第5話 少女とウミ①
セカイは、相変わらず見渡す限りのサバクだった。
右を見ても左を見ても前を見ても後ろを見ても、砂砂砂。
そんなセカイの中に、ポツンと佇む一軒家。
その一室、『勉強部屋』というプレートが掛かった部屋にて。
「ハイ!」
白いブラウスに紺色スカートという服装の少女が、元気よく手を挙げた。
おかっぱにした髪が、サラリと揺れる。
「nがむげんだいの時、式は0から1のてーせきぶんに直せるので、答えはlog2です!」
「おぅ、正解だ」
いくつもの数式が書かれた黒板の前で羽ばたきながら、トモダチが頷いた。
嘴には教鞭を咥えているというのに、喋るのに支障はないようだ。
「そんじゃ数学はここまでにして、次は地理にすっか」
トモダチが、教卓の上で開いていた数学の教科書をパタンと閉じた。
「えー!?」
途端、少女の表情が不満に染まる。
「もっとすーがくがいい! それか、りか!」
数学の教科書をブンブン振りながら、強弁を張る少女。
「相変わらず理数系が好きだな、相棒よ」
トモダチが、軽く溜め息を吐く。
「うん! だって、カミサマをぶっ殺すちょーへーきを作るのに必要だから!」
ニカッと、少女は純真な笑みを浮かべた。
「それは結構な志だが、齢八歳で微積分に電気磁気、化学平衡の基礎理論まで理解出来てりゃ十分すぎる。それに比べて……」
新たに取り出した地理の教科書の表紙を、トモダチが羽でパシンと叩く。
「例えば世界に存在した国、何個言える?」
少女を見る目は、露骨に胡乱げである。
「んーとねー」
考えるように視線を上向けながら、少女が手をグーの形に握った。
「お菓子の国とー、おもちゃの国とー、ふわふわの国とー、カッパの国とー」
「世界はそんなにメルヘンじゃねぇよ……」
指を一本ずつ立てながら挙げていく少女に、トモダチは先程より随分深めの溜め息を吐く。
「いや、カッパはメルヘンかどうか微妙だけど……つーかその国、生臭そうだな……」
そんな風に一人ごちた後、軽く首を横に振った。
「やっぱ、そんなんじゃ他の教科やってる場合じゃねぇ。地理やんぞ、地理」
再び、パシンと地理の教科書の表紙を叩く。
「ぶー。だって、カミサマがぶっ壊したせかいのことなんて勉強しても仕方ないでしょー」
少女は、不服そうに唇を尖らせた。
「まぁそう言うな。愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ、ってな。何が役に立って何が役に立たないのか、判断するにゃ相棒はまだ若すぎるぜ」
「むー」
少女はますます唇を尖らせるが、目下不満を垂れ流すのはやめたようだ。
「さて、というわけで」
不承不承ながらも少女の合意が得られたところで、トモダチが飛び立った。
かと思えばすぐ、天井にある突起に足の爪を引っ掛けて降下。
すると、収納されていたスクリーンが引き出された。
同時にプロジェクターが作動し、白地のスクリーンに地図が映し出される。
国名や国境は記載されておらず、ただ地形だけが描かれているものだ。
「オレらが今いる場所がこの世界地図でどの辺に当たるのか、前回教えたよな?」
「んー……ここ?」
数学をやっていた時に比べるとあからさまにテンションを下げつつも、少女は青が大きく広がる部分の左端に存在する島を指した。
「おっ、正解だ」
トモダチが、満足気に頷く。
「昔、『日本』って呼ばれた場所だな」
地図の前でホバリングしながら、トモダチ。
「小さく見えるが、これでも端から端まで歩こうもんなら何十日じゃ済まねぇ。世界はそれだけ広いってこったな」
「ふーん」
興味無さげに、少女が相槌を打つ。
「で……『日本』を含む、この辺りが『アジア』って呼ばれてた地域だ」
嘴で器用に教鞭を操り、トモダチがグルっと大きな地域を指し示した。
「で、『アジア』を含むこれが『ユーラシア大陸』」
次いで、繋がった陸の部分を丸っと囲む。
「世界は、海で隔てられた六つの大陸で出来ていた。そのうちの一つだな」
教鞭を加えたまま、トモダチが首を傾けた。
「ここまで、わかるか?」
「わかんない」
つまらなさそうに、少女が短く答える。
「ふむ……何がわからないんだ?」
トモダチの問いかけに、今度は少女が首を傾けた。
「うみ、ってなぁに?」
「あー……」
トモダチが、意表を突かれたような声を上げる。
「なるほどな。確かに、そこからか」
次いで、納得した様子で数度頷いた。
「うーん、なんつーかな……」
腕を組むように、羽を交差させる。
「でっかい水たまり……みたいな?」
説明の言葉は、どこか自信なさげな響きを伴っていた。
「お風呂?」
やはり伝わらなかったようで、少女が疑問の表情を浮かべる。
「いや、もっともっと果てしなくでかくてだな。そんで、塩を含んでて、波があって……」
「むー……?」
トモダチが説明を加える都度、少女の頭の上にはどんどん疑問符が増えていった。
「それから……えーと……」
トモダチもどうにか説明しようと腐心しているようだが、上手い言葉が浮かばないのか声には難しげな調子が滲んでいる。
と、その時。
「はーっはっはっはっ!」
このセカイの住人にとっては聞き慣れた高笑いが、辺りに木霊した。
「ぶっ!?」
同時に黒板の掛かった壁がグルンと回転し、巻き込まれたトモダチが弾き飛ばされる。
「百聞は一見にしかず!」
飛んでいくトモダチの姿を意に介した様子もなく、回転した壁の向こうから現れた存在。
言うまでもなく、今日もピカピカと輝いているカミサマである。
「カミサマ!」
笑顔を咲かせた少女が軽々と机と飛び越え、カミサマに向かって駆け出した。
一歩目で左手にサバイバルナイフを取り、二歩目で踏み込み、三歩目でカミサマ目掛けて横薙ぎに振るう。
それを、カミサマが受け止め……る、その直前で少女はピタリとナイフを止めた。
同時、右手に持っていたペンをカミサマの脇腹に突き立てる。
しかし、それも手首を掴んで止められたことでカミサマには到達しなかった。
「はっはっは! 随分と駆け引きが上手くなった!」
掴んだ手をそのまま引き上げ、少女の身体を持ち上げるカミサマ。
「だがまだまだ非力だな!」
言いながら、少女をプラプラと空中で揺らす。
「身体能力が伴えばこそ、駆け引きの幅も広がるというものよ!」
揺らされるのが楽しいのか、少女はキャッキャと笑い声を上げていた。
「というわけで!」
少女を揺らしていた手が、ピタリと止まる。
「その環境は、身体を鍛えるにも最適であるがゆえな!」
そして、カミサマは少女の身体を更に引き上げた。
「人の子よ!」
真正面で少女と目を合わせる。
「八歳の誕生日たる今日、カミサマはお前にウミをやろう!」
その真っ赤な目が、いつものように怪しく輝いた。
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