満ち足りた空洞
七「んーっ…。」
目が覚める。
眩しい。
廊下から光が漏れているみたい。
自分がどんな寝相で起きたかも忘れて
スマホへと手を伸ばす。
けれど、ぶつかるのは床だけ。
かつん、かつんと自分の爪が鳴る。
七「あれ?」
体を起こす。
すると、そこは見覚えのない…
…いや、そうだとはっとする。
教室で1人寝転がっていたのだ。
昨晩、何故か学校にいて。
そしてTwitterで繋がっていた
9人と顔を合わせて、
時間だからそれぞれの部屋に入って
すぐに眠ったのだ。
疲れていたのか、それとも眠る前に
スマホをいじっていなかったからか
思っている以上に入眠が早かった。
改めて部屋を見回すと、
前方に机が寄せられている。
掃除の時間の時のようだ。
ひとつの机の上には
全く同じ制服の着替えらしいものが
何着か置いてある。
扉のあるタイプの
正方形のロッカーが並んでいる。
ひょい、と飛び起きて
全ての扉を開く。
すると、掃除ロッカーの真横のそれに
歯ブラシやティッシュといった生活必需品や
下着が仕舞われていた。
七「すごい、配慮されてるってやつだ!」
自分のものではないとは言え、
外から見えないようにしてあるあたり
単に嫌がらせをしたいだけで
誘拐拉致をしているわけでは
なさそうだとたどり着く。
杏ちゃんあたりに話せば
「安直だ」と澄まし顔で言われるのだろう。
そこに、1枚の茶封筒があることに気づく。
手に取ると、何か入っているようで、
開くとそこにはカードが1枚。
奇怪なイラストと共に書かれた言葉。
「あなたは村人です」と
たったひと言だけ書かれている。
そう言えば昨日のルール説明で
人狼ゲームも選択肢のひとつだ、と
言っていたような気がする。
誰にも見られないよう
その封筒をまたロッカーに戻した。
七「んー!…ん?」
起きて背伸びをする、
壁の時計にはAM7時の文字。
けれど、までの外にはまだ闇が広がっている。
私のいる教室や他の部屋から漏れた
微かな光分先が見えるだけ。
一体この学校は
どこに建設されているのだろう?
成山ヶ丘高校に似てるって
いろはちゃんは言っていたけれど…。
本当にそこならばもう少しで
生徒が登校してくる時間になる。
しかし、まるで学校全体に
黒い布を被せたかのように
何も見えないままだ。
出ようとすると、扉には真っ黒な
カーテンがかけられるように
なっていたことに気がつく。
昨日はどうやらすぐに眠ってしまって
気づかなかったらしい。
七「うーん…?」
疑問に思いながら廊下に出ると、
誰が書いたのだろう、
窓にメモが貼られていた。
あまりの達筆さに感嘆する。
そこには『朝起きたら食堂へ』と
書かれている。
廊下はやけに静かだった。
食堂に行くといい匂いがしてきた。
飛ぶようにしてカウンターの方へ行くと、
そこには談笑している湊ちゃんと蒼ちゃん、
それから杏ちゃんがいた。
湊「おー!おはよん。起きたー?」
七「おはよ!何これ、すごくいい匂いする!」
湊「でしょー。朝お腹すいたなーって歩いてたらここのキッチンに食材があってさ。生きる分には不便しない感じだったよ。」
杏「蒼先輩と湊先輩が作ってくれて、それで張り紙は古夏先輩がしてくれた。」
七「へー、字上手だね。」
紙、持って凝ればよかったなあ、とこぼす。
食べて戻ったら回収しよう。
てっきり蒼先輩の字かとそうではなかったらしい。
見た目や第一印象によらないものだなあ、と思う。
七「何話してたのー?」
湊「みんながどの順番で起きてくるか予想してたんだ。今の所杏ちゃんが冴えてる。」
杏「あれっすね。競馬とか競輪とかしてる気分っす。」
蒼「杏なら将来してても不思議じゃないわね。何故か予想がつくわ。」
杏「まあ1回はやってみたいですけど。」
七「みんなもう起きてるの?」
杏「あと起きてないのは…あのほわほわしてる組じゃない?外はねさんと2つ結びさん。」
蒼「羽元さんと西園寺さんね。」
杏「もう覚えたんすか。」
七「他のみんなは何してるの?」
湊「さあ…?うちらはご飯支給組みたいな感じでここにいるけど、みんなは結構ばらばらに過ごしてるかも。うちも把握してないんだよね。」
杏「あ、でもあれ。さっき一叶先輩が体育館に行ってもう1回タブレット見てきたって言ってて。ルールが見返せるってことと今日は投票日みたいなこと言ってたっけ。」
湊「あ!言ってた言ってた。」
スマホのない時代はこうして
誰の行動も自分で確かめに行かなければ
ならなかったんだろうなと不意に思う。
仲のいい友達がいれば
一緒に過ごして暇を潰したけれど、
生憎今の私はそれどころじゃない。
ご飯を食べて「ごちそうさまでした!」と伝え
すぐに放送室に向かった。
寝ている人もいると聞いたが
朝もいい時間、
そろそろ起きたって良い頃のはず。
そう思って昨日いろはちゃんがしていたように
つまみをゆっくりとあげて
同じくらいの場所で止めた。
七『あ、あー。おはようございます!今日はみんなに提案があります!集まりたいところだけど、寝てる人もいるしこのまま聞いてね。』
息を吸う間にすうう、さー、と
放送している時独特の音が鳴る。
狭い室内は退屈だし好きではないけれど、
まるで世界に繋がっているようで
やはりワクワクする。
七『今日は…みんなで学校探検しよう!まずは何があるかいろいろ探して、他の出口がないかとか…えーっと…とにかくいろいろ探すの!』
もしかしたら校内に何かがあって
それが解決の糸口になる
なんてこともあり得るのかもしれない。
七『あと、聞いた話なんだけど今日は投票日らしいから、夜の10時くらいには1回集合して少しだけ話そう。流石に独断で吊っちゃ駄目だと思う!だから夜集合、それまで自由!』
まるで宝探しをするような気分だった。
むしろ、本当にお宝が見つかるかもしれない。
その空想が声に乗った。
七『何か急用があれば放送する感じで!じゃあまた夜に!』
そう言ってつまみを下げる。
ふぅ、と息を吐くと
そこは音のない静かな空間だった。
そっか、音楽もテレビもないんだ。
七「つまんないなあー。あ。」
そう言えばお昼の音楽とかって
放送で流れていたことがある。
好きな曲を流しているのを
聞いたことがあるあたり、
CD以外の媒体、それこそ
スマホを使って…。
そこまで考えてスマホすらないことを思い出す。
それなら、何かしら探せば良いんだ。
テレビのひとつやふたつくらい
あるんじゃないか?
実際教室には授業用だけれど
テレビが上から吊り下がっている。
七「よおし!」
その場を勢いよく立ち、すぐに離れる。
まずは体育館から最も遠い場所、
仮に1棟と名付け、
その上層階から全て回ってみよう。
たんっ。
いきのいい足音が生まれた。
昼になり昼食を取るまで
ひたすらがらんがらんの校舎を見回った。
空洞な校舎ということもあり、
誰かが話していたらその声が、
誰かが歩いていたらその足音が
いつも以上によく聞こえてきた。
学校に登校するときは
いつだって生徒が多かった。
9人で独占しているほうが変な話だ。
だからこそ一層、
特別感が胸を躍らせた。
上の教室から窓を開けようと試みたり、
ロッカーを開けて回ったけれど
これと言って特に何もなかった。
ロッカーは全て開けるにも
とんでもない数になる。
はっとしてうんざりしてやめた。
テレビのリモコンも触ってみたけれど
電源はつくだけで何も起こらない。
普通の教室から入ったこともないような部屋、
それこそ職員室の奥や校長室にも立ち入った。
人がいないからこそ入れるのに、
人がいないことに対して奇妙な感覚がした。
書類が積み上げてあったり
戸を開けたらファイルがあったりしたけれど、
1番上だけ雰囲気のある印刷がされており、
他は真っ白な紙が挟まっているだけだった。
先生たちのデスクにはパソコンがなかった。
他の人の部屋に入れるのか
気になって手をかけるも
鍵がかかっていたのか
入ることは叶わなかった。
そして外は変わらず真っ暗。
時間感覚がわからなくなりそうで、
改めてアナログ時計でなかった理由が
わかるような気がした。
1棟、2棟、体育館と歩くも
隔絶された場所であることを
ひしひしと感じるだけだった。
いろはちゃんに出会っては
「今起きたー」と話したり、
彼方ちゃんとすれ違っては
会話なんてものはなかったり。
時計を見るともう昼手前。
最後に部室棟を見回ることにした。
成山ヶ丘の部室棟は
すでに誰かが入ったのか
ぽ、と光を灯していた。
体育館と2棟の間にある渡り廊下を歩む。
頭の上についた電球が頼りだった。
柵のついた渡り廊下。
その奥は既に闇。
もしここから道を外れて
ずっとこの先に向かってしまったら
戻ってこれなさそうとすら思ってしまう。
暗闇から見ればこの校舎は
酷く眩しいに違いない。
すぐに見つけて戻ってこれると
考えればわかるものの、
一寸先が見えないことに
初めて悍ましさを感じた。
部室棟は体育館よりも狭く、
今度はバドミントンコートが
2つほど張れるほどの大きさのフロアに
全面鏡が施されており、
部室が10以上連なっていた。
部室棟ということもあり
入ってすぐのところには
簡単にシャワーを浴びれる場所もある。
かた。
靴の音がやけに響いた。
新設なのだろうか、
随分と新しいように見える。
七「成山って広いんだなぁ。」
運動場は見えないし
真っ暗になっていて
行けるかどうかわからないけれど、
もし全貌が見れるのだとしたら
大層広いことだろう。
扉の小窓から部室を眺む。
バスケットボールやコーンなど
様々なものが視界に飛び込んでくる中、
ふと角を曲がると
そこには一叶ちゃんがいた。
部室棟の1番角の部屋の前で
ある1室をぼうっと眺めている。
足音がしたからか、
ふと彼女が振り向いた。
一叶「あ、七だ。」
七「こんなところにいたんだ!みんな結構ばらばらなところにいるね。」
一叶「あはは。七がそう言ったんだよ。」
七「それもそっか!何かあった?」
一叶「うーん…。」
一叶ちゃんは首を傾げてから
何度か瞬きした後、
さっきまで彼女が見ていた場所を指差した。
奥の部室を見ろ、ということらしい。
ひょいと彼女に近づいてその窓を覗く。
そこには、一体何なのだろう、
黒い靄がそこにあった。
地面から煙のように揺らめいているが
消える様子もなく
はたまた靄が大きくなる様子もない。
まるで映像表現を見ているよう。
部屋の隅で蹲るようにして
もくもくと靄が生きている。
窓の外は他の部屋と違い
その奥に何かが見えそうな気がした。
僅かに何かしらの輪郭が
あるように見える。
床には変色した跡がいくつかあった。
まるで何かを溢したような跡。
凹んだ掃除ロッカー。
まるで何かが暴れた後のよう。
その時だった。
ふと靄がゆらりと動いた。
まるでその場で横たわった獣のよう。
七「…っ!」
一叶「動いた?」
七「う、動いた…!」
一叶「たまに動くんだよ。最初ものすごく気味が悪かったんだけど、気になって観察してたんだ。」
七「な…何これ?」
一叶「わからない。人狼ゲームにこんな要素ないだろうし、かと言って謎解きは元の世界でできるんでしょう?」
七「開けたらどうなるんだろう。近づいてみ」
一叶「やめた方がいい…と思う。」
七「でも気になるじゃん!」
一叶「気になるのはそうだけど、なんか嫌な感じがする。ぞわぞわする。言ってることは伝わってるよね。」
七「…うん。」
わかると言えばわかる。
落ち着かないといえばいいだろうか、
そこはかとない不安が
漣のように存在している。
視界に光が一切入らない場所で
あちらこちらから小さな音を、
爪でかつんと机を鳴らす音、
ペンを落とす音、カッターを割る音が
聞こえてくるような気持ちだった。
意味もなく無根拠に
ここにいたくないと思ってしまう。
ただの映像表現だとしても
ここにこれがあるには
何かしらの意味があるんじゃないか。
だって職員室の書類は
あんなにも無駄を省いたのだ。
もし徹底するなら偽装生徒の情報や
成績表を作っていたっておかしくない。
七「別の方法?」
一叶「え?」
七「ほら、ルール説明のやつ!」
°°°°°
『上記2つの他にも
現世へ戻る糸口がある場合がございます。
自由に話し合ってご決断ください。』
°°°°°
七「可能性があるとしか書いてなかったからそんなものないのかもしれないけど、もしあるんだったらこれ…とか?」
一叶「靄をどうやって使うんだって話だけど…まあ、あり得なくはない…かも?」
七「なんかあれだね、こうしてこれを見てると動物園にいるみたい。」
扉には触れないようにしつつ
それでも近くに寄って眺む。
倒れ込んだように
今度は横長の靄となったまま
ゆらめくだけで動かない。
一叶「確かにね。」
一叶ちゃんはひと言、
靄は見慣れたのか
冷めた口調で言っていた。
○○○
朝は蒼さんや杏ちゃんと
食堂で過ごしたけれど
何もしないことにも飽きが来て、
みんなが起きたことを確認してから
食堂を出ることにした。
蒼さんと杏ちゃんも
七ちゃんの放送を機にここを後にした。
放送があって1、2時間。
ろぴが食堂に来てから
少ししてようやく
ゆうちゃんが顔を出した。
いつも以上に髪の毛が
跳ねている気がする。
湊「ゆうちゃんおっはよー。」
詩柚「おはよお。元気だねえ。」
湊「これでも眠れなかった方だよん。うちもお昼ご飯食べようかな。」
詩柚「もうそんな時間なんだ。」
湊「そうだよ。たくさん寝たね。」
詩柚「今日は特にねえ。環境の変化が多いとどうしても。」
湊「普通逆じゃない?緊張して眠れないとかよく言うし。」
詩柚「逆なんだよねえ、それがまた。」
配膳した朝食を2人で食しながら
ゆうちゃんはのびのびとした声でそう言う。
誰もいない食堂。
2人だけの広々空間。
普段通りならばここから
部員がランニングしたり
ボールを蹴ったり
しているところを眺められるのに、
今日ばかりはそれがない。
確とついている電灯も
何故か心許なく見えてくる。
まだお昼のはずが
真っ暗なまま時間がすぎる。
お皿を下げて洗ったのち伸びをする。
それでも外の空気がないせいで
気持ちのリセットがなかなか上手く入らない。
詩柚「何しよっかなあ。」
湊「さっき七ちゃんが放送でね、「みんな校内探索だー!」って言ってたよん。それで分散中。」
詩柚「なるほどー。」
湊「散歩がてら適当に歩く?」
詩柚「運動だね、運動。」
この学校内にはみんないるのだろうけど、
近くには誰もいないのか
てんで音がしない。
時計の針の音ももちろんない。
聞こえるのは2つの靴音と
隣にいるゆうちゃんの呼吸だけ。
詩柚「こうして2人でいると田舎を思い出すねえ。」
湊「上京して3年目ですってよ。信じられる?」
詩柚「信じる他ないよねえ。」
湊「それもそっか。」
詩柚「懐かしいなあ。湊ちゃんの家まで送って帰るの、結構好きだったんだよね。」
湊「好きじゃないと9年間にもわたってできないでしょー。」
詩柚「いいや、4、5年だよ。」
湊「あれ、そうだっけ?昔からそんな感じだった記憶があるからてっきりうちが小学生になってからずっとだと思ってた。よく覚えてるね。」
詩柚「そりゃあね。」
当たり前だよ、とゆうちゃんは
愉悦気味に笑った。
詩柚「小さい時からずっと知ってるんだから。」
湊「うちが生まれた時のことって覚えてる?」
詩柚「私いくつ?」
湊「自分でわからないんかい。」
詩柚「ふふ。でも流石に物心ついてないんじゃない?」
湊「うちが気づいた時にはもういたからさ。記憶ない間も含めると17、8年の仲だよ?やばくない?」
詩柚「ねー。姉妹ってくらい近いよねえ。」
湊「うちらって馴れ初め何だったの?」
詩柚「馴れ初めって。」
湊「あはは。初めて会った時のきっかけがさ、うちは本当に記憶ないくらい小さいしわかんないんだよ。」
詩柚「私も気づいたらって感じだったし、親同士で関係があったんじゃないかなあ。ほら、あそこって世間狭いし。」
湊「あーね。」
た、たた。
2つの足音が鳴る。
こうしてゆうちゃんと
同じ学校に通うことはないと思っていた。
実際ない予定だった。
ないはずだった。
小学生の時以外で
年齢的に所属が重なることはないから。
けれど今。
ゆうちゃんの異様な行動から
うちらは同じ高校に通っている。
詩柚「ねえ、湊ちゃん。」
湊「ん?」
詩柚「湊ちゃんは、人狼?」
湊「んーん、全然。」
詩柚「そっかあ、よかった。」
湊「ゆうちゃんは?」
詩柚「同じだよ。」
ゆうちゃんは全てを見据えたような目で
こちらを眺む。
そして微笑む。
恋する乙女のように。
しかし、全てを投げ出す直前のように。
彼女の周りは常に
消えそうな何かで
覆われているような気分だった。
気を抜いたらこの学校の外に
引き摺り込まれてしまいそうなほど。
詩柚「何があっても私が守るからね。」
湊「えへへ、こっころづよーい!」
うちはゆうちゃんのこと嫌いじゃない。
けれど、一概に好きとも言えない。
好き…というより、
長年のよしみからある程度の信頼はある。
それだけだった。
嫌いじゃない。
が、彼女はいつだって
一緒に落ちてくれる人を探してるようで
心が落ち着かなかった。
うちは明るくいたい。
楽しくありたい。
彼女はきっと暗くてもいい、
暗い方がいいと思っている。
光にあった方が
一層影が強くなるように。
彼女が戻ってこれない光のない場所から
引き摺り込まれてしまうのではないかと
心配している間に、
いつの間にかこちらまでもが
同じ方へと歩いているかのよう。
今隣で歩いている。
まさにそれが証明のような気がして。
ぐるりと歩いていると、
先日ろぴと出会った美術室群が見えた。
体と心が赴くままに
ふらふらと寄っては扉を開く。
誰もいないこと承知だった。
誰かがいたらいたでそれは嬉しかった。
そこには美術室特有の
6人で座れる大きな机がいくつかあり、
そのうち最も窓側の奥の机が
2つ繋げられていた。
その上で人が寝転がっている。
お姫様のように綺麗に上を向いて
腹部に手を重ねている。
近づきながら声を上げた。
湊「ありゃ、ろぴじゃん!」
いろは「んー。」
彼女は眠そうな声を上げて
顔だけこちらに向けた。
まるでコールドスリープから
目覚めた人間のようだった。
ゆっくりと体を起こすと
ひとつ伸びをして足を垂らし机の上に座った。
どこから引っ張ってきたのだろう、
美術部がよく身につけている
つなぎを着ていた。
湊「こんなとこで寝てたの?」
いろは「まあねー。床で寝転がってると流石に事件っぽく見えちゃうから、せっかくだし机の上で。」
湊「わはは、床で寝てたら飛んできちゃうね。」
いろは「そちらは…えーっと、羽…。」
詩柚「羽元詩柚です。」
いろは「羽元さん。そうだそうだ。こんにちは。」
詩柚「こんにちはあ。」
いろは「2人で行動してる感じ?」
湊「うちらはそんなとこ!とりあえずお散歩しようくらいのテンション。」
いろは「なるほどー。そうだ、ちょっと前から思ってたんですけど。」
そう言ってろぴの視線が
ゆうちゃんの方へと移る。
この2人が話しているなんて
とても不思議な気分だった。
2人ともうちにとって
大切な人であることには間違いないが、
まさかこの人たちが
対面して関わることがあるなんて。
ある一種感動のような、
面白みのようなものを味わいながら
その会話を聞いていた。
いろは「湊ちゃんとはお知り合いなんですか?」
詩柚「うん。昔馴染みだよお。」
いろは「じゃあ上京も?」
詩柚「一緒にしてきてるねえ。」
いろは「そうなんですねー。」
すると、ちら、とろぴが
こちらを見たのがわかった。
「ああ、あの」と言いたげな目だった。
ろぴには名前は伏せていたが
ゆうちゃんのことを話したことがあった。
だからだろう、
少々警戒しているのが見て取れた。
湊「そうだ、なんかわかったこととかあった?」
いろは「あのねー。ここ、本物の成山ヶ丘ではないことくらいしかわからないかも。」
湊「確かに全部デジタル時計になってたり誰も登校してこなかったり、2-3みたいな札がうちらの名前だったり。変なところはたくさんあるけど。」
いろは「匂いだよ、匂い。」
湊「匂い?わはは、そんな犬みたいな。」
いろは「この美術室、油画の匂いがしない。」
すん。
またろぴは鼻を鳴らした。
言われてみれば確かにそうだ。
ろぴと会った数日前、
美術室前で嗅いだ香りとは全く違う。
しっかりと覚えているわけではないけれど、
鼻の奥に残るような
強い香りだったことは覚えている。
再度嗅いだら「あ、これこれ」と
思うに違いない。
詩柚「そう言えば廊下にあった絵も匂いはしなかったよねえ。」
湊「そうかも?あんまし意識してなかったや。」
いろは「作られてるねー。」
湊「ん?」
いろは「このために。」
いくらかかってるんだろうー、と
いつもののほほんとした声が届く。
机から降りてさらに伸びをする。
それから長座体前屈のように
立ったまま足へ手を伸ばす。
ひと通り体を動かし終えたのか
「おっけー」と言う。
いろは「やっぱり一環かなー。」
湊「…?」
いろは「あれだね。筆洗に筆を突っ込んで洗ってるけど、洗うべきは筆洗の外…パレットやそもそも美術室そのもの、学校全体だったー…みたいな。」
湊「ん?待て待てい、どゆこと?」
いろは「人間の思考から外れた思考はできないってこと。」
ろぴはぐしゃぐしゃになっていた
ふたつ結びを結び直しながらそう言った。
○○○
図書室には怪物が住んでいて
ここを占領しているのかと思うほど静かだった。
時折誰かが廊下を通っては足音がし、
2人以上であれば話し声もした。
その度に顔を上げて
図書室の隅へと潜り込む。
まるで避難訓練をするかのように
機敏に本棚へと姿を隠した。
古夏「…。」
本を閉じる。
現段階で1番の娯楽だと思って
図書室に来たけれど、
本を読むにも体力がいる。
1時間もすれば頭の奥が
燃えてちりちりになる思いがして
そっと本を閉じた。
こう見ると本が並んでいるだけなのに
シノジョ…私の通う
横浜東雲女学院とは
また違った雰囲気があって面白い。
赤本や問題集も潤沢に並べられており
勉学に力を入れているイメージ通りだった。
読んでいた小説を元の場所に戻し、
本棚一帯をぐるりと見渡す。
自己啓発や哲学の本も揃えられている。
それからさまざまなジャンルの小説に
数学や物理、英語の本。
そしてなぜかワンコーナーを
全て占めている伝統にまつわる本の数々。
伝統にまつわるのみであれば
これだけの本が揃っていても
そこまで不思議ではない。
が、異様だったのかそこに
やたらと鬼の記載があったことだった。
泣いた赤鬼や青鬼の絵本をはじめ、
鬼の伝統、鬼の研究、
タイトルになくとも目次にあったり、
逆にほんの1文しか記載されていなかったり。
私自身たまたま酷く
同じ文字が目についただけかもしれない。
ひとつの本棚で3つ同じ文字を見つけてしまい、
そこから全く同じ文字ばかり
探しているのだろう。
他の本棚でもそうなるはずだ。
試しに本棚を変えてやってみる。
今度は天気のことばかり飛び込んできた。
古夏「…。」
自分の思い違いだとひと呼吸置く。
ここまで1人になったことがないからか、
1人に慣れているつもりだったと思い知る。
普段学校でも家でも
ありがたいことに話しかけてくれる人がいた。
それは先生だったり、
声でなくとも陽奈ちゃんだったり、
それから家族、姉だったり。
それがないのだ。
あまり認めたくないけれど寂しかった。
誰かとあったとて話せないし
1人の方が断然気楽であることに
変わりはないと言うのに、
自室に篭りさえしなかった。
がらら。
図書室から1歩踏み出す前に
廊下を確認する。
誰もいなかった。
次第に不安が募っていく。
もしかしたらみんなどこかで
集まっているんじゃないか。
そうなればあの元気な子、
藍崎さんがまた放送で声をかけそうな気もする。
もしかしたらみんなで
既にここから出ているんじゃないか。
とくとく、と心臓が強く打ち出す。
もしもみんな出ていたらどうしよう。
声をかけてくれなかったんだ。
それもそうか。
昨日出会ったばかりだ。
私はSNSでも言葉を発していない。
交流をしていない。
声をかけてもらえる筋合いなんてない。
だから悲観的に皆を責めることだって
無論できない。
みんな、誰かは知っているようだった。
1人は親しい人のいる中で、
喋ることもできない私が孤立するのは
自然のことだった。
ただただ誰かが居ますようにと、
1人でいい、のこっていてほしいと願いながら
段々と早足になりながら歩く。
学校の隅の方まで来た時、
ふと笑い声がした。
そのまま進むと、
被覆室と書かれた札が目に入る。
誰かがいた。
よかった。
胸を撫で下ろす。
心臓と、その奥の森が
穏やかになるのがわかった。
扉から覗くと、
そこには昨日私のことを見て
同じクラスだと言った園部さんと、
ボーイッシュな恰好をしている
忽那さんがいた。
2人は仲がいいのか
朝からずっと一緒に行動している。
起きて食堂に行った時は
高田湊さんと園部さんの2人だったけど、
高田さんのお願いで
各教室に紙を貼ってから戻ってきた時には
既に忽那さんがいた。
その時からおそらく一緒に
いるんじゃないだろうか。
学年を超えて仲がいいなんて、
私にとっては夢のまた夢の出来事だった。
もし普通の学生生活を送れたら
一体何をするだろう。
授業で発表したり
体育に参加したりすることが
楽しくなったりしたのかな。
買い物に出かけるのが好きになったり
食べ歩きが好きになってたりしたのかな。
そのどれもが遠い。
遠い。
蒼「根岸さん?」
古夏「…っ!?」
考え事をしすぎた。
心臓が飛び跳ねると同時に
肩を縮め見上げると、
園部さんが鋭い眼差しでこちらを見ていた。
左右を見る。
隠れられるような場所はない。
肩を縮めたまま会釈する。
すると園部さんは「よかった」と言った。
ずっと話したかったの。
そう言って被覆室に入ってと
促すように手を部屋へ向けた。
ごめんなさい。
話せないの。
そう口でさっさと言えればよかった。
そうすれば園部さんの期待も何もかもを
崩さなくて済んだだろう。
逃げ出したくて仕方なかったが
あまりに強く驚いたせいか
何もできないままで突っ立っていた。
すると、園部さんは
『ありがとう』の手話をした。
古夏「…!」
そう言えば同じクラスと言っていた。
『私が話せないことを知ってるの?』
頭が回らないまま手話をしていた。
園部さんは困ったように笑う。
蒼「ごめんなさい。勉強していないからわからないのよ。でも何かを伝えようとしてくれたことはわかったわ。」
この人は思っている以上には怖くない。
そう思えた瞬間だった。
杏「何々、何の話っすか。」
古夏「…!」
蒼「こっちの話よ。」
杏「えー、仲間はずれっすか。あ。」
この2人が並ぶと
何だか絵画に迷い込んだような気分に
なると思っていた矢先、
忽那さんと目があった。
緩みかけていた肩がまた縮む。
かっこいいと思っていた忽那さんだが、
対面すると何だか遊んでいそうな人に
見えてしまった。
杏「先輩のクラスメイトでしたっけ。」
蒼「ええ。根岸古夏さん。」
杏「ども。忽那杏です。…って知ってるか。」
古夏「…。」
杏「あははー…自分、こんな身なりで背もでかいし怖いっすよね。」
古夏「…。」
首を横に振る。
怖いと思ったのは外見じゃない。
杏「本当っすか。優しいー。先輩、LINEってやってます?」
蒼「すぐそうやって距離詰める。」
杏「ここまでがワンセットの冗談ですよ。うちLINEの人数案外少ないんですから。」
2人がどんな関係なのか気になったが、
紙もペンも近くになく
どうしようもなくなって
スカートを握り皺を作った。
このままでも困らせるだけと思い、
深くお辞儀をして戻ろうと思った時だった。
杏「失礼だとは思うんですけどもしかして話せないんですか?」
古夏「…。」
小さく頷く。
忽那さんは「そうでしたか」と言う。
杏「昨日自己紹介しんどかったっすよね。申し訳ないです。」
蒼「藍崎さんは…まあ、ああいう性格だから。このことみんなに共有してた方がいいんじゃないかと思うんだけれど、どうかしら。そっちの方が根岸さんにも負担なくていいんじゃないかしら。」
このこと。
私が話せないことだろう。
どうするか迷った。
知ることで気を遣わせることもあるし、
知らないことで手を煩わせることもある。
聞かれたらその時に…と思ったけれど、
話し合いの多そうなこの日々の中で
伝えずバレずは無理だろう。
隠していることでもない。
伝ったって仕方のないことだ。
こくん。
諦めるように頷いた。
そのまま深くお辞儀をする。
十分話した。
話してもらえた。
それだけで十分だった。
人と会いたい欲はある程度満ちた。
ただ、嫌悪感が優勢になりつつあった。
頭を上げてそのまま目を合わせず
結局逃げるようにしてその場を去った。
22時頃になるまでに
皆ぽつぽつと夕食を取ったり
お風呂があることを知って
シャワーを浴びに行ったりした。
夜になって早々
園部さんとまた会っては
「必要になる時があるかもしれないから」と
どこから持ち出したのか
小さなメモ帳とペンをくれた。
『ありがとう』。
そう手話すると僅かに微笑んで
すぐにどこか行ってしまった。
やはり気を遣わせているのだと思う。
夜になると自然と
また体育館に集まっていた。
タブレットを中心に壇上で円になる。
渡邊さんと羽元さんは
変わらず壇の下から覗き込んでいた。
タブレットには
「1/7回目の投票です」と
文字が浮遊している。
湊「んじゃ7回吊るチャンス…現世チャンスは待ってるってわけだ!」
杏「今日の投票はどうするっすか。時間も良い頃合いだしそろそろ決めないと。」
詩柚「そうだねえ。眠くなってきちゃうよ。」
彼方「だから立ってんだ。」
詩柚「うん。ご名答ー。」
一叶「あの、ひとつ提案なんだけど。」
七「なになに?」
一叶「今回は見送るっていうのはどうかな。」
見送る。
それは謎解きのためのチャンスを
1度逃すことになる。
ゲームは動かさず、
人狼も村人も減らさない。
平和のまま終わりたいのに、と
本心では納得できなかった。
津森さんが続けて話す。
一叶「確か初回って人狼は噛めないんだよね?」
いろは「そうでしたねー。だから今日の夜は何もないはず。」
一叶「1度ゲームのことは忘れる。ゲームを止める選択肢もあると思ってる。だから占い師、霊媒師、騎士も動かない。」
湊「えっ。いやいや、そこは動いてても損ないんじゃないの?」
一叶「公平にするだけだよ。その代わり人狼にも動かないでもらう。信頼の上でしか成り立たないし出会って数日…互いのことはほぼわからない。難しいことを言ってるとは思ってる。けれど、わがまま承知でお願いしたい。」
刹那、短い沈黙が場を制する。
真剣なことは伝わる。
けれど、ゲームのリスクをみるに、
謎解きを優先するのであれば
延期するのは痛い。
結局それは決断を
先延ばしにしているだけじゃないか。
が、羽元さんは深呼吸をして口を開く。
詩柚「…まあ、良いんじゃないー?それに、ルール説明の時にあった別の方法だっけ、も気になるし。」
杏「確かにそんなことも書いてあったっすね。今日1日を通して気になったこととかありました?」
湊「んー、ずっと夜なこととか?」
いろは「それを言ったらここにいること自体も全部気になるけどー。」
杏「それもそう。」
彼方「てかさ、人狼って普通夜の時間から始まるよね?」
蒼「世間一般的にはその方が多いわね。」
彼方「話し合いから始まるとかおかしくない?」
七「どういうこと?」
彼方「つまり一般的の通り行くならば、昨晩既に夜の時間だった。人狼は動けないし何も起こってないようには見える。」
七「えーっと、なるほど!じゃあ人狼に襲われる可能性があるのは今日の晩じゃなくて明日の晩ってことだ!」
彼方「……はぁ。」
失望するようにため息を吐く。
間違ったことは言っていないはずなのに
どうしてそんなに呆れられているんだろう。
渡邊さんのため息ひとつで
空気に緊張が走るのがわかる。
ここに長く居たくないと思う手前、
昨日声をかけてくれた高田さんが
真剣そうに言った。
湊「そもそもさ、現世…元の場所に帰れるって書いてあったけど、それってほんとなのかなとも思ったりするんだよね。実は死んじゃいます、みたいな。疑いすぎかな。」
詩柚「それは私も思ったよお。疑うのは当たり前だし疑いすぎることはないと思う。」
彼方「身内意見じゃん。」
詩柚「うん。でもね、信じるしかないんじゃないかなあ。残された側は連絡手段がないから本当にわからない。結果がわかる約2週間後まで、待つしかないんだよ。」
一叶「もう少し何かないか探す。それでも情報がないようであれば、人狼か謎…その2つから選ぼう。」
七「多数決?」
杏「一旦謎の方にかけてみてもいいと思うっすけどね。でもそうするなら人狼を2回吊っちゃったら終わるんで、せめて残り1人になったら教えてもらう…とかすればいいと思うんですけどどうっすか。」
いろは「全員現世側に戻らないと進まないとかあるんですかねー。」
蒼「スマホに謎の一部が振り分けられてるってあったはずよ。親しい間柄の人の情報を得ることはできるんじゃないかしら。」
杏「頼むも何もうちらこっちにいるんすから、勝手にロック解除しない限り見れないですよ。」
湊「まあまあ時間もいい時間だし、話し合いは短めだけどこの辺りですぱっと決めときましょうやん。」
一叶「吊るのは次回から。それまでどちらの陣営も動かない。次回までに他の方法がないか探す。これでどうかな。」
詩柚「一旦はいいと思うよー。」
その他何人かが賛成の意図を伝える。
流されているだけなのか
意思を持ってよしとしているのかはわからない。
ただ、渡邊さんは最初から最後まで
特にどちらとも言わなかった。
タブレットを回して
指示通りに操作を行う。
その日の犠牲者はいなかった。
みんな投票しないを押したらしい。
七「よかったー!」
一叶「ありがとう。」
七「このままハッピーエンドに突っ走ろう!それから謎も解いて」
杏「うるさいうるさい。早く戻りましょ。」
七「わー!杏ちゃん意地悪ー!」
いろは「あははー。声出るねー。」
藍崎さんは相変わらず初日から
驚くほどはきはきと話す人だった。
みんながそれぞれ校舎に戻る中、
最後尾を歩いていた私の隣へ
ひょいひょいと石の上を
飛ぶようにして来た。
七「ね、やっぱり終わるならハッピーの方がいいよね?」
古夏「…?」
七「秘密だっけ。みんなそれが守れて元に戻るの!」
何だか楽しそうだった。
よくわからないけれど頷く。
すると、彼女は一層煌びやかな笑顔を向けた。
七「ほんと!?私もそう思ってた!」
ハッピーエンドの方がいいよね、の問いに
答えたと思われたらしい。
届かないほど元気な子だと思った。
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