第2話 小さな竜の子は夢をみる(後編)

(宵月ちゃん、まさかひとりで薬をもらいにいったりとかしないよね。わたしの返事が遅いせいでしびれを切らしてるかもなのだ)

 来羽は天を見上げて澄んだ瞳をぱちくりさせた。

 海の底は暗い。分厚い海水の層を太陽の光が最後まで突き進めないからだ。

 久しぶりに空の青を見たいと来羽は思う。

(わたしはなんでこんな僻地でぽつんと孤独を味わっているのだ。こんなのあんまりにも哀しいのだ)

 気配があったと思ったら遠くの海中を潜る人間たちの耳障りな音ばかり。来羽は竜としては幼子だ。少しくたっとしたたてがみ、堅固には足りないうろこ、未成熟な矮躯。その小さな体を丸めて透明な目を上向かせる来羽はわだかまる寂しさを隠すこともしない。ここには誰もいないのだった。

(先代、今眠ったら会えるかな)

 先代と少しだけ、お話をするだけ。それだけでもきっと元気になれる。

 来羽はぎゅっと目をつむる。

 先代は帰郷してからアーカイブに顔を出す機会が格段に減った。

 この役目を長く務めている竜ほど、退いたあとは日常に回帰する。もう眠らずとも周りには仲間がいて好きに歓談ができるからだ。

(先代、会いたいのだ)

 祈りが叶うちっぽけな望みを、来羽は夢にみている。

 今だけは人間たちに邪魔されたくない。

 来羽の意識は沈み、みんなが集うアーカイブへと触れるのだ。



〈アーカイブ〉森林限界区画


【来羽】

 先代、いるのだ?



〈アーカイブ〉ましろ雲海


【来羽】

 先代いる?



〈アーカイブ〉キャニオンズリンク


【来羽】

 ……先代

 やっぱりもういないのかもしれないのだ



〈アーカイブ〉シーサイドカフェテリア


【来羽】

 うう……っ、ひっく……

【宵月】

 どうしたの! 来羽ちゃん‼

【来羽】

 宵月ちゃん……

 なんでも、ないのだ

 ちょっと悲しくなって

【宵月】

 ぜんぜんなんでもなくないよ!

 つらいことがあったの……?

【来羽】

 わたし、先代に会いたくて

 あちこちまわったんだけど、いなくて

 少しだけ話をしたくて

【宵月】

 ちょっと待ってね

 先代ってお姉さんのことだよね

 だったら、お母さんに頼めばきっとなんとかなるよ!

【来羽】

 お母さんなら?

 ホントなのだ……?

【宵月】

 うん

 前に私の先代と連絡取りたいとき、聞いてみたらいけたから!

【来羽】

 宵月ちゃんありがとう

【宵月】

 いいよ!

【来羽】

 だいすき

【宵月】

 …………

 えと、お母さんのとこへ一緒に行こ?

【来羽】

 うん



〈アーカイブ〉窓辺にゆりかご


【宵月】

 お母さん

 宵月です

 お聞きしたいことがあって

 お目通り願います

【来羽】

 来羽もおります

澄加すみか

 おや

 お二人が見えられるなんて珍しいですね

 何かありましたか?

【宵月】

 はい

 一人、お取次ぎしていただきたい方がおりまして

 野紫のゆかりさんなのですが

【澄加】

 わかりました

 声をかけてみますね

 その事情を話していただけたなら

【来羽】

 あ、あの

 少し相談したいことがありまして

 先代の話を聞いて元気がほしいというか……

【澄加】

 来羽さんは継いで五十年ほどでしたか

 そういうことなら私が聞きますよ

【来羽】

 え、あ

【澄加】

 うふ、ちょっとした戯れでした

 それでは〈アーカイブ〉常春の小箱にいらっしゃいな

 そこで少しだけ待っていてくださいね

【来羽】

 ありがとうございます

 お母さん

【澄加】

 いいのですよ

 要望を繋ぎ合わせるのも私の役割なのですから

【来羽】

 感謝です

 それでは失礼します

【澄加】

 ああ

 一応お伝えしますが

 騒がせている長老の妄言には気を付けてください

 わきまえというのを知らないのは困ったものですからね

【来羽】

 は、はい!

【宵月】

 では、私もこれで失礼します

【澄加】

 お元気で

 引き続き自らの役目を全うするのですよ



〈アーカイブ〉シーサイドカフェテリア


【宵月】

 くふふ

 最後にくぎ刺されちゃったねー

【来羽】

 うん

 あの

 宵月ちゃん

 ほんとにありがとなのだ

【宵月】

 いいよ!

 じゃあ私は行くね

 薬をもらう件はまだ続いてるからね!

【来羽】

 わかったのだ

 ちょっと前向きに考えるのだ

【宵月】

 貸しをつくったとかじゃないから気にしないでね

 そいじゃまたねー

【来羽】

 ありがと

 行ってくるのだ



〈アーカイブ〉常春の小箱


【来羽】

 先代こんにちは

【野紫】

 呼ばれてきちゃった

 久しぶりだねえ来羽ちゃん

 どうしたのかな?

【来羽】

 先代と会いたくて

 落ち込んでて元気をもらいたかったのだ

 こんな用事でごめんなさい

【野紫】

 いいよー

 最近は深海もうるさいものね

 あとあそこは外界から隔たっていて寂しさえぐいしねえ

【来羽】

 うん!

 やっぱり孤独に襲われるのだ

【野紫】

 そかそかー

 来羽ちゃんすごく頑張っているね!

【来羽】

 頑張れてるのか自信ないのだ

【野紫】

 相談に来るってことはしっかり向き合っているってことだよ

【来羽】

 嬉しい言葉ありがとうなのだ……

【野紫】

 前線を離れて初めて気づくこともあってね

 あそこにずっと居た意味

 私はようやく見つけたんだー

【来羽】

 そうなのだ?

 わたしもいつかわかるかな

【野紫】

 そうだねー

 私が言えることは

 来羽ちゃんだけの答えが、どこかにあるってことくらいかな

【来羽】

 わかったのだ

 先代ありがとう

【野紫】

 力になれたならよかった

 先代って呼ばれ方は未だに慣れないけど

【来羽】

 野紫さんって呼ぶ?

【野紫】

 なんて呼んでもいいよー

 のんちゃんって呼ばれていた頃が懐かしいねえ

【来羽】

 もうおそれおおくて軽々しくはムリなのだ

【野紫】

 そっかー

 まあ来羽ちゃんには今は宵月ちゃんが一緒だもんね

 仲良しでお姉さんもにこにこしているよー

【来羽】

 宵月ちゃん大好きなのだ!

 あ

【野紫】

 どうしたの?

【来羽】

 その宵月ちゃんが変なこと言ってて

 長老から薬をもらって人間の街に行きたいとか言ってるのだ

【野紫】

 ふんふん

 いいんじゃない?

【来羽】

 え?

【野紫】

 私も人間界に行ってみたいなー

 遠目からしかわからなかったその賑やかな世界を見てみたい

【来羽】

 本気なのだ?

 絶対によくないことが待ってると思うのだ

【野紫】

 そうかもだし、そうじゃないかもしれないよ

 行ってみたい理由はそれで充分じゃない?

【来羽】

 うーん

 そういうものなのかも……?

【野紫】

 おみやげは甘いもので

【来羽】

 わたしも行くとは言ってないのだ!

 でも

 もし仮に行くことになったらお菓子を買ってくるのだ

【野紫】

 苦しゅうないー

【来羽】

 あ、でもわたしの深海に誰もいなくなるのはダメなのだ

【野紫】

 一日の留守番くらいなら任せて

【来羽】

 ……

 宵月ちゃんと話してみるのだ

【野紫】

 そのときにしかできないことはなるべくしたほうがいいんだよ

 それがよくないことじゃないんだったらね

 来羽ちゃんだって前途有望なんだから

【来羽】

 そういうものなのだ……?

 あの

 先代とお話できてすごく元気出たのだ

【野紫】

 私でよければいつでもいいよー

 連絡の手段はお母さん経由になっちゃうけど

【来羽】

 うん

 それじゃここを離れるのだ

 またねなのだ!

【野紫】

 ばいばい

 元気でいるんだよー!



〈アーカイブ〉来羽のひとりごと部屋


【来羽】

 だいぶ落ち着いてきたのだ

 よかった……

 そういえば先代は人間のこと嫌いじゃないのかもって

 不思議なのだ

 先代が言うのなら人間になってみるのも考えてみるのだ

 明日にでも宵月ちゃんにお返事をしよう

 ……また竜に戻れるよね


   *


〈アーカイブ〉シーサイドカフェテリア


【来羽】

 宵月ちゃん

 わたし、宵月ちゃんの誘いに乗ることにしたのだ

【宵月】

 ホント?

 嬉しいけど意外だったな

 あんま乗り気じゃなかったと思ったけど……?

【来羽】

 先代ともお話してちょっと気になってきたのだ

【宵月】

 そうなんだお姉さんないすー!

【来羽】

 先代は人間のこと嫌がってる様子なくて不思議に思って

【宵月】

 人間って実際どんななんだろね

 早く近くまで行って見てみたいな

【来羽】

 わたしは怖いのだ……

【宵月】

 それは確かに

 でもなんでも最初は怖いものじゃんか

 ってことで長老のとこ行くよ!

【来羽】

 う、うん



〈アーカイブ〉化かしヶ岳


【宵月】

 長老いますか?

 宵月といいます

【来羽】

 来羽です

雅泉みやびいずみ

 おーよく来たな

 むしろこの非難の嵐の中よくぞ来れたなといったところか

【宵月】

 やー気になっちゃったのです

 お薬くださいな

【来羽】

 ちょっと急すぎだよ……

【雅泉】

 いやいや単刀直入大いに結構

 二つあればよいかな?

【宵月】

 お願いします!

【雅泉】

 あいよ

 タダではあるものの我の渾身の説明を聞いてから帰ってもらうぞ

【宵月】

 手短でお願いします!

【雅泉】

 この丸薬を飲むと人間の姿になれる

 効力は不確定な

 我は日が昇ってから呑み人と化し、日暮れには竜へと戻った

 作用は、竜としての心を人間に強引に寄せるというものだ

 人間へと近づいた心が竜の持つ思念をもってして姿形態に変化をもたらすのだな

 このアーカイブなる全域も竜の固有思念が成しえた域であるがゆえ

【宵月】

 なるほどですね

【来羽】

 わかったような……?

【雅泉】

 いいのだよ

 わかってもらうことではなくまず話を聞いてもらうことこそが我の喜びであるからな

【宵月】

 それはよくわかります!

【雅泉】

 そうかそうか!

 ただこんな暗所に顔を合わせて屯っていたら妙な疑いをかけられかねん

 最後に一つ

 悪用はするなよ

 検討を祈る

 ではごめん!

【宵月】

 ありがとうございます!

【来羽】

 ありがとうございます!



〈アーカイブ〉シーサイドカフェテリア


【宵月】

 しめしめだね

【来羽】

 こんな簡単に薬をもらえるなんて

 警告は出してたけど監視とかはしてなかったみたいなのだ

【宵月】

 薬はこんなちっちゃいのにすごい効果を持ってるだなんて信じられないなー

 ねえ来羽ちゃん

 いつ決行にする?

 明日でいい?

【来羽】

 明日でもいいけど

 先代に代わり役を頼まないとなのだ

【宵月】

 そうだねー

 じゃあ明日の日の出に来羽ちゃんのいる深海に出向くね

【来羽】

 緊張するのだ……

【宵月】

 永久に人間になるわけじゃないんだからちょっとした気晴らし程度に思えばいいんじゃないかな

 それじゃ私は戻るよ

 また明日ね!

【来羽】

 うん

 じゃね

 ……人間らしく振舞えるかな



 目覚めは緩やかだった。

 深い海の底は、しんとした静寂があった。

 来羽は薄目を開いて考え事をしていた。いよいよ人間になることのこんこんとした不安と、宵月が迎えに来てくれることの待ち遠しさがない交ぜになっている。

(宵月ちゃんがこの深海に来るのは初めてなのだ。いつか一緒に遊びに行けたらとか考えてたけど、ほんとに叶うとなると大丈夫かなって思うのだ)

 来羽は小さな体を丸めてゆっくりと目を閉じた。

(とりあえず先代に連絡をして、役目を一日だけ代わってもらって。あと人間のことを何も知らないのはよくないかもだから、アーカイブに入って参考資料を見てみるのだ。一度目覚めたけど、また眠るのだ。人間たち、うるさい音を立てて邪魔しないでね……)

 こうして来羽は再び眠りに落ちるのだ。

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