第19話 少女とカミサマ①
セカイは、見渡す限りのサバクだった。
前後左右、どこを見ても砂砂砂。
ソラは青く青く、砂で構成されたチヘイセンの向こうまで広がっている。
そんな砂だらけのセカイに、一箇所だけ例外があった。
ポツンと佇む一軒の家。
八十坪庭付き二階建てのその家は、遠い昔に『日本家屋』と呼ばれた様式である。
以前に比べて、その家の周辺は少しだけ賑やかになったと言えた。
周囲を縦横無尽に飛び回るミニカミサマたちの高笑いが姦しく響き、時折それを迎撃しようとするテンシの光線の発射音や、光線に皿を焼かれたカッパの叫び声が混じったりする。
そんな光景を、少女はお茶を手にぼーっと眺めていた。
吹き抜けていく風が、背中まで伸びた少女の黒髪を揺らす。
「平和だねぇ……」
お茶を啜り、ほぅと息を吐きながら少女はそんな呟きを漏らした。
「平和……?」
少女の頭の上で、トモダチが首を捻る。
その半目が向く先は、庭先のゴタゴタだ。
「ハーハッハッハッ!」
「ハイジョ、ハイジョ」
「ちょっとお二方、やり合うのはいいですけど周りの状況考えてもらえます!? 僕、さっきからものっそい巻き込まれてるんですよ!」
「ハーハッハッハッ!」
「ハイジョ、ハイジョ」
「って、うぉわっ!? ていうか、これはもう僕の方を意図的に狙ってますよね!? くっ……そちらがそのつもりならこちらだって……! これぞカッパの秘奥義! 皿カッター! くらいなさいっ!」
「ほぅ、我らに楯突くとは」
「その度胸だけは認めよう」
「あれぇ!? アナタたちそんな流暢に喋れる感じでしたっけ!? キャラブレが過ぎませんかねぇ!? って、今度こそ露骨に僕を狙い始めましたね!? ふ、ふふ……しかし、いつまでもやられっぱなしになっている僕ではありませんよ! 皿バリアー! って、あれ!? 皿が無い!? あっ、そういやさっき投げちゃったんでしぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「……か?」
カッパがミディアムレアに焼かれる光景から目を離して、改めてトモダチが少女に向けて問いかけた。
「平和だよ、この上なく」
そんなトモダチに、少女は肩をすくめてみせる。
「こんな毎日がこれからもずっと続けばいいのに、って思うくらいに……ね」
そして、そう言って微笑んだ。
それに対する、トモダチからの返答はない。
口を噤むその表情は、鳥面ながらどこか苦々しさが見て取れるものであった。
「ふんふーん♪」
頭の上でそんな光景が展開されていることを知ってか知らずか、少女は鼻歌交じりで庭先を眺めている。
と。
ドンッ。
突如、サバクの一部が爆発したかのように砂が巻き上がった。
大きく吹き上がった砂の中に一つだけ、ピカピカと輝く物体が垣間見える。
そんな物体は……というかこのような事象を発生させる存在は、このセカイに一つしかない。
「はーはっはっはっ!」
言うまでもなく、カミサマである。
サバクの中から勢い良く飛び出したカミサマが、クルクルと回転しながら少女の目の前に舞い降りた。
着地の瞬間、ガクリと片足が曲がってバランスを崩す。
それでもどうにか転倒だけは免れたようで、カミサマは少女と正対した。
「おはよ、カミサマ」
ニコリと笑って、少女が迎える。
「人のノノノノノノ子ヨヨヨヨヨ」
返答するカミサマの頭が、ガガガと不規則に揺れた。
トモダチが一瞬目を細める。
「なんだいカミサマ、今日はラップかい?」
しかし、すぐにいつもの面倒臭げな調子に戻って問うた。
「うむ、カミサマはひっぷほっぱーゆえにな」
カミサマが自らの頭を上下からポフンと叩くと、揺れが収まった。
少女は、ただ微笑んでその様を眺めている。
「さて」
何事もなかったかのように、カミサマが少女を見下ろした。
「人の子よ、息災かね?」
「息災息災。もうめっちゃ息災よ」
ニッと笑みを深めて、少女が力こぶを作って見せる。
「そうか」
カミサマが小さく頷いた。
「風邪など引いていないか?」
「引いてないよ」
「どこか痛いところは?」
「ない」
「寒かったり暑かったり?」
「適温だね」
「ちゃんと寝ているか?」
「グッスリ寝た」
「服はキツくないか?」
「ピッタリさ」
「お腹はすいていないか?」
「さっき食べたとこだよ」
「疲れは残っていないか?」
「全然」
次々問いかけるカミサマに対して、立て板に水を流すように淀みなく答えを返す少女。
一見手慣れたやり取りのように見えるかもしれないが、実のところカミサマがこのような問いかけを投げるのは初めてのことであった。
カミサマにとって、少女の体調を常に把握しておくことなどお手の物だったはずなのだから。
実際、少女が自分でも気付かない程度に発熱していた時でもカミサマは素早く駆けつけ少女を寝かしつけたし、いつの間に付いたのかわからない傷に対していつの間にか手当てが施されていることなど日常茶飯事だった。
「それから……」
「カミサマ」
少女は、笑っている。
「私は、大丈夫だからさ」
けれどその笑顔には、ほんの僅かに悲しみの色が混じっていた。
「だから……」
少女が、その続きにどのような言葉を紡ごうとしたのかはわからない。
一瞬何かを心の奥底へと無理矢理に押し込めるような表情を浮かべた後、口を噤んだから。
「……だから組手やろうよ、組手っ」
恐らく、それは本来続くはずだったものとは別の言葉だろう。
「私、今度は八極拳覚えたんだよねー」
少女が、庭へと降り立ってカミサマの手を取った。
その表情に、もう負の感情は微塵も残ってはいない。
少なくとも、表面上は。
「相棒、最近は格闘技がお気に入りだな。銃火器は卒業したのかい?」
「やっぱ、なんだかんだで最後にモノ言うのは自分の身体だかんねー」
冗談めかして言いながら、シュッシュと少女は空中に突きを繰り出す。
肩が動くことなく、最短距離を伸びていく理想的なジャブだった。
「というわけで組手、ね?」
「うむ、よかろう」
首を傾けて見上げてくる少女に、カミサマは鷹揚に頷く。
カミサマと少女はサバクの上へと移動し、五メートルほどの距離を空けて向かい合った。
「そんじゃ、行くよー」
最初に動いたのは少女の方だ。
ワンピースにミュールというおよそサバクに適しているとは思えない格好で、しかし砂の上を駆ける速度は弾丸のように速い。
瞬きすら許されぬ程の時間で、ニ者の距離はゼロとなった。
まず少女が放ったのは、牽制のジャブ。
カミサマがスウェーで避ける。
お返しのローキックが少女の腿を打つが、これは当たっただけだ。
構わず少女が前進する。
後ろにステップして距離を取るカミサマ……だが、その過程で足をもつれさせた。
転ぶことこそなかったが、ガクンと膝が落ちて体勢が崩れる。
それは少なくとも少女が知る限り、この二十年弱で一度も見せたことのない程の隙だった。
そして、少女にとってはこの上ない好機でもある。
少女は、カミサマの隣に寄り添うように足を移動させた。
そして、強く踏み込む。
その踏み込みにより、重心を安定させると共に前方への推進力が生まれ……る、はずだった。
仮にそこが、十分な反動を返す固い地面であったならば、だが。
あいにくここはサバク。
サラサラとした砂は少女の踏み込みに反発を返すのではなく、その衝撃を飲み込んだ。
少女の足が砂の中に埋まる。
その勢いがあまりに大きかったため、押し出された砂が少女の身長を超えるほどの砂柱を作った。
少女の身体が大きく傾く。
その隙にカミサマが少女の肩に手を当て、軸足を刈ることで倒した。
既に少女の体勢は崩れきっていたため、簡単な作業だ。
「いやー、また負けちゃったかー」
サバクに寝転んだまま、少女は苦笑いと共に頭を掻く。
「やっぱ、まだまだカミサマには敵わないなー」
それは、勿論。
何もかもが茶番であった。
産まれてこの方そのほとんどの時間をサバクと共に過ごしてきた少女が、サバクを理由に失態を演じるはずなどない。
「はっはっはっ! まだまだ甘いな、人のコ、コ、コ……こ?」
言葉の途中で、カミサマは首を傾ける。
少女は、笑顔で続きを待った。
「まだまだ甘いな、人の子よ!」
「うん、そうみたい」
何事もなかったかのように言い直したカミサマに、少女はやはり笑って応える。
「だから、もっと私を鍛えてね……カミサマ」
その目に、明確な悲しみを宿して。
◆ ◆ ◆
そうして、その日も何事もなく過ぎていった。
少女が産まれ落ちて、このセカイで過ごしてきたこれまでの日々と同じように。
それから、けれど。
少女の二十歳の誕生日前日であった、今日が。
少女にとって、その日の出来事が。
セカイが少女のためのセカイであった頃の、最後の思い出となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます