隙間風

「お荷物は以上ですね。」


杏「はい。ありがとうございます。」


「ありがとうございましたー。」


声の大きく清涼感のあった

若い配達員の方は

そうひと言いうと小さく会釈して

扉の前から去っていった。

まさかうちが家主ではないと思うまい。

玄関先に置いてあったハンコを

元の位置へと戻した。

手元には何とか片手で

抱えられるほどの段ボール。

宛名には津森一叶の文字。

つい先日学生マンションで

隣の部屋になった人の名前だった。


杏「一叶せんぱーい、届け物ー。多分教科書ー。」


「はーい」と奥から声がする。

数秒して足音が聞こえた。

軽い足取りなのがわかる。

扉が開かれると

そこにはクラゲヘアの彼女がいた。


一叶「どうもありがとう。重かったでしょ。」


杏「そうでもないっすよ。」


一叶先輩は来週から

横浜東雲女学院へと転入する2年生だった。

学校は異なるものの年齢だけを見れば

うちからはひとつ上の先輩になる。

彼女は玄関マットにあぐらをかいて座り込み

その場で段ボールをバリバリと破いた。

上は随分と分厚そうなパーカーを

しっかり着込んでいるのに対し

ショートパンツを身につけていて

すらっとした足が

コンパクトに曲げられている。


新品の教科書を見るや否や

「おー」と匂いを嗅いだり

ぺらぺらとページを巡ったりしていた。

それから「見て」と言ってきては

「解けないでしょ」と得意げに言ってくる。

生物だった。

そりゃあまだ入学式もしてないっすから。

彼女の散らかした段ボールと

教科書を包んでいた

ビニール袋をまとめながら言う。

すると「私も」と

今度は数学の教科書を開いた。

今年学習する内容なのだから当たり前か。


杏「もうすぐっすね、始業式。」


一叶「そうなんだよ。緊張するなぁ。」


杏「あはは。大丈夫、なんだかんだ言ってちゃんと友達出来そうだし。それに蒼先輩と同じ学校なんすよね?」


一叶「そう。」


杏「じゃあ尚更大丈夫っすよ。わからないことは蒼先輩に聞けば大抵何とかなるから。」


一叶「逆に何とかならないことは?」


杏「んー、家庭環境と融通の利かせ方?」


一叶「何その2つ。絶妙。」


杏「でも知り合いだったんすよね?」


一叶「随分と昔のことだし、流石に記憶とはちょっとずれてたかも。」


杏「まあでも2、3日一緒に過ごしててわかったでしょ。あの感じ。」


一叶「いい奥さんになりそう。」


杏「そういうこと。」


一叶先輩はうちの持っていたごみを受け取り

教科書とそれを持って

リビングへと向かった。

1Kのこの学生マンションは

玄関からキッチンやお手洗いのある

短い廊下を抜けて扉を開くと

新品のベッドやテレビが置かれた

真新しい香りのする部屋があった。


一叶先輩とはほんの数日前に出会った。

と言うのも、うちもこのマンションに

引っ越してきたのが数週間前、

成山ヶ丘高校に進学すると

決まってからだった。

親元を出たくして仕方なく、

反対を押し切って

学生マンションに越した。

ここにした決定打は

中学時代の先輩である

園部蒼先輩がいたことだった。


同じ演劇部として

園部先輩と一緒にいられたのは

短い時間でしかなかったが、

その後委員会や自習室で出会うことが増え

自然と親しくなっていった。

そもそも部活内での

蒼先輩の振る舞いが好きだったこともあり

願ったり叶ったりだった。

先輩が中学を卒業して学校からいなくなった。

蒼先輩と同じ高校に行こうかと思った。

けど女子高だと聞いて断念した。

女子校は自分には合わない。

諦めて成山ヶ丘にした。


時を戻して数日前。

一叶先輩が引っ越してきた時のこと。

蒼先輩から連絡が入ったのだ。

「知り合いが引っ越してきたから

荷解きを手伝って欲しい」と

スタンプも絵文字もなく

クエスチョンマークだけで済まされている

簡素な文が送られてくる。

最近で言うマルハラに

彼女はいずれ該当しそうな人間だと思いながら

二つ返事で引き受けた。

手伝い先は角部屋の隣人だった。


大まかな荷解きは1日目で終え、

細々としたものを2日目で終えた。

蒼先輩がてきぱきと指示をしながら

掃除もしつつそれを行った。

荷解きが終わり

今後関わらないだろうと思っていると、

翌日何故かインターホンを押されて

ラムネを持ってきてくれた。

「昨日のお礼。あと余ったから」と

良くわからない文言を言う。

流れで彼女の部屋に行くことになり

そこで動画を見たり

彼女の持っていた漫画を読んだりと

自由に過ごしている。


元よりうちの家では至る所から

人の声がしていた。

どこにいてもお父さんの知り合いの人がいたり

兄弟にも似たそこそこ親しい人がいたりと

声の溢れる場所にいた分、

1人の環境に慣れるまで時間がかかる。

現にたった1週間で

あれだけ嫌だった場所に

戻ろうかとすら思ったことがあった。

人のいるところにいるのは

自然の流れだったように思う。


一叶先輩は焦茶色をした

4脚の椅子に腰掛けると

数学の教科書を眺めていた。

勝手に彼女のベッドに寝転がる。

窓際にあるお陰で日は入るはずが

生憎の天気で台無しだ。


一叶「蒼のところにもこうしてよく居候してるの?」


杏「居候て。言い方っすよ。…んー、蒼先輩のとこには行かないかなぁ。」


一叶「行かないんだ?」


杏「だってあれだけきっちりしてるんすよ?多分うち死ぬほど汚す。」


一叶「あー。」


杏「うち怠け癖が限界突破してるんで。蒼先輩がうちの部屋見たら阿鼻叫喚。叫び散らかしますよ。」


一叶「めちゃくちゃ汚いじゃん。」


杏「冗談抜きで。」


一叶「だから行かないんだ。」


杏「機会あったら行きたいっすけどねー。」


一叶「行けたら行く。」


杏「そのくらい信用ないすか。」


笑いながら言う。

一叶先輩は「ない」と

鼻で笑いながら言った。


彼女はどちらかといえば

おとなしい方だった。

常に人の声がしていたような

自分の家とは異なるけれど、

それでも人がいるという

その感覚が欲しかった。

いつも話しているわけじゃないけれど、

壁を隔てず人の温度感が近い場所に

いれることがよかった。


人肌が恋しい。

寂しいといつまでも脳の隅で囁く。

だから一叶先輩みたいな

1人でも大丈夫です、と

他人と距離を置きそうなタイプの人間が

うちみたいな人と仲良くできるとは

あまり思っていない。

良くある4月だけの仲。

いずれ鬱陶しくなって追い出される。


杏「先輩はさー。」


一叶「うん。」


杏「何で引っ越してきたんすか?しかも2年生の時になって。」


一叶「2年生でも別にある話じゃない?親の都合だよ。」


杏「そういうもんすか。うちずっと持ち家なんでわからないからさ。」


一叶「持ち家なんだ?マンション?」


杏「いいや一軒家…あれは一軒家なのか…?」


一叶「わかんないことある?」


杏「あはは、いやいやマンションじゃないんで一軒家ではあるんすけど、なんかこう…多分想像してる感じとは違うかなって。」


一叶「なになに豪邸なの?」


先輩は興味深そうにこちらを見ては

教科書を閉じて

寝転がっていたうちの側に座った。


杏「そんなんじゃないすよ。一叶先輩は?」


一叶「ふっつうの場所。」


杏「まじすか。」


一叶「マジ。ガチで。」


杏「実は好きな人がいて、そのために引っ越してきたとか!」


一叶「女子校。」


杏「今ご時世的には別におかしくないっすよ。」


一叶「残念ながらご期待に添えず。それに恋愛に突き動かされて引っ越すことはしないよ。」


杏「え!遠距離耐えられる系?」


一叶「そもそも恋愛に興味ない系。」


杏「そんな人いるんだ!?やば、別次元の人間だ。」


一叶「聞くけど付き合うとか好きとか何がいいの?」


杏「いいじゃないすか。1人を愛し愛されるその関係。この人のものになりたいなとか、この人がずっと近くにいてくれたら幸せだなとか。ないすか?」


一叶「へえ、ない。」


杏「あーもう人生7割損来た。」


一叶「好きが絡むと人間関係拗れない?特に恋愛的な意味だと。」


杏「それも一興っすよ。取り返しがつかなくなっても、そのくらい相手のことを好きだったんすよ?恋は病っていうでしょ?でも実際、恋は薬だと思うんだよね。特効薬。」


一叶「わかんない。」


杏「うわー。分かり合えないか。てか話変わるんすけど一叶先輩1人暮らしできるんすか。そこにレジ袋転がってるし、なんかドジそう。」


一叶「出会って4日で馬鹿にされても困るんですけどー!」


たしんと1発

腹を叩くようなそぶりをされ、

けたけた笑いながら

近くにあったクッションで防ぐ。

ぽす、と乾いた音がした。


一叶「今日ちゃんと買い出し行ったし。」


杏「どこに?」


一叶「コンビニ。スーパーちょっと遠い。」


杏「わかるっす。」


一叶「美味しいメロンパン見つけたからあげる。」


杏「あげる?」


一叶「よっ…と……はい。」


杏「いや、ベットの上で渡されても。寝返り打ったら潰れるから。」


一叶「ふぁーい。」


床でへたれたレジ袋へと

またパンを戻しながら

彼女は通常通り口を開いた。


一叶「そういえばさ、今年度アカウント作ったんだよ。Xの。そしたら早々乗っ取りきた。」


杏「え、マジすか。」


一叶「嘘だと思うじゃん?見てよ。」


肘をつき、彼女が傾けてくれた

その画面を覗き込む。

すると、津森一叶という本名と

その素顔がそのまま公開されている。


杏「…ってただのリア垢じゃないすか。嘘も大概にしてくださいよー。」


一叶「これさ、自分でやってないんだよ。」


杏「エイプリルフールは終わったって。」


一叶「だるいー。」


杏「こっちのセリフー。」


一叶「これさ。」


杏「ん?」


一叶「一昨年も去年もあったっぽいんだよ。」


杏「…乗っ取り?」


一叶「そう。この中に知り合いいる?」


そう言ってフォロー欄を見せてくれる。

やけに少ないと思うも束の間、

その欄も皆実名になっている。

ほとんど知らないが、

ふと記憶の底から浮かび上がる名前があった。


杏「こいつ。藍崎七。」


一叶「わかるんだ?」


杏「ひっさしぶりに見た。中学同じで、1年だったかな…昔1回同じクラスだった。」


やたら落ち着きのない人だった記憶がある。

きゃぴきゃぴしていて

ムードメーカーといえばそうだが、

空気が読めないと言えばそうでもあった。

ただやたらボランティアに

参加していたような気がするし、

先生ともよく話していたことから

コミュニケーションは

積極的に行う方ではある。

今でもその根本は変わらないのだろう、

アイコンの笑顔が

それを物語っていた。


そして。

一叶先輩がフォロー欄を

下から上へ指をスクロールした時だった。


ふと。

見覚えのある顔が映った。


紛れもない。

うちだった。


刹那、一叶先輩のスマホを

奪うようにして彼女の手ごと引き寄せる。

まじまじと見つめても変わらない。

焦って持ってきていたスマホを探す。

机の上に転がっている。

一叶先輩の肩を支えに起き

転びかけながら膝立ちで手を伸ばす。

画面を開く。

アプリを開く。

全く同じものが浮かぶ。

目の前に並ぶ。


杏「何で…?」


一叶「…杏も入ってる…じゃん。」


杏「ねえ、これ何でっ!?」


一叶「だから私にもわからないんだって。」


杏「そうだ、アカウント消せば…」


一叶「消すことも出来ないし名前も変更できない。全部やってみたけど無理だった。問い合わせもしてる。待ってるけど返事はまだ。」


杏「なっ…え?どうしようもできないってこと?」


一叶「多分。」


杏「は…はぁ…?マジじゃん。」


一叶「言ったじゃん。」


杏「いや、信じられないっすよそんなの。」


焦り、諦めを通り越して

怒りへと変化しそうになる感情を

ため息と共に押しつぶす。

だからと言ってどうなるわけでもないが

そうすることしかできない。


杏「どうするんすか。」


一叶「自分の発言は自分に直属していると責任を持ってポスト」


杏「違う違う、ネットリテラシーとかそういう話じゃなくて。」


一叶「去年だとかこれまでの経緯を知ってる人からすると、1年間何かしらの試練があるんだって。それを乗り越えられるようサポートするし、ある程度手伝うとも言ってた。」


杏「はぁ?」


一叶「もはや笑うしかないよね。」


杏「試練とか…子供のお遊戯かって。あほらし。」


一叶「初めての一面を見てる気がする。」


杏「いらいらすると口悪くなりますよ。普通。」


一叶「そうだけど、とにかくね。私のアカウントがこうなってから既に3日経ってるけど特にまだ何もない。」


杏「そうなんすか。」


一叶「だから今は静観してる。何もないなら騒ぐ必要もないだろうし、つまらないことポストしてる。」


杏「何もないに越したことはないっすけど…。………あ、ほんとだ。つまんないこと言ってる。」


一叶「ちょっと?」


杏「いいねしよ。」


一叶「悪意。」


杏「これ、何の目的でされてるんすか。」


一叶「さあ。」


杏「去年の人たちどんなことになってたんすか?このままアカウント変わったなあ、で終わり?」


一叶「いいや、何かがあったみたいだけどそこまでは誰も口にしてないかも?教えてもらったってきっと私たち信じられないよ。私がアカウントのことを話した時同様に作り話みたいって思うようなことしか返ってこなさそうだし。」


杏「うちのせいだったりするのかな。」


一叶「心当たりあるの?」


杏「直接的にはないっすけど…。」


一叶「関係者?」


杏「でも、こういうエンジニア系は知らないし…いや、うん。まずうちらに興味は持たない。」


一叶「…?」


杏「この全員と関係がある人間がうちの知る限り近くにはいないんで、今のところは何とも。」


一叶「たとえ身近な人の犯行だとしても、杏がしてないなら杏は悪くないからね。」


杏「それ、会って数日の人に良く言えるっすね。」


一叶「悪い人だったらその時はその時ってことで。」


意外と後先考えないタイプなのか、

今だけ不安に盲目になっているのか。

涼しい顔をしているけれど

しきりにクラゲヘアの先を

くるくると触れていたことに気づいていた。

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