第8話 少女とウミ④

 溺れていたかと思いきや一転、自ら力を抜いてウミに浮き始めた少女に。


「マジか……」


「はっはっはっ! それでこそ人の子よ!」


 カッパの甲羅の上に留まって呆然と呟くトモダチの声と、カミサマの哄笑が重なる。


「さぁ人の子よ、そのままこちらまで戻って来るが良い!」


「はーい!」


 元気よく返事した少女は、その手で水を力強く掻いた。

 綺麗なクロールのフォームで、岸に向けて泳ぎ始める。


「って、泳げんのかよ……」


 トモダチの驚愕。


「はっはっはっ! 三歳の頃から、風呂場で泳ぎを教え込んでいたからな!」


 しれっとカミサマが重要情報を漏らす。


「だったらさっきの一連の騒動はなんだったんだよ……」


 トモダチの声には、徒労感が溢れていた。


「茶番だ!」


「茶番かよ」


 力強く言い切ったカミサマに、やや弱めにトモダチがツッコミを入れる。


「あの、カミサマ……」


 と、カッパがそれ以上に弱々しく手を上げた。


「僕は、お嬢さんに泳ぎを教えるために創られたと思っていたのですが……お嬢さんが既に泳げるということなら、僕の存在意義は何なのでしょうか……?」


 不安げな表情で、カミサマを見上げる。


「はっはっはっ! 安心するが良い、河童にはもう一つ有名な特技があろう?」


「ぼ、僕の特技とは……!?」


 縋るようなカッパの目の前で、カミサマは大きく右手で沖の方を指した。


「そう、河童といえばマグロの一本釣りだ!」


 何の疑問もない、とばかりに言い切る。


「いや、河童にそんな設定ないから」


 速攻でトモダチのツッコミが入った。


「つーか、そもそもウミが守備範囲ですら無……」


「そうか!」


 続くトモダチの言葉を、カッパの嬉しげな声が遮る。


「確かに、僕にはマグロの一本釣りがあった!」


「あるの……?」


 表情を輝かせるカッパに、再びトモダチは胡乱げな目に。


「そういえばなかった!?」


「どっちだよ」


 そんな、不毛な光景が展開される。


「結局、あるのか? ないのか?」


「ない」


 目を向け直して問いかけるトモダチに、やはりカミサマは言い切った。


「というか常識的に考えて、河童がマグロの一本釣りなど得意とするわけがなかろう? 鳥頭だけに、アホなのか?」


「謂れ無き中傷……」


 一転テンションを低くして呆れた調子のカミサマに、トモダチはただただそう言うことしか出来ない模様だ。


「うぅ……やっぱり、マグロの一本釣りも出来ないんですね……結局僕に出来ることなんて何もないんですね……どうせ僕なんて……僕なんて……」


 こちらも先程の喜色から一転、絶望の表情となったカッパが砂に『の』の字を書き始めた。


「うわこいつ超うぜぇ」


 そんなカッパに、カミサマが謎の口調で心底面倒くさそうに言う。


「アンタがそう創ったんだろうが……」


 そう言うトモダチであったが、吐き出す溜め息はやはり面倒くさげである。


 その傍らで。


「プハッ!」


 少女が足の着くところまで泳ぎ着き、大きく息を吐いた。


「はぁ……はぁ……疲れた!」


 泳ぎを教わっていたとはいえ、少女にとって広いウミを泳ぐなど初めて。

 疲労は相当なものであるはずだが、少女は笑顔で楽しげだった。


「はっはっはっ! よくぞ帰ってきた、人の子よ!」


 ポン、とカミサマが少女の濡れた頭に手を載せる。


「褒美に、我が秘伝の一つを伝授してやろう!」


「でんじゅー!」


 意味がわかっているのかいないのか、嬉しそうに少女が両手を上げた。


「カミサマから教わるべき一〇二四の秘伝の一つ!」


 カッと目を光らせ、カミサマが向き直ったのは未だしゃがんだ状態で砂に『の』の字を書いているカッパの方だ。


「これぞ……!」


 素早く体勢を低くしたカミサマは地を這うようにカッパへと手を伸ばし……。


「尻子玉抜きである!」


 その尻の穴に、ズボッと手を突っ込んだ。


「あふん!?」


 思わず出てしまった、といった風なカッパの叫び声。


「狙うは、入り口から二十センチの位置!」


 そんな声など意に介した様子もなく、カミサマはカッパの尻の中をまさぐる。


「見よ!」


 カッパの尻からスポンと手を抜いた時、カミサマの手には拳大の玉を握られていた。


「これが、尻子玉だ!」


「……ふーん?」


 差し出された玉に向かって、少女は不思議そうに首を傾げただけだ。


 なにしろそれは綺麗な球状ではあるものの、一見すればただの白い石。

 すぐに興味を失った様子で、少女はカッパの方に向き直った。


 尻子玉を抜かれた瞬間から白目になり、全く動かなくなったカッパの頬をツンツンと突く。

 やはり、カッパはピクリとも動かなかった。


「カッパさん、死んじゃったの?」


 無感情な目が、カミサマを見上げる。

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