第17話 少女とセカイ④
少女は、ひたすらに歩いた。
やがてミツリンが途切れ、周りの景色がソウゲンへと変わった。
ツチとクサの感触を靴越しに感じながら、少女は歩みを止めない。
後方にミツリンが見えなくなると、前後左右見渡す限りがクサで覆われた風景となった。
どこを見ても代わり映えせず、背の低いクサが生い茂るだけ。
目印になるようなものもなく、方向を見定めるのは難しい。
しかし、少女の足取りに迷いはなかった。
ただひたすらに真っ直ぐ前方を見据え、足を動かす。
やがてソウゲンが途切れ、周りの景色がサンリンへと変わった。
ミツリンの熱気とは異なる澄んだ空気を肺に通しながら、少女は歩みを止めない。
そこには山道はおろか、獣道と呼べるようなものすら存在しなかった。
コケに覆われた地面は滑りやすい。
傾斜も決して緩やかなものではなく、一度足を踏み外せば相当な距離を滑り落ちかねない危険を伴っている。
しかし、少女の足取りに迷いはなかった。
山頂に向かうにつれて薄くなっていく空気に呼吸を乱すこともなく、足を動かす。
やがてサンリンが途切れ、周りの景色がミズウミへと変わった。
深さ数センチ程度の水面に足を踏み入れながら、少女は歩みを止めない。
山頂を通り過ぎて、下った後に現れたのは見渡す限りのソラとクモだった。
浅い水面がそれらを映して、まるでソラの上を歩いているかのようだ。
その幻想的な光景は、足を止めてじっくりと眺めたくなるようなものである。
しかし、少女の足取りに迷いはなかった。
一歩ごとに水面へと波紋を生み出しながら、足を動かす。
やがてミズウミが途切れ、周りの景色がハナバタケへと変わった。
幾種も入り混じった香りを呼吸の度に取り込みながら、少女は歩みを止めない。
色とりどりのハナが、まるでその美しさを競い合うかのように咲き誇っていた。
タイヨウの光もどこか柔らかくなっているように感じられるし、歩き疲れた身体を休めるのには格好の場所と言えるだろう。
しかし、少女の足取りに迷いはなかった。
ハナを踏みつけないようにだけ気をつけて、足を動かす。
やがてハナバタケが途切れ、周りの景色がコウヤへと変わった。
乾いた大地を踏みしめながら、少女は歩みを止めない。
随所に罅が入った、赤茶けた土地が続いていた。
たまに転がっている大岩と、時折思い出したかのように景色に混じる枯れ木だけが唯一のアクセントだ。
突起や穴の多い足場は、決して歩くのに適しているとは言えない。
しかし、少女の足取りに迷いはなかった。
足を取られることも速度を落とすこともなく、足を動かす。
やがてコウヤが途切れ、周りの景色がヨウガン地帯へと変わった。
焼けてしまいそうな程の熱波を肌に受けながら、少女は歩みを止めない。
踏みしめるのは、プスプスと煙を上げる地面。
少女が歩くすぐ横を、ドロドロのヨウガンが川のように流れている。
たちまち、少女の全身から汗が吹き出した。
その熱気は、刻一刻と少女の体力を奪っていく。
しかし、少女の足取りに迷いはなかった。
汗を拭いながらも常に一定のペースで、足を動かす。
やがてヨウガンチ地帯が途切れ、周りの景色がドウクツへと変わった。
ひんやりとした空気の中に足音を反響させながら、少女は歩みを止めない。
ドウクツの高さは、少女の身長の倍程だろうか。
幅も十分に広く、圧迫感はない。
ただし、光源は所々に存在する亀裂から差してくるものだけ。
数歩先を見渡すことも困難だ。
しかも、足元には大小様々な石が転がっている。
しかし、少女の足取りに迷いはなかった。
明るい場所を歩くのと変わらぬペースで、足を動かす。
やがてドウクツが途切れ、周りの景色がセツゲンへと変わった。
刺すような寒さに晒されながら、少女は歩みを止めない。
周囲を覆うフブキによって、視界はゼロに近かった。
肌にユキが叩きつけられる度、体温は容赦なく奪われていく。
ユキを運ぶ強風の唸り声と、勝手にガチガチと打ち鳴らされる自らの歯の音だけが耳に届く全てだった。
どこかに身を潜めなければ、命の危険すらある。
しかし、少女の足取りに迷いはなかった。
ユキを掘り進むように、足を動かす。
◆ ◆ ◆
少女は、歩き続けた。
タイヨウの昇降でもって『一日』を定義するのであれば、一日は経過していないことになる。
だが少女が起きている限り、セカイにヨルが訪れることはない。
実際には、歩き続けた時間は既に何十時間にも及んでいた。
その間、少女は一度も足を止めていない。
別段、足を止めてはいけない理由があるわけではなかった。
急ぐ道理があるわけでもない。
にも関わらず、なぜ足を止めないのか。
実のところ、少女自身にもよくわかっていなかった。
ただ、この先で出会うだろうものに対しては真摯に向き合うべきだという思いがある。
同時に、まともな頭でそれと対峙したくないという感情も存在していた。
あとは、ほんの少しの意地のようなもの。
それらが、死地へと向かう殉教者じみた行程を生み出していた。
カミサマに鍛えられた少女はあらゆる環境を乗り越えられるだけの知識と身体能力を有している。
体力も、この歳の少女としては規格外と称して差し支えない程のものを持っていた。
しかし当然、無限の体力をその身に宿しているわけでも外的影響を受けないわけでもない。
そもそも人間の身体は、睡眠も補給も無しに何日も動き続けられるようには出来ていないのだ。
一度も休憩を挟まない強行軍は、少女の体力を限界以上に削っていた。
疲労で、身体が鉛のように重い。
なぜまだ動けているのか、自分でも不思議だった。
しかし、それを考えようにも頭だってもうほとんど働いてはいない。
視界がはぼやけ、足の感覚も無くなっている。
自分が今どんな風景の中を歩いているのかさえわからなかった。
それでも少女は、足を止めない。
もう、止めるという考えさえ頭の中から消え失せて久しい。
時間の感覚など、とうに消滅している。
だから、自分が最終的にどれくらいの距離を歩いたのかもわからなかった。
けれど、ついに。
それが、限界を越えた少女の脳が見せた幻でなければ。
少女は、辿り着いた。
「あぁ……」
カラカラになった喉からは、しかしまだ辛うじて声のようなものが出るようだ。
「世界は広い……ん、だったよねぇ……」
随分と前にトモダチが口にしていた言葉を思い出す。
「でもさ……」
少女の目の前にあるもの。
「どうにも……」
それは、セカイの終端だった。
「セカイはさ」
どこまでも続く純白の壁が、少女の歩みの終点を示している。
「狭いんだねぇ……」
それを確認した瞬間に、少女の意識は急速にブラックアウトしていった。
身体が求めるがまま、後ろへと倒れ込む。
何か硬いものにぶつかって阻まれた。
「ねぇ……?」
それだけ呟いてから、完全に意識を手放し。
少女は、背中に当たる慣れ親しんだ感触へと身を預けた。
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