守ってやんなきゃいけない。


たった今1人で何をしているのか。

うちが帰ってこないことに

悲しんでいるのか、怒っているのか。

無事なのか。

命を絶っていないか。

それだけがずっと気がかりで、

ストレスへと変容した心配は

すぐに傷跡になったばかりの腕の凹凸を

掻きむしっていた。


彼方「…ちっ。」


大地が覚えているかはさておき、

塵同然の親と意図せずとも

全く同じ誤ちをしているのだ。

偶然であれ必然であれ

今うちがどうこうできずとも、

自分を許すことができなかった。


彼方「…治安悪。」


心も体もぼろぼろになりかねない。

音楽で穴を埋められなくなったなら

今度は別のものを探すのみ。

弟のことが頭から離れないながら

他の娯楽を求めて廊下に出る。

寒いとも暑いとも思わない

ちょうどいいはずの空気感のはずが、

安定しすぎていて

気持ち悪いとすら思う。

全てに不信感、不快感が募る。


図書室へ入るとそこには誰もおらず

空洞になったそれが密かに存在していた。

他の場所以上に沈黙を貫く。

教室によって不安への対処の方向が違うのだ。

音楽室は不安な時雄弁になる。

体育館は不安な時荒くなる。

図書室は不安な時ただただ黙る。

嵐が過ぎ去るのを待つように

時間を止めて言葉を発さずやり過ごす

小鳥のようだった。

人間より遥かに広い世界を知っている

小さな生き物。

言葉を発することはないが

紙を捲る程度の囀りだけを落とす。


目についた小説を手に取り

1番入り口から遠い壁際の席に座る。

こんな身なりだが

中身はマンガや小説を好む根暗でしかない。

見た目で損をするとは

こういうことなのだろう。

足を組んで面白くもなさそうな

聞いたこともないそれを読み始めた。


彼方「…。」


目で文字を追っていると、

頭の中の言葉を追わなくていい分

多少楽になった。

が、魚が泳いだ後のように

波紋はしばらくなくならない。

波が収まる前に次の波がたつ。

そうして心はいつまでも

ざわめき立っている。


その波を止めようと魚は泳ぐ。

泳いでも泳いでも止まらない。

当たり前だ。

自分が動いているのだから。

足掻けば足掻くほどそれは止まらない。

そしていつか、全てを諦めて

動くことすらやめた時に

皮肉なことに波は止まるのだ。


しばらくして突如

図書室の扉が開いた。

運がいいのか悪いのか

本棚のせいで誰が来たのかが見えない。

近づいてくる足音に警戒していると、

ひょこ、とふたつ結びが見えた。

うちに気づくと、

唐突に足を止めて目を見開いていた。


いろは「わ!びっくりした。」


彼方「こっちのセリフ。」


いろは「それもそうだねー。ごめんね。」


彼方「…。」


いろはは可否を問うこともなく

当然のように隣の席の椅子を

180°回転させて

本棚と向き合うようにして座った。

それから何を話し合うわけでもなく

また時間が過ぎた。

まるでうちの家に

2人でいるときのようだった。


互いに何をするにも干渉せず、

ただそこにいることだけわかっている。

何をしているか

それとなく把握はしていても

100まではわからない。

何を考えているかもわからない。

存在しているだけ。

もはやいろはが人間かどうかすら

疑いたくなってくるこの空白の時間。

ふと本から顔を上げる。

窓の外の色が目に入る。

自分が反射している。


初めは夜だ、と思った。

時間としても夜だったから。

けれど、体育館に集まった時にふと思う。

成山ヶ丘の体育館なら

すぐそこの床はコンクリートやら

砂やらは見えていてもいいはずだ、と。

砂らしきものの形はあった、と思う。

しかしコンクリートならではの

ごつごつ感がなかった。

ここは完全に知らない場所。

もしかしたら外でもないのかもしれない。

地下にある施設であれば

学校という巨大施設に対して

ここまで光を通さないのにも

納得しようと思えばできる。


どうやって連れてきただとか

眠っている間何故起きなかったのか等

何もわからず頭の奥が

気持ち悪いまま放置されている感覚はある。

嘔吐した後に口を濯がないぐらい

気持ちが悪かった。

が、窓や玄関以外の場所、

渡り廊下から飛び降りれば外に出れると思った。

しかし、手を伸ばした手前

何かガラスのようなものに

触れる感覚があった。

見えない壁と形容しても

差し支えない何かがそこにあった。

それは屋上も同様。

手すりを超えて飛び降りればと思ったが

守るようにして壁があるようだった。

しかも校舎から漏れた光しかないが故、

屋上の隅まで行けば

夜に呑まれて戻れなくなりそうだった。

夜が、外が暗すぎるのが悪い。


いろは「んー。」


彼方「…。」


いろは「暇だね。」


彼方「暇。」


いろは「懐かしい感じもするけど。」


彼方「どこが。」


いろは「うーん、学校行くのやーめよって思って家にこもって、なーんにもしてないあのときの感じ?」


彼方「不登校だったっけあんた。」


いろは「その時期があったっけくらい。別に学校とかいいか!くらいの。」


彼方「軽。」


いろは「うん。重くはなかったね。」


彼方「行きたくないとか行けないとかじゃないんだ。」


いろは「ただの怠慢だったと思うんだけどなー。」


彼方「普通逆だよ。」


いろは「え?」


彼方「病気って名前がついた方が安心すんだよ。実はあの時重かったとか言う方が普通じゃない?怠惰だったって自慢すること中々ないと思うけど。」


いろは「そっかー。」


彼方「興味なさそ。」


いろは「あるよ?多分。」


彼方「ないよ、それ。」


いろははふーん、と言うと

体重を後ろにかけて

椅子をぐらぐらと2本足で

ゆりかごのように揺らした。


彼方「この状況で怖いとか思わなさそ。」


いろは「あんまりかも?」


彼方「やっぱり。親が心配するかもとか考えないの?」


いろは「それは思うけど、でもあんまり生々しく想像できないなー。」


彼方「絵を描く人間が想像力欠如してていいもんなの?」


いろは「いいも悪いもないかも。」


彼方「つまんな。」


いろは「彼方ちゃんはある?怖いとか、いろいろ思ったりすること。」


彼方「あり過ぎて嫌になる。不安すぎて無理。」


いろは「大地くんのこと?」


彼方「そ。100%それ。うちが出れるとか出れないとかそれ以上に心配。」


いろは「じゃあ出なきゃねー。」


彼方「秘密ってさ。」


いろは「うん。」


彼方「うちら以外にも知られたりすんのかな。」


いろは「…さあ。」


わからないなーと

相変わらず呑気に言う。


いろは「大地くんには知られたくないことがあるの?」


彼方「ある。死んでもいい。」


いろは「そんなに?」


彼方「恥ずかしいとかじゃなくって、うちの努力とか諸々は大地が知らなくていいことだし。」


いろは「そっかー。」


彼女の相槌はいつだって

いい悪いの判別があまりなかった。

そっかー。

なるほどー。

そうなんだー。

合コンかって思うくらい

当たり障りのない返答をする。

その代わり、ちゃんと意見を求めるよう問えば

しっかり言葉として返ってくる。

まるで起き上がり小法師のような人間だ、と

前にも思ったのを思い出した。


いろは「私も本見てこようかなー。」


いろははそういうと

椅子を元に戻して姿を消した。

隣から存在がいなくなった。

振り向けばいるのだろう。

図書室のどこかにはいる。

それなのに、途端に1人

雨降る夜に放り投げられたような気持ちになる。

人といると人間強度が下がる。

1人でいればよかった。

何度そう思ったことだろう、

気づけば本を置いて

いろはの姿を探しに席を立った。





○○○





本を意味もなくぼうっと眺めていると

あからさまにタイトルで

興味を惹こうとしているもの、

本の内容がわかるよう

無難なタイトルにしたもの、

きっと脳内の思考が弾けるようにして

直感でタイトルを決めたもの、

いろいろ見えてきて面白かった。

どれを手に取るわけでもないけれど、

受験本からエッセイ、

借りたことのない生物の本、

英語辞書、芸術に関する本、

様々なものが目に飛び込んでくる。

ぐるっと1周見てみることにした。

本棚の間を歩き回っていると、

妖怪やら都市伝説やら

まとめられていそうなブースに着く。


いろは「…?」


ふと違和感がよぎるも

何故だろう、と不思議に思う。

よくよく見てみれば

その棚はタイトルに

「鬼」とついているものが異様なほどにあった。

意図してかき集めないとこうはならない。

私を除く8人の中に

いたずら好きな人がいたのか、

それとも元々こうだったのか。

それを考えているうちに、

ふと彼方ちゃんがやってきて、

何事か後ろから抱きついてきた。

彼女、背が高いなと思いつつ

目の前にあった本を手に取る。

ぱらぱらとめくると

鬼にまつわる情報集だった。

よくもまあこんなにまとめ上げたものだ。


いろは「何かあったのー?」


彼方「暇。」


いろは「そうだねー。」


彼方「さっき言ったじゃん。」


いろは「暇ってこと?」


彼方「不安すぎて無理って話。」


いろは「うん。したね。」


彼方「なんとかして。」


いろは「私がどうにかすることは難しいかな。」


彼方「できる。てかやって。」


いろは「人狼?それとも謎解きの話?」


彼方「違う。」


より力をこめられる。

肋骨が萎みそうだと

どうでもいいことを考えながら

またページを捲った。

最初は定番の赤鬼青鬼からだった。


彼方「抱いて。」


いろは「うーん、私はできないよー。」


彼方「何で。」


いろは「やったことないしへたっぴだからかなー。」


彼方「高校生でそんなことしちゃダメだよ、くらい言うかと思った。」


いろは「そんな感じする?」


彼方「見た目清楚系じゃん。」


いろは「清楚系の方が遊んでるって言わない?」


彼方「あんたに限ってはなさそう。」


いろは「おー。とにかく私はやめといた方がいいよー。」


彼方「最初は誰もが下手でしょ。」


いろは「そういうのは彼方ちゃんの形に合う人に頼んだ方がいいと思うんだ。」


彼方「大切にしてくれる人とか彼氏とか、将来の旦那さんとかそう言うことは言わないんだ。」


いろは「だって大切にしてくれる人だったら大切すぎて手を出せないかもしれないでしょ?だから彼方ちゃんの形に合う人の方が言葉としてちょうどいいかなーって。」


それに、と口を動かしながら

さらにページを捲る。

地方の鬼だろうか。

よくわからない絵と地図、

そして見たことのない名前の鬼の

説明文が連ねられている。


いろは「自分に対して加虐的にならなくてもいいんじゃないかな。今日くらい。」


彼方「明日は。」


いろは「明日決めたらいい。遠回しは良くないなんて言うけど、全てがその限りじゃないよ。」


彼方「どっちつかず。」


いろは「それも醍醐味だねー。」


彼方「うざい。」


いろは「私もそう思う。どこまで行っても自分の敵も自分の味方も自分だけじゃないかな。」


彼方ちゃんは自己肯定感が

低いんだろうな、と感じた会話が

節々にあった。

その度に、心の中の澱みを流すため

更に上の心地悪いことを行って

なかったことにしようとする時が

彼女には頻繁にあるように思う。

怖いものをより怖いもので

封じ込めようとしたって、

それはもっと怖くなっちゃうだけ。

…と私自身は思うけれど、

本人にとってそのような明確な意図は

ないのかもしれない。


彼方「何それ。じゃあ人狼は。敵いるでしょ。」


いろは「案外自分だけかもよ。」


彼方「いろはは人狼?村人?」


いろは「残念ながら。」


彼方「どっち。」


いろは「村人だよ。」


彼方「それ、残念なんだ。」


いろは「待つしかできないからね。」


彼方「勝ちたいのかないの。」


いろは「うーん、どうだろう。どっちでもいいかな。」


彼方「秘密とかないの。」


いろは「秘密ねー。見ての通りかな。」


彼方「へえ。」いつも思うんだけどさ。」


いろは「うん?」


彼方「あんたの言葉選び、毎回隙間を狙ってくるよね。」


いろは「そうかな?隙間?」


彼方「予想してたものと絶対あり得ないものの間を見事に突いてくる感じ。」


いろは「あはは。それはお互い様だよー。」


彼方「あそ。いいよ、飽きた。」


そこまで言うと

彼方ちゃんは離れてくれた。

やっと穏やかに息を吸える。

酸素が腹の底まで

回るような気がした。

それと同時にページを捲る。

夢鬼と書かれていた。


彼方「ずっと何読んでんの。」


いろは「鬼の本。」


彼方「面白いの?」


いろは「なんだか難しい。」


彼方「てかここの本棚だけきしょいよね。」


いろは「そうかな。」


彼方「成山とここだけ違いすぎてきしょい。」


いろは「違う?」


彼方「うち割と図書館に行ってたから大体どこにどんな本があるかって覚えてるけど、ここのブースってこんな感じじゃなかった。」


いろは「確かにおかしいなとは思ってたけど。」


彼方「キモい。アピールがすぎる。」


いろは「ふうん…?」


アピール。

その言葉が妙に当てはまるような気がした。

作られた空間なのだから

全く同じにされていないところも多い。

油画もそう。

時計もそう。

その中でここまで書籍は

全く同じように配置して、

ここだけ変えたのだ。

明らかにこれをヒントにしろと

言っているようなものに思えた。


いろは「ちょっと手伝ってくれないかな。」


彼方「ここの本見るって?」


いろは「うん。」


彼方「趣味悪そうなものばっか。」


そう言って彼女は同じ棚にある

都市伝説の本を手に取っていた。


夜になっても2人で図書室に篭っていた。

その中でやけに気になったのは

都市伝説らしい夢鬼というものだった。

夢の中で鬼ごっこをするものらしく、

鬼になった人は他の人から見たら

黒い靄となっているようだ。

実際その伝説では

呪いやら何やらが関わっているらしいが、

単純に鬼ごっこと考えるなら

それもレクリエーションには

なり得そうだとも思う。

実際本棚には鬼にまつわる

伝承や絵本、研究の本。

それから都市伝説。

さまざまなあったが、

不思議だったのは

小学生の図書室にも置いてありそうな

鬼ごっこで勝つための本であったり

色鬼や高鬼と言った

鬼ごっこ総集編のようなものがあったりした。


彼方「鬼ごっこありそう。」


いろは「やっぱりそう思う?」


彼方「これがもしここから出るためのもうひとつの方法だとして、鬼は誰?」


いろは「ステルスで既に割り振られてるのか、それとも誰かいる…とか?」


彼方「不審者じゃん。」


いろは「わからないよ、いるかもよ。」


彼方「大体こんな人数いて見てない部屋とかあんの?」


いろは「ロッカーとか、個室トイレの奥とか。見てない場所って案外ありそうじゃない?」


彼方「死体探しみたいで嫌なんだけど。」


いろは「鬼ごっこかもって言うのがわかったまではいいけどさ…これ、どうなんだろうね。」


彼方「何が。」


いろは「鬼ごっこがもうひとつの方法で、鬼もまあ誰かだったとするじゃん?」


彼方「で?」


いろは「鬼ごっこが終わる時ってあるのかな。」


彼方「時間になるまでやるんでしょ。」


いろは「最後鬼だったら?」


彼方「そいつが負け。」


自分で口にしてから気づいたのか

彼方ちゃんは顔を上げて

本をぱたんと閉じた。


彼方「犠牲になるのは1人で済むんだ?」


いろは「ただ時間いっぱいまで使うんだったら結構かかっちゃうね。2週間くらい?」


彼方「タッチしたらそいつ、お役御免で現世に戻ったりして。」


もしそうだったら1番手っ取り早いのに。

彼方ちゃんは自分が犠牲者になるなど

1ミリも思っていない口ぶりでそういった。


今日は投票もなく

七ちゃんから「集合!」と

放送がなることもなかった。

鬼ごっこについて確信のないまま

みんなに話すことも気が引けたので、

彼方ちゃんとはその場で解散した。


自身の教室に戻ると

広すぎる部屋が出迎えてくれる。

普通であれば贅沢だ、と

はしゃぐのかもしれないが、

広すぎるが故に虚しくなるばかりだった。

身の丈に合わない。

まるでホールケーキを買って

1人で食べているような気分になる。


早々布団に潜り込む。

新品だった匂いのそれは

もう私の匂いで紛れていた。


もし今日人狼が協力してくれるなら

誰も噛まずに明日を迎えられる。

人狼ゲームの何が楽しいのか。

するのも見るのも好きではなかったし

常々疑問だった。

人は案外隠したいことや

バラしたくないことがあるらしい。

それはとても人間らしいと思う。


いろは「おやすみなさーい。」


人間らしい。

と、思う。

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