小さな竜の子は夢をみている

さなこばと

第1話 小さな竜の子は夢をみる(前編)

 ぐっすりと眠れる日をずっと待ってる。ゆっくりと長い息をはいて、目を閉じてから真っ先に考えることは最近ではそればかり。幼い小さな来羽こはねの悩みは、深い眠りを邪魔立てするものの存在にかかずらうことだ。

 来羽は崇められている竜。

 正確にいうなら、千年近く担われていた先代から替わって、ようやく五十年ほど経ったばかりの新米だった。

 深海に透明な膜のドームをこしらえて座る彼女は、昨今の人間たちの海底調査にいささか辟易していた。

(何かと海に潜ってはわたしのテリトリーを荒らすんだから。あまりの無遠慮にいちいち気が散っちゃうのだ)

 さすがに見つかってはいないものの、次は何をしだすかわからない人間の動向には注視せねばならない。

(先代が替わったのは、このせいなんじゃ……いやきっと間違いないのだ。わかるのだ……ずっと静かに眠らせてほしいのだ)

 人間たちの技術発展には目を見張る。視覚に優れる来羽の瞳に、探索の手段が年々かたちを変えるのを映し出すたび、ヒヤリとしたものが背を這う。彼らのそれはときどき、こえてはいけないラインに迫ってくることがあるからだ。

(先代はあんなに穏やかで優しくて、頼れる方だったのだ。わたしは生まれて以来べたべた付きまとってたのに、嫌な顔ひとつしないでそばにいてくれて、大好きだったのだ。務めを終えて故郷に帰られて、ぜんぜん会えないのが悲しいのだ)

 先代の長き時代もいろいろあったらしいのだけれど、生まれて年数の浅い来羽には想像もできなかった。

 時は流れて、現在。

 何もわからない深海に畏れを抱く人間たちは、好奇心を満たすための力を得たことで変わってしまったようだ。

(もう竜は古来の崇める存在ではなく、解読したり解明したりする対象になってしまったのかもしれないのだ)

 目を閉じて考え事をしていると、頭の中が落ち着いて次第にまどろんでいく。来羽は眠りに入れそうになっていた。

 安らかを邪魔してくる耳障りは、今度は感じられなかった。



〈アーカイブ〉シーサイドカフェテリア


【来羽】

 こんにちはなのだ

 宵月よいづきちゃんいる?

 起きてるかな

【宵月】

 来羽ちゃんおは!

 久しぶりー

 最近来羽ちゃんがアーカイブにいなくて寂しかったよぅ

 忙しかった?

【来羽】

 宵月ちゃん!

 人間どもがうるさくてなかなか眠れなかったのだ……

【宵月】

 大変だね……

【来羽】

 ホントなのだ

 キレそうなのだ

【宵月】

 怒らないで……

 来羽ちゃんに会えてよかった!

 元気そうじゃないけど元気そうで

【来羽】

 元気!

 もっとアーカイブにいたい気持ちなんだけど

【宵月】

 うんうん

 そんな来羽ちゃんに嬉しいかどうかわかんないお知らせ

【来羽】

 ??

【宵月】

 みんなのお母さんがこの前警告だしてたんだけど

 なんか長老が怪しい薬を開発したらしいよ?

 それ飲むと人間になれるっていう噂で

【来羽】

 人間に?

 なってどうするのだ

【宵月】

 知らない

 お母さんが言うには長老の口車に乗るなってさ

【来羽】

 ふーん……

 興味ないお知らせだったけど

 わたしには

【宵月】

 やー

 実は私その薬をもらいにいこうと思っててー

【来羽】

 !

 だいじょうぶ?

【宵月】

 大丈夫

 私、人間になってみたくてね

 町に行ってみたいの

【来羽】

 行ってどうするの?

 ぜったい怖い目にあうのだ

 やめときなよ!

【宵月】

 うん

 来羽ちゃんの言うとおりかも

【来羽】

 はやまっちゃだめなのだ!

【宵月】

 うーん

 ちょっと気になることあって

 それが解決したらすぐ帰るつもりだから

【来羽】

 気になる?

【宵月】

 人間の食べ物

 おいしそうで!

【来羽】

 だいじょうぶ?

【宵月】

 大丈夫だって!

 つきましては来羽さんを誘いたく思い

【来羽】

 えー

 やだのだ

【宵月】

 一回だけだからお願い

【来羽】

 その誘い文句もイヤ

【宵月】

 来羽ちゃんとお外でお出かけしたいの……

 ……だめ?

【来羽】

 …………

【宵月】

 ありがとう大好き!

【来羽】

 わかったのだ

 けど少し考えさせてほしいのだ

【宵月】

 うんわかった

 連絡待ってるね!

【来羽】

 うん……

 まあいいのだ

 久しぶりにお話できて楽しかったのだ

 じゃね

【宵月】

 またね!

 来羽ちゃんの快眠を祈ってるよ

【来羽】

 ありがと



〈アーカイブ〉来羽のこもり部屋


【来羽】

 宵月ちゃんがおかしいのだ

 おかしいのはいつものことかもだけど

 やっぱり住まいの近くに人里があるからなのかな

 おいしそうなにおいとかしてくるのかも

 宵月ちゃんは山奥に住んでるから、もしかしたら人間からお供え物とかされてるのかな

 街に行くのも人間になるのもイヤなのだ

 そもそも薬って何なのだ

 ちょっとそれとなく周りに相談してみるのだ……



〈アーカイブ〉夜ふかし古城


【来羽】

 こんばんは

雪白ゆきしろ

 来羽さんだ

 久しぶり

七空ななそら

 こんばんはー

【来羽】

 ちょっと聞きたいことがあって

 最近なんか薬? が話題になってるみたいなんだけど

 なんだろと思って

【雪白】

 人間になれるやつのこと?

【来羽】

 それ!

【雪白】

 お母さんが言ってた

 絶対関わるなって

 やばいやつ

【七空】

 長老の考えてることが意味不明すぎ

 来羽さんも無視したほうがいいね

【雪白】

 そうそう

 なんか怖いし、ろくなことにならないから

【来羽】

 そっかありがとう

 お母さんも注意喚起大変だね

【雪白】

 ホントね

【来羽】

 ちなみにお母さんは反対派で

 あ

 人間が近くに来てるからごめん起きる

 じゃね

【雪白】

 おつかれ大忙しだがんばれ

【七空】

 おつ



 遠く聞こえてくる騒がしさが微睡んでいる来羽の聴覚を揺らす。竜たちの集まる域〈アーカイブ〉をきちんと離れる暇もなく意識は浮上していく。

 来羽は起きる。

 それはとても不快な目覚めだった。

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