第18話 少女とセカイ⑤

「久しぶりだな、そういう光景は」


 少女を腕に抱いて戻ってきたカミサマを見て、トモダチは開口一番そう言った。


「遭難でもしたのか?」


「あの程度の環境で遭難するような軟弱に育てた覚えはない」


 そう返すカミサマの口調は、ほとんど抑揚のないものだ。


「ま、そらそうだ」


 別段本気で言ったわけではないらしく、トモダチも軽く頷くのみ。


「けど、だったらそりゃどうしたって言うんだ?」


 カミサマに向けられるトモダチの視線が、やや鋭くなった。


「なに、これも一種の甘えの表現だ」


「はっ、死にかけることがかよ」


 言って、トモダチが鼻を鳴らす。


「死なない、とわかっているのだ」


「カミサマが死なせない、ってことをか?」


「あぁ」


「そりゃ信頼されてるこって」


「困ったことにな」


 揶揄する響きを伴ったトモダチの言葉に答えながら、カミサマはセカイに唯一存在する家の中へと足を踏み入れた。


「カミサマは不倶戴天の敵であると、教え込んできたはずなのだがなぁ」


 カミサマの口調には、珍しくボヤくような調子が混じっている。


「それが、不倶戴天の敵が取る態度かよ」


 呆れ混じりにトモダチが目を向けるのは、まるで壊れやすい宝石でも扱っているかのような丁寧さで少女を抱くカミサマの手付きだ。


「それによ。カミサマが憎まれ役になるのは失敗しても、相棒は立派に強くなってんだろうが。カミサマの思惑通りに、な」


「それは、少し違うな」


 皮肉げなトモダチに、カミサマは否定を返す。


「思惑以上に、だよ」


 どこか嬉しげな声色であった。


「さいですか」


 露骨に適当な相槌を打って、トモダチはカミサマの肩に留まった。


「………………」


「………………」


 しばし、お互い無言の時間が続く。


「……なぁ。例えば、だけどさ」


 沈黙を破って、トモダチがそんな風に切り出した。


「オレみたいなのじゃなくて、ニンゲンのトモダチを創ることも出来たんだろう? それだけじゃなく、オトーサンやオカーサンも」


 カミサマに背負われた少女の、安らかな寝顔を見ながらトモダチ。


「それこそ、カミサマがオヤになったってよかった」


「冗談だろう」


 一笑に付したカミサマに、小さく嘆息する。


「じゃあそれは無しにしても……相棒にとって都合のいいセカイで、一生を楽しく終える。そんな選択肢もあったんじゃないのか?」


 カミサマが、一瞬だけトモダチの方へと顔を向けた。


「百年程度であれば、そういったセカイの維持も可能だったろうな」


 顔を前方に向け直しながら、そう返す。


「人間一人が生きるだけならそれで十分だろ」


 トモダチが肩をすくめたところで、少女の部屋に到着した。


「なのに、そうしなかった理由は何だ?」


 カミサマの肩を飛び立ったトモダチは、喋りながら器用に嘴で布団を敷いていく。


「そんなセカイに、何の意味がある」


 敷き終わった布団に、カミサマが少女を横たえた。


「意味ならあるさ。幸せってのは主観だからな」


「それが本物でなくとも?」


「見つかりもしない本物を探すよりはマシかもしれない」


「この子に本物を渡すこと。それが、彼らの望みだ」


「死者の望みに何の意味があるってんだ」


 カミサマとトモダチ、そんなやり取りを交わしながらそれぞれが両端を持って少女に布団を掛ける。


「なんだ、今日は随分と突っかかってくるな」


 カミサマの声に、笑いが混じった。


「方針については、お前もとっくに合意済みだったろう」


 いつもの高笑いではない、友を茶化すような笑いだ。


「ケッ、わかってるくせに」


 トモダチが舌打ちする。


「『このセカイで、私が生きていく意味を』」


 脈絡が無いように思えるトモダチの言葉。

 しかし、トモダチもカミサマもそれを不自然に思っている様子はなかった。


「何が欲しいかって聞かれて、相棒が呟いた答え……当然、聞こえてたんだろ?」


 トモダチが、再びカミサマの肩へと飛び載る。


「はっはっはっ! 実に、《神様》へと乞うに相応しい願いではないか!」


 カミサマはいつもの高笑いを上げた。


「だから、願ったんだろ。カミサマじゃなくて《神様》に」


「残念ながら、このセカイにそんなものは不在だ」


 かと思えば再び、その声から抑揚が消える。


「だからこそ、それは自分で見つけ出して貰わねばならぬ」


 にも関わらず、その言葉からは苦渋の色が感じられた。


「……相棒は、もう全部を悟ったのか?」


 トモダチが、穏やかな寝息を立てる少女の顔を覗き込む。


「先程、確信を得ただろう」


 カミサマもまた、それに倣った。


「賢い子だからな」


 その目が感情を宿すことはない。


 しかし、その声はどこか優しげな音を伴って空気を震わせた。


「けど、だからこそ辛く思ってんだろ? どうにかしてやれねーのかよ?」


 責めるように、縋るように、トモダチがカミサマを見る。


「なに、思春期にあれこれ悩むのも成長には必要なことだ」


「知った風に。所詮オレらにゃ、そういうのは真の意味じゃわかんねーだろうが」


「これでも、それなりに長いこと人類を見てきたのだ。経験は無くとも、理解は出来る」


「ケッ、そりゃご立派なこって」


 トモダチは吐き捨てるように言った。

 もしもトモダチにそのような機能があれば、実際唾を吐き捨てていたことだろう。


「それに……先に言った通り、終幕にはまだ少々早いが」


 トモダチの悪態を気にする風もなく、カミサマは続ける。


「けれどあくまで、少々だ。それが訪れるのは、もうそう遠い先のことではない」


 如何なる感情も宿していない、しかし様々な感情が入り混じっているようにも聞こえる口調。


「いつまでも、あれこれと世話を焼いてやるわけにもいくまいよ」


 そして最後に、カミサマはやはりおどけるように肩をすくめるのであった。

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