第14話 少女とセカイ①

 セカイの中心、一軒家。


 庭の池ではカッパが半身浴状態でチャプチャプと水を弄んでおり、池の隣に作られた家庭菜園に刺されたテンシは「ケイカイ、ケイカイ」と来るはずもない闖入者に備えてクルクルと回転している。


 そんな庭に面した軒先で、少女が行儀悪くあぐらをかいていた。


 身に着けるのは、濃紺のブレザー。

 ちょうど一年前、十五歳の誕生日にカミサマから贈られたものだ。


 『日本』では『高校生』になるから、とのことらしかったが、少女は大した感慨も興味なさげに袖を通している。

 基本的に、動きが阻害されなければどんな服でも関係ないというのが少女のスタンスであった。


 少女はいくつかの薬瓶から薬さじで粉を取り出し、薬包紙の上で調合している。


 薄い唇を引き結び、切れ長の目を細めたその表情は露骨に不機嫌さを宿していた。

 少女が動く度に、黒いポニーテールまでがどこか不機嫌そうに揺れている。


「おぅ、相棒」


 パタパタと飛んできたトモダチが、少女の隣に留まった。


「それ……もしかして、今年の誕生日プレゼントか?」


 トモダチの目線が、少女の口元でピコピコと揺れている白い棒に向かう。


「あぁ」


 少女は短く答えた。


「おいおい、ちょっと早すぎるんじゃないか? 煙草はハタチになってからだろ」


 棒……タバコの先端から立ち上る白い気体を目で追いかけながら、トモダチが眉根を寄せる。


「とっくに滅んだ国の法律なんて関係ないだろ」


 トモダチの方に目を向けず、手も止めないままの少女。

 タバコを咥えた状態で、器用に喋っている。


「そういう問題じゃなくて、体に害があるって話だよ」


 苦言を呈すトモダチの声は、かなり硬い調子であった。


「特に成長期に煙草吸うなんざご法度だってのに、何考えてんだカミサマは……」


「反抗期にはタバコくらい必要、なんだとさ」


 つまらなさそうに答えながら、少女は調合が終わった粉末を金属製の器に移していく。


「……ところでそれ、何作ってるんだ?」


 今更ながらの質問と共に、トモダチが少女の手元を覗き込んで首を傾けた。


「手榴弾」


「じゃあそれ火薬!? 煙草吸いながらやっていい作業じゃねぇよな!?」


 事も無げに答えた少女に、目を剥いて叫ぶ。


 それに対する反応として、少女は黙ってタバコを指で摘んだ。

 やはり目を向けることもないまま、トモダチの方に押し付ける。


「うおっ!?」


 咄嗟に後ろに跳んだことで、どうにかその先端に接するのを免れたトモダチ。


「何だその唐突な根性試しは!?」


 仰け反りながら、先程以上の剣幕で叫ぶ。


「よく見なよ、火なんて付いてないっての」


「ん……?」


 言われた通り、トモダチはマジマジとタバコを見つめた。


 その先端は赤く光っていたが、よく見れば火ではなく赤いライトが灯っているだけだ。

 立ち上る気体も、煙ではなく蒸気らしい。


「電子タバコ、って言うんだとさ」


 再びタバコを咥えた少女が、ふぅと蒸気を吐き出す。


「昔の人もよくわからないものを作るね。煙草が吸いたきゃ、本物がいくらでもあったはずなのに」


 その口の端が、僅かばかり皮肉げに上がった。


「本物がいくらでもあるからこその問題もあったんだろうよ……てか、ニコチンも無しか?」


「そ。電子タバコの中でも、ほとんどオモチャの部類みたいだ」


「だったらまぁ……」


 ホッとした調子で溜め息を吐いた後、トモダチはふと表情を改める。


「……時に。深淵なる闇、カミをコロすモノさんよ」


 その言葉を耳にした女の行動は、先程タバコを押し付けようとした時の何倍も速かった。


 残像を残さんばかりの勢いで薬さじを振る。

 瞬き一つ程度の間に、トモダチの眼球ギリギリの位置に薬さじが突き付けられていた。


「次にその単語を口にしたら目玉を抉り出す」


 冷淡な調子で告げるも、その頬は少しだけ赤い。


「へいへい、肝に銘じときます」


 目の前の薬さじなど気にもしていない様子で、トモダチは肩をすくめた。


「で、ようやく目を合わせてくれたわけだが」


 ずっと手元に視線を置いていた少女だが、薬さじを突き付けた段階でトモダチと正面から顔を合わせている。


「最近テンション低いじゃねぇか、どうした?」


「……別に、何でもない」


 決して何でもなくはない様子で、少女は再びトモダチから視線を外した。


「何でもなかった、ってだけ。私の知ってるもの、私が思ってたこと、全部」


 小さく、笑う。


「でしょ?」


 その時だけは、口調も表情も不機嫌そうなものではなかった。


 以前のように純粋で。

 それから、どこか悲しげで寂しげな笑みだった。


「何のことだ?」


 トモダチが首を傾ける。


「まぁ、そう言うならそれでも構わないんだけど」


 少女が、浮かべた笑みをシニカルなものに変化させた。


「それなら、自分で確かめに行くだけだし」


 口の中で転がす程度の、小さな呟き。


 それは、確かにトモダチの耳に届いていたが。


「……話は変わるけどよ」


 誤魔化すように――事実それは、誤魔化し以外の何物でもなかったが――トモダチは外の方へと目を向ける。


 そこに広がるのは、見渡す限りのサバク……ではない。


 庭付き一戸建ての家だけはそのままに、周りが鬱蒼としたミツリンに囲まれている。


 少女が今朝起きた時から、そうなっていたのである。

 もっとも少女は、そんな変化などガン無視で手榴弾の作成に精を出していたわけだが。


「さっきからカミサマが、気付いてほしそうにしてるんだが」


 トモダチの視線の先、深く茂ったジュモクの中で時折光る銀色があった。

 カミサマが放つ光だ。


 姿自体は巧妙に隠れているにも関わらず、その光が全てを台無しにしていた。

 どう考えても、見つけてもらうことが前提の隠れ方である。


「知るか。用があるなら向こうから来い」


 にべもなく言って、少女は再び手元に視線を落とした。

 口調も表情も、不機嫌そうなものに戻っている。


 ここ最近、少女はずっとそんな調子だ。


「はーはっはっはっ!」


 笑い声が響く。

 しかしその発生源は前方のミツリンではなく、下方。


 それも、少女のほぼ真下だ。


「カミサマ参上!」


 床板を破り、カミサマの頭部が少女の目の前に現れた。


 そこに置いてあった粉末やら器やらが、バラバラとあちこちに飛散する。


「やぁ、愛しの人の子」


 顔だけ突き出した状態で、何事もなかったかのようにカミサマ。


「よぅ、クソッタレのカミサマ」


 こちらも何事もなかったかのように、少女は持っていた薬さじを床に置いた。


「その登場方法に何の意味があるんだ……」


 トモダチだけが、それが義務であるかのように面倒臭げにツッコミを入れる。


「特に無い!」


「せめて何かしらこじつけようとする努力くらいはしてみようぜ?」


「ならば、スカートの中を見たかったという理由にしておこうか!」


「最低の方向性だな」


「冗談だ!」


「冗談じゃなけりゃ困る」


 トモダチとそんなやり取りを交わしながら、カミサマはベリベリと床板を剥がして立ち上がった。


「さて、人の子よ」


 少女の口元で揺れる電子タバコを見下ろす。


「プレゼントは、気に入ったかな?」


「全然」


 短く答えながら、少女は先程散らばった道具を集め始めた。


「ほぅ、では何が欲しかったのだ?」


 問うカミサマに、一瞬だけ少女が視線を向ける。


「…………………………を」


 ほとんど消え入るような声で何かを言ってから、僅かに笑った。


 けれど、微塵も楽しそうではない。


 それは、諦めの笑みだった。

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