第7話 少女とウミ③

「なぁに、泳ぐのなぞ簡単です」


 水泳講座を始めるらしいカッパは、フッと嘴を歪めて優しげな笑みを形作る。


「水掻きとは文字通り、水を掻くための器官なのですからね。手足を振っていれば、自然と前に進むというものですよ」


 次いで、少女の目の前で宙を掻くように手を動かした。


「?」


 少女が、自分の手を不思議そうに見つめて首をかしげる。


「相棒の手にゃ、水掻きなんぞ付いてないけどな」


「……マジで?」


 少女の代わりに告げたトモダチの言葉に、カッパの表情が驚きに染まった。


「見りゃわかんだろうが」


 カッパに向けられるトモダチの目は、再び冷たいものとなっている。


「ふ、ふふふ……それもそうですね」


 自分を落ち着けるように、カッパは頭の皿をペチペチと叩いた。


「しかし安心してください。僕らの甲羅は水に浮くように出来ています。顔を上げさえすれば、いつでも水面上に上がることが出来るのです。これだけでも、溺死とは無縁ですね」


 背を向け、自慢げに甲羅を見せつける。


「甲羅が付いているように見えるのか?」


 トモダチの目に宿る温度は、もはや氷点下と言って差し支えなかった。


「……付いていないのですか?」


 少女の背中を見たトモダチの視線を追って、カッパもそちらに目を向ける。

 無論、そこに甲羅など存在しない。


「ふ、ふ、ふふ……」


 ペチペチペチ。カッパは自分の皿を叩く。


「なるほど、これは僕も迂闊でした。けれど問題はありません」


 その皿が、ギュルギュルッと勢い良く回り始めた。


「いざとなれば、この回転が推進力を生み出し……」


「おい」


 トモダチが、軽く足踏みする形で少女の頭を指す。そこに、皿などあるはずもない。


「さ、皿もない……!?」


 ガン、と何か衝撃を受けたかのようにカッパが仰け反った。


 そして、少女の頭の上に載ったトモダチを両手で掴む。


「水掻きもない、甲羅もない、皿もない! そんな生物にどうやって泳ぎを教えろって言うんですか!? 貴方は、魚に陸の歩き方を教えられると言うのですか!?」


「しししし知るかかかかか……!」


 ガクガクと揺らされながら、トモダチはカッパの手の中でバタバタと暴れた。

 数秒で、スポンとカッパの手から抜け出す。


「つーか、そんな便利器官があるんだったらわざわざ泳ぎを教わる必要なんてないだろうが! 人間の身体は、自然と泳げるように出来ちゃいないんだよ!」


「はっはっはっ! それは違うな!」


 羽ばたきながら抗議するトモダチの頭を、いつの間にか接近していたカミサマがサラリと撫でた。


「生物は、皆等しく海から産まれたのだ!」


 次いで、少女を抱き上げる。


「ならば、小細工など必要ない!」


 そして、投げた。


 沖に向けて、勢いよく。


「その全身で母なる大海を感じるが良い、人の子よ!」


 キャッキャと笑いながら、少女がポーンと空を飛んだ。


「おー……」


 トモダチが、呆然とした様子でそれを見送る。


「………………おぉ!?」


 しかし数秒後に少女がボチャンと着水するに至り、ようやく我に返った表情を見せた。


「って、何やってんの!? 相棒、めっちゃ溺れてるじゃねぇか!」


 トモダチの目線の先、沖の方では少女がバチャバチャと水面を叩いている。

 苦しげにもがくその様は、溺れていると称する以外に表現のしようがなかった。


「ハッ!?」


 ぼーっと成り行きを眺めていたカッパも、表情を改める。


「お嬢さん、これを使ってください!」


 そして、素早く背中の甲羅に手を掛けた。

 あっさりと外れた甲羅を両手で振りかぶり、遠心力と共に放り投げる。


 勢い良く飛んだ……かに見えたそれは、しかし二メートルほど先でポチャンと水面に落ちた。


 少女が水面を叩いているのは、二十メートルは先である。

 飛距離が十倍程足りない。


「弱っ……」


 そのあまりの飛距離に、トモダチが思わずといった声を上げた。


「僕はインテリ派なんです」


 なぜか誇らしげにカッパ。


「その筋肉は飾りかよ」


「そうですが何か?」


「開き直んなっ」


 問答も面倒くさいとばかりに、トモダチはそれだけ言って飛び立った。


 少女よりも遥か手前で落ちた甲羅に足を引っ掛け、少女の方へと羽ばたく。


 しかし水の抵抗は大きく、遅々として進まなかった。


「おいカッパ、これお前が泳いでった方が早いだろっ」


 これでは埒が明かないと見たか、カッパの方へと振り返りながら叫ぶ。


「ははは、残念ながら僕はその甲羅がないと泳げないのですよ」


「マジで残念だな……!」


 ツッコミを入れながらも、トモダチは懸命に羽ばたいていた。


 しかし、少女までの距離は未だ遥か遠い。


 と、その時。


「人の子よ!」


 セカイ中に響き渡るような大声に、トモダチとカッパがビクッとなった。


「恐れるな! 人の身体は浮くように出来ているのだ! 力を抜くが良い!」


 カミサマの声が、ビリビリと空気を震わせる。


「いや、溺れてる奴にそのアドバイスは無茶だろ……」


 刹那の動転から立ち直って一転、呆れた調子のトモダチ。


 しかしその視線の先で、バチャバチャと激しく立っていた水しぶきがピタリと止まった。


「……は?」


 トモダチの羽ばたきも一瞬止まる。


「ゲホッ……ホントだ、浮いた~!」


 つい先程まで水しぶきが立っていた場所にて、脱力した少女がユラユラと優雅に波間で揺られていた。

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