とかなくてしす

人生はタイミングだ、とつくづく思う。

これが人生のハンドルを握っている。


運はいいに越したことはない。

しかし、悪い時は必然とある。

ただ、タイミングが良かっただけで

最悪の事態を避けれることは数多ある。


たとえば交通事故。

一瞬の差が生死の境目となる。

たとえば出会い。

朝たまたま乗る車両を変えたら。

たとえば買い物。

用事のない休日に行くか、

それとも学校帰りに寄ってみるか。

たとえば受験。

今年受けるか来年受けるか。


タイミングが選べる時もあるけれど、

突然降りかかってくることには

選べないことも多い。

選べないタイミングが

悪意を持って襲いかかってきた時、

それを運が悪いと言うのだろう。


たとえば、飼い猫が亡くなったことも。

たとえば、私が絵を描くことを辞めたことも。


いろは「うわぁ…。」


たとえば。

学校内でたまたま茉莉ちゃんに

会えたと思ったら、

その隣にいる人が中学時代の

美術部の先輩だった今も。


入学式を行った日曜日はまだ良かった。

いろいろな人と知り合えて

仲良くなれそうな子だっていた。

が、入学式を除くと初日だというのに

この運の悪さと言ったら

驚いても驚いてもキリがない。


茉莉ちゃんだけなら話しかけようと思った。

けれど、隣にいる人を見れば

その気すら失せた。

茉莉ちゃんから声をかけられると思った。

短い間だったがかつて同じ中学で、

放課後何度も一緒に過ごした。

私はたまに絵を描いて、

ほとんどを一緒に勉強した。

しかし、茉莉ちゃんと目があったものの

私に気づかなかったのかそのまま

歩き去ってしまった。

記憶を失うとはそう言うことなのだ。

1人廊下を足早に去った。


茉莉ちゃんと出会ったのはネットだった。

18月の雨鯨というグループを結成して以降

たまたま中学校で出会った。

雨鯨での出来事を忘れる。

それすなわち私たちは出会っていない。


高校の授業が始まった。

皆が並んで1人の人の話を聞く。

不思議な光景だと何度も思った。


放課後、あちらこちらで

どの部活へ見学へ行くかと

話している姿がいくつも目に入る。

新しくできた友達からも

数言言葉を交わし、

ふと廊下に出てみた。


何もしたくない。

けれど、何かしないといけない気がする。

その意思に突き動かされて

自然と校内を歩き回る。


いろは「…。」


成山ヶ丘高校に進学を決めたのは

ある程度学力の高いところに行った方が

のちに良いと思ったから。

ここに通っている知り合いが

多いと言うのもあった。

雨鯨のメンバーである

国方茉莉ちゃん、高田湊ちゃん。

それから家に時折

遊びに行かせてもらってる渡邊彼方ちゃん。

それから幼馴染の嶺麗香ちゃん。

同い年こそいないものの、

制服や教科書を譲ってもらえたり

どの部活、どの先生は

どう言った特徴があるのかなど

教えてもらえたりと

ラッキーなことが多かった。


ここまで理由を並べてみても

それらしい理由がない。

表面上のことしか見えていない。

高校はどこでもよかったのだ。

それに尽きる。


保健室前、部室棟、音楽室、図書室、

放送室、被覆室、特別教室、理科室。

ぐるりと学校で回り

最後に辿り着いたのは美術室だった。

この高校の美術部には

力を入れているのだろうか、

何故か美術室がふたつに分かれていた。

皆殆どが第1美術室の方に集まっているようで

第2美術室は真っ暗のまま

静かに佇んでいる。

まるで幽霊船のよう。

油絵具特有の香りが鼻を突く。

教室の入り口には

受賞した絵なのか、

F80号のものがいくつか壁にかけられていた。


油絵具を塗る前に

アクリル絵の具で補色を塗ること。

人の肌を塗るには血色を出すため

アクリル絵の具で緑色に塗ったのち

ピンクベージュで塗るのがいいこと。

油絵具はアクリル絵の具のように

毎度洗わなくて良いこと。

懐かしいと思うものが多い。

けれど、油絵を描きたかったかと言われると

そうではないのかもしれないと

時々疑念が過ぎる。

そもそも絵を描きたかったのか。

絵が好きなのか。

描くことが好きなのか。


いろは「そうでもないよね。」


第2美術室の扉に手をかけた時だった。

聞き覚えのある声に

はっとして振り返る。

その人はどうやら

何人かの友人とわいわい

賑やかに話しながら歩いている。

片方だけ長い横髪、

流した前髪、ひとつ結び。

この前アイコンが変わっているのを

目にした彼女。

それからあの通る声。

元気をお裾分けしてもらえる

あの陽気な雰囲気。


確実にあの人だ。

そう思うも、声をかけなくてもいいと考え

無視しようとした時だった。


「あの!」


いろは「…?」


「もしかしてろぴっすか!」


見つめていた彼女は

とてとてと近づいてきては

そう臆することなく言った。

一緒にいた友人らしい人は

先にどこかへ向かっているようだ。


いろは「…うん。相変わらず元気だねぇ、秋ちゃん。」


湊「ふふふー。でしょでしょう!まあ気軽に湊先輩と呼びたまえよ!」


ろぴ、とは秋ちゃん

…湊ちゃんがつけた謎のあだ名。

湊ちゃんはありとあらゆる面で

センスがずば抜けている。

いいとも悪いとも言わないでおく。

そのセンスはあだ名づけにも及んだ。

昔ろぴの由来を聞けば、

私の活動名が白だったことから「ろ」をとり、

可愛げあるように見えたらしいので

可愛さの権化「ぴ」をつけたとのこと。


いろは「はあーい。湊ちゃん。」


湊「話を聞いていたのかねー!」


いろは「ごめんなさーい。…どうして私ってわかったの?」


湊「美術室、おとなしそうな雰囲気に1年生のネクタイカラー!」


いろは「おお、さすがー。」


湊「こんなところにいてどしたの。部活見学?」


いろは「ううん。なんか良い場所ないかなって。」


湊「良い場所ねえ。静かな方がいい?」


賑やかなところだった

いくらでも連れて行けるけど。

湊ちゃんは腕捲りをしながら言う。

部活勧誘どころかそのまま

横浜、渋谷や新宿にまで

連れて行きそうな勢いだ。


いろは「そうだね。図書室とかになるのかな。」


湊「ここ、使ってない教室なら良いと思うけどねん。聞いてくるよ。」


行動が早いことに

第1美術室に入っては

先生と話をしているのが見えた。

すぐに戻ってくると

第2美術室は補習の人がいる時と

学校でのイベント、

そして授業中にしか使われないとのこと。

「だから使って良いってさ」と

湊ちゃんは嬉しそうに言った。


いろは「ありがとう。私、自分で聞きにいけばよかったね。」


湊「いいのよいいのよ。うちの居場所にもさせてちょ。」


いろは「もちろん。」


ここは誰ものための居場所であって

私たちの居場所ではない。

それなのに、人がいないだけで

占有し特別感を味わうなんて卑怯だ。

正々堂々美術部に所属してから

ここを使えばいいものを。

そう考える自分がいる。


それでも第2美術室は

他のどの教室とも違う雰囲気に

惹きつけられるものがあった。

美術部に所属していない私だからこそ

思えたことに違いない。


窓からの光が薄々と部屋を満たしている。

湊ちゃんが電気をつけると

その泡のような柔らかさがなくなり、

夏のような激しい光の灯火に変化した。

どうやら第1美術室と第2美術室は

間に美術準備室のような幾分も小さな空間で

繋がっているらしい。

扉を閉めていれば全く気にならないが、

僅かに美術部員たちの話し声がする。


湊「まずは掃除か!」


いろは「用事とかあるんじゃないの?」


湊「あるけどいいの!うち案外サボり魔だから。」


いろは「留年したもんねー。」


湊「とほほ。」


いろは「でも、湊ちゃんは真面目だと思うよ。」


湊「がはー。一体どこを見たらそうなるんだい。」


いろは「絵。」


湊「絵?」


首を傾げるその人は

まるで鳩のようだった。


湊ちゃんは画伯と評されるほど

一般的に見れば絵の形は取れていない。

人によっては何を描いたのか

わからない程らしい。

Twitterを遡れば彼女の絵は

ちらほらと出てくる。

形にとらわれない絵だった。

自由奔放で、でも一生懸命に線を紡ぐ。

味があってとても好きだった。

いつか画集や絵本を作って欲しいと密かに思う。

彼女の見える世界が

そのまま映っている。


絵は言語だ。

絵を通して話すことができる。

客観的に話していると

湊ちゃんはとても上手な人だと思う。

人との距離感、場の盛り上げ方、

雰囲気の維持の仕方。

自然とこなしているところが

もはや才能と言える。

悪口も言わなかった。

だから湊ちゃんのことは

他の人以上にブラックボックスだった。

負の部分を異様なまでに隠しているのか

元よりそのような人格を

私が理解できないだけなのか。


けれど、絵を通して会話をすると

僅かその壁のような皮が剥がれた。

湊ちゃんは真面目だ。

頑張り屋さんというよりも

真剣に向き合おうとする姿勢から

真面目だと思うようになった。

当の本人は思い当たらないらしく

掃除が終わる頃もまだ咀嚼し切れていなかった。

「そういえばさ」と

箒をしまいながら言う。


湊「ろぴの本名って聞いたことあったっけ?」


いろは「忘れてるか…もしかしたらないかも。」


湊「なんて言うの?」


いろは「西園寺いろはだよ。」


決まって「西園寺ってお金持ちっぽい」と

言われていた。

そう言われるのもわかるし、

現にネットで調べたら

お金持ちそうな苗字ランキングは

1位になっている。

そのようなことが返ってくると思った矢先、

湊ちゃんは

「じゃあろぴって呼べるじゃん!」と

嬉々として声を上げた。


湊「いろはのろ、ろぴ!」


いろは「あはは、確かにー。」


彼女の声がよく響いた。


第2美術室の後方は

文化祭などに使用するものなのだろう、

背の高いボードを

パーテーションとして区切っており、

奥には使われていなさそうな

筆洗やキャンバスを張る用の

布などが置いてあった。


わけもなくパーテーションの前で

掃除したばかりの床に寝転がり、

鞄を枕にして下から教室を見渡した。

湊ちゃんは汚れるよとも言わず、

むしろ「あったかそう」と

隣で体操座りをした。


湊「ろぴさぁ。」


いろは「うん。」


湊「絵、描かないの?」


いろは「うーん。」


湊「あ、でもTwitterで時々絵、投稿してたじゃんね?」


いろは「30分の適当なやつね。」


湊「あれで適当!?はぁ、すごい世界にいるもんだ。」


いろは「もう描けないかな。ちゃんとしたやつは。」


湊「ふうん。うちはろぴの絵好きだからまた見たいな。」


足を伸ばしてぷらぷらさせながら

駄々をこねる子供のようにそう言った。

もし目の前で絵を、

他でも良い、人生の長い時間をかけて

行ってきたそれを辞めた人がいたら

なんと声をかけるだろう。

無理しないで?

気が向いた時にまたして?

待ってます?

お疲れ様?

いいや、どれでもない。


よかったね。

そう言うだろう。


隣で座る彼女はスマホを取り出し

前のめりになりながらそれを見つめていた。

目を見開いているように見える。

その奥のかけられている時計が鳴る。


いろは「Twitter、大丈夫なの?」


湊「あー…あれね。なんか大変なことになってるやつ。」


いろは「うん。」


湊「うちの恋人がいたり、友達がいたりでさ。結構繋がってそうなんだよね。ある子とある子が先輩後輩っぽかったりもするし。」


いろは「…へー。」


湊「…。」


いろは「…。」


湊「ろぴ」


いろは「私もだよね。」


湊「…うん。」


珍しく声を落として

その画面を近づけてくれた。

西園寺いろは。

いつものふたつ結びの写真。

見慣れない場所での撮影。


いろは「だって雨鯨から3人も引き抜かれたんだよ?逆に私いなかったら寂しいじゃんー。」


湊「いやあそれはそうだけど、なんて言えばいいのかね、ちょっとゾッとするね。」


いろは「ゾッとする?」


湊「これまでのこと、うちら一応見てきてるわけじゃん。部分的にだけど。」


いろは「うん。」


茉莉ちゃんが曲を作っていないと言い出したり

私がお姉ちゃんと呼ぶ

従姉妹である奴村陽奈が

声を失ったことに関係している。


湊「もしかしたらうちもみんなのこと忘れたり、五体不満足になっちゃったりするのかなって。」


うちだけじゃない、と

できるだけ平然を装いながらも

声が揺らぐのがわかった。


湊「ろぴもそうだし、ゆうちゃんも、他の人も。」


いろは「その時は無くしたままでもいいんだよ。」


湊「うちはやだよ?」


強く真っ直ぐな眼差しで私を刺す。

寝転がったままの私は

自分の腕で天井からの光を

遮るようにして埋めた。

湊ちゃんは雨鯨の解散を

最後まで嫌がっていた。

あるものが壊れるのが

酷く嫌なのかもしれない。

でも、人を基準に執着して生きていたら

それこそめんどうだ。


人は人だ。

会話ができる、赤の他人だ。

そんな全く別の存在に

希望や欲を抱く方が理解し難い。


いろは「なるようになるよ。」


湊「なるようにする派!」


いろは「あはは。確かにそうだねー。」


大方腹は括っていた。

むしろ1度…1年半前に

それらしいものに関わった時から

覚悟はできていた。

当時、幼馴染の麗香ちゃんと

その友達2人とトンネルの奥に向かった。

奥には魔女の住んでいそうな

木造のお屋敷があり、

中に入れば部屋と部屋がランダムに

繋がっていたり、

天井まで届く大きな本棚があったり、

最後には家だかトンネルだかが崩壊したり。

けれど、後日そこに向かえば

そんなものなかった、という。


あのような出来事が

今度は私たちを標的に

1年間降り注ぐ。

自然現象か、誰かの意図によって。


自分のスマホを確認するのは

家に帰ってからで良い。

今は別のことを考えて

最後の晩餐のようなひと時を

時間の制限なく過ごしていたかった。

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