第24話 獄中で自殺しました!
しばらく他愛もない話を依頼人としたあと、二人は笑顔で帰っていった。
二人の背が見えなくなるまで階段から見送って――僕は自室へと踵を返す。
慌てすぎて膝の下のほう、いわゆる弁慶の泣き所をベッドの角に打ちつけ悶絶する。
しばらくその場でうずくまったあと、僕は枕の下に隠しておいた《シャーロック・ホームズ大全》を引っ張りだした。
「頼む、戻っていてくれっ!」
本に向かって一礼し、意を決してぱらぱらとめくった。
白紙のページは見当たらない。
「よしっ……」
と左手をぎゅっと握りしめ、今度はその内容を一ページずつ確認していく。
初めはじっくり、だんだんとめくるペースは速くなり……、
三百ページすべてを確認し終えて顔をあげた。
「は、はは……」
乾いた唇を開くと、乾いた笑い声がこぼれた。
「あははっ……」
三百ページすべてが、シャーロック・ホームズを絶賛する言葉で溢れていた。
なんだか、もとの文よりも苛烈に褒めている気がする。
そして最初の事件が『緋色の研究』から『連続心中事件』へと差し替わっていた。
「なんにせよ、だよ」
僕は独りごちる。
「僕は、守ったんだ……!」
悪意ある未来改変から、シャーロック・ホームズを救った――
その事実がだんだんと身に染みこんできて、湧きあがる感情に血が沸騰するくらい興奮すると、ぎゅっとホームズ大全を握りしめた。
「ホームズ、いますか――」
そこにワトソンの声が聞こえた。
階段を駆け上がってくる足音も響く。
ワトソンも事件解決に沸き立っているなあと思って、それも僕の感情を高ぶらせた。
あのワトソンと事件解決の喜びを分かち合えるなんて夢のようだ。
僕はそっとホームズ大全を枕の下に戻して、しきりに名を呼んでいるワトソンのもとへと急いだ。
「ここにいるよ、ワトソン。ニックは大人しくしていた――」
「ニックが獄中で自殺しました!」
今、なんて……?
惚けた顔でワトソンの顔を見返した。
自殺って言ったか?
それってつまり死んだってことか?
「いつ!? どうやって!? 留置所に危険物は持ち込めないはずだろ!?」
舌を噛み切らないように猿ぐつわを噛ませるよう指示してあるし、手は背後に回して縄で縛っておくようにレストレード警部へは言っておいたのに。
「僕がちょうどスコットランドヤードに着いた頃ですから五〇分ほど前でしょうか。首をナイフで切って死んだようです」
「ナイフ!? そんなものどこから――」
と言いかけて、今更そんな話をしても仕方がないことに気づく。
大丈夫だ、きっとレストレード警部がその死体も見張ってくれているだろうと言い聞かせる。
「レストレード警部は?」
期待を込めて尋ねると、
「それが警部は別の事件で出払っていて」
ワトソンの言葉に息が詰まり、さらに続く言葉が追い打ちをかけた。
「獄中死ということで司法解剖が行われるそうです。ロンドン大学で」
「いやいやいやっ……ちょっと待ってくれ」
あまり公言しないほうがいいと思ってレストレード警部にしか監視を依頼していなかったけれど、まさか不在中に死ぬなんて想定していなかった。
いや今思えば想定すべき事案だったのだが、こうすぐに死ぬと思っていなくて――。
言い訳ばかりがあふれ出して、きゅっと喉が引き締まった。
声が掠れて上手く言葉にならない。
「だめなんだよ、遺体を放置するのは……!」
どうにかそれだけ声に出して、ぐるぐると回る頭で考える。
しかし解決策が全く思いつかず、処理落ちした脳のせいで身体の自由が利かなくなった。
たちまちふらっとよろけると、ワトソンが肩を貸してくれる。
なんだか線香のような香りがして、興奮状態だった頭がすうっと落ち着いていく。
僕の溜飲が下がったのを察したのか、ワトソンがこちらを覗き込んで、
「放置したらだめなら大学へ行きますか?」
あまりのもあっさりと言った。
「え?」
「だから大学で瞠ればいいじゃないですか。僕の大学ですし解剖室まで案内しますよ?」
確かにっ……。
そういえば、ワトソンはロンドン大学の医学生だったっけ。
「そうだな、うん……よし行こう!」
思い立ったら金縛りが解けた。
足が勝手に出口へと向かう。コートを引っつかんで扉を開けた瞬間、
「うわっ危ねぇな、飛び出してくんなガキ!」
声が鼓膜を叩いたが、人間そう簡単には止まれない。
そのままごつごつとした胸に顔面から突っ込んだ。
「へぶぅ」
と変な声が漏れる。
顔をあげると不機嫌そうなレストレード警部と目が合った。
危ないのはどっちだよ。
「まあでもちょうどよかった! ニックが獄中死しました!」
鼻をさすりながらもかいつまんで状況を伝えると、途端に警部の目が見開かれた。
「何!? 奴の死体は今どうなってる!?」
「それが解剖のためにロンドン大学に移送中らしく、今から大学に乗り込もうと――」
言いかけた僕の言葉を警部の鋭い舌打ちが遮った。
「くそ、一足遅かったか!」
「遅かったって何がですか?」
「お前の読みが当たっちまった」
心底憎々しげに吐き捨てる。
「また心中が起こった!」
えっ……。
ぼん、と僕の頭が完全にショートした。
「いや、さすがにそれは……別件、ですよね?」
僕の声がうわずった。
だってニック本人が二十三件目の心中を起こしたのなら、今自殺したばかりの二十二件目の死体はどうしたというのだ。
解剖室から飛び出して、その足で首をつりに行ったとでもいうのか。
「別件なんかじゃない! 一報を受けてアルバート・ホール付近の現場に駆けつけたんだが、この目でしっかりと見てきた。女と首をつって心中した男の顔は紛れもなくニックだった!」
「そ、んな」
単なる赤毛の男なら他人のそら似だと言い切れる。
しかし実際にニックを逮捕したレストレード警部が新しい心中死体を見て、それを『ニック』だと断言するのならば……それはニックなのだろう。
「アルバート・ホールでニックの遺体を確認してすぐに別の刑事を留置所の監視へ走らせたんだが間に合わなかったか。まさかもう獄中でニックが死んでいたなんて……」
「ちょっと待ってください。アルバート・ホールの遺体がニックなわけないじゃないですか」
と、ワトソンが声をあげた。
「ニックは五〇分ほど前に自殺したんですよ?」
「嘘だろ、二十三件目が起きたのもちょうどそのくらいの頃だ」
なんだって?
反射的に本棚へ駆け寄りロンドンの地図を引っ張りだした。
現場となったアルバート・ホールとロンドン大学との距離を調べて絶句する。
「そうです」
とワトソンが僕の思考を読んだかのように肯定の言葉を告げた。
「もし仮にニックが死んだふりをして獄中を抜け出たとしても、その足でアルバート・ホールへ行くのに馬車を使っても最低二〇分はかかります。つまり獄中死したニックが同時刻にアルバート・ホールで心中するのは物理的に不可能です」
そもそも、とワトソンが言葉を続ける。
「獄中のニックは確実に死んでいたと検視をした医師が言っていました。二十三件目をニックが起こすためには蘇るしかない」
胡乱な顔をしてワトソンがあり得ない、と付け加えた。
だが、レストレード警部は食い下がった。
「俺の気のせいだって言いたいのか!? 神に誓って断言するが、アルバート・ホールの遺体はニックだった!」
「それがあり得ないと言っているんです!」
二人の口論の声を聞きながら、僕はない頭をひねっていた。
蘇りというのは死んだ身体そのものが生き返ることだ。
ロンドン大の解剖室、もしくはその移送中に蘇ったとして、その足ですぐにアルバート・ホールに向かっても明らかに時間がおかしい。
移動時間を考えると、『ニックが蘇って二十三件目を起こした』という仮説は成立せず、アルバート・ホールの遺体は別件ということになる。
だがレストレード警部は確実に二十三件目の遺体もニックだったと言っている。
移動不可能な二地点に存在する二人のニック――蘇りという前提が間違っているとするならば、同時存在するニックをどう説明するというのか。
影分身でもあるまいに。
「とにかく、ロンドン大学に行こう。ニックの遺体がまだあるか確認したい」
ニックの身体がなければ(移動手段の問題は残るが)蘇り確定。
もしまだ大学に保管されていれば、二十三件目の遺体を確認しに行く。
二十三件目が別人であればよし、万が一ニック本人であれば蘇りという前提条件から見直さなければいけない。
ニックのあの性格だ。
僕を出し抜いたことを見せびらかすように、これまでよりも頻度をあげて心中事件を引き起こすに違いない。
もたもたしていたら連日心中の嵐になって、またシャーロック・ホームズの名が地に堕ちるっ……。
「ワトソン、案内を!」
「わかりました」
「レストレード警部は二十三件目の遺体をロンドン大学に運んでください。比較したいので」
「あー……やってみる」
ヒラ刑事の一存ではなかなか難しいのか、珍しくレストレード警部の歯切れが悪い。
しかしやってもらわねば困る。
僕は警部の手腕を信じて、ワトソンとともに事務所を飛び出した。
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