第五章 Im home.
第21話 僕のことをはめようとしてませんか?
暗転した視界に突如光が差し込んできて目を開けた。
かすんだ目をこすってあたりを見回せば、目の前にはさびれたおんぼろ教会が立っている。
『KEEP OUT』と書かれた看板を無視して芝生を突っ切るワトソンの背中を見ていると、急に振り返って「どうしたんです? いかないんですか?」ときょとんとした顔。
「いつの間にセーブポイントが変わったんだ……?」
「セーブポイント? なんのことです?」
「いや……」
未だに死に戻りの機序は不明だが、どうやら現在はチャリング・クロス教会に侵入する直前のようだ。
イライザが死ぬ、あのイベントの直前――
「急がないと! 早くしないとイライザが殺される!」
身震いを覚え駆け出した瞬間、くん、と背後に強く引かれて転びかけた。
「何するんだよ!?」
「こういうところは荒くれ者が根城にしています。一応人がいないか警戒したほうが――」
「ここに荒くれ者がいるとしたらニックだけだ! あいつは今まさに中庭でイライザに火をつけて焼き殺そうとしてるんだよ! 爆弾まで仕掛けて! 早くしないと手遅れになっちまう!」
「……なんでそんなことがわかるんですか?」
「えっ?」
怒りと焦りでのぼせあがっていた頭が急に冷ややかになった。
目の前のワトソンは僕以上に冷ややかな目をして、訝しむように顔をしかめている。
まるで現場を見てきたような、いや、ワトソンからしてみればまるで共犯者が相手を陥れようと誘い込むような。
「僕のことをはめようとしてませんか?」
案の定投げかけられた疑問に、口の中の水分が一気に持っていかれた。
「えっと、違うんだ。はめようとかそんなこと思っているんじゃなくて」
「ならその証拠が提示できますか?」
「証拠……!?」
そんなものあるわけがなかった。
死に戻りで実際に未来を見て来たから知っているだけで、本来この時点では知り得ない情報である。
それを証明するとなると、ほとんど悪魔の証明に等しい。
しかしワトソンに動いてもらうためには、今ある情報だけを使ってそれらしい推理を構築しなければならないというわけで。
「くそ、この時点で使える情報は――」
手帳を取りだして乱暴にページをめくった。
メモには『二十一件の被害者男性は全員ニックという名前だった』『被害者は全員赤毛の男だった』『巷では二十一人の兄弟説が浮上している』『ニックの墓で赤毛の男の目撃情報あり ←蘇り? ←魔術は存在しない、あり得ない』と先ほども見た内容しか書かれていない。
これでどう説得すればいいのか。
「何です、それ。捜査資料かと思ったら……象形文字?」
ひょいっと手帳を覗き込んだワトソンが唐突に変なことを言いだした。
きょとんとして手帳に書いたメモを眺めている。
「はあ? 何を言って――」
この忙しいときに変な茶々を入れないでくれと思いつつ、改めて手帳に視線を落としてぎょっとした。
嘘だろう、これ日本語じゃないかっ。
ワトソンが象形文字と呼んだのは漢字だった。
混乱するあまり無意識のうちに日本語でメモを取っていたらしい。
どうしよう、僕がホームズではないことがばれてしまう!
なんとかして誤魔化さなければいけない……の、だが……。
「これは、その、」
「その?」
「………………………………象形文字推理だっ!」
「象形文字推理……って、なんですか?」
それは僕も訊きたい。
咄嗟に口をついて出たとは言え、考え得る上で最もひどい言い訳をしてしまった。
現にワトソンは余計に怪しさが増したと言わんばかりの視線を向けている。
数秒無言で見つめ合い、背後を二台の馬車が通り過ぎたとき、
「まずこれまでのことを象形文字に置き換えるんだ。そこに現れる法則性を読み解くと推理が閃く」
口から出まかせが飛び出した。
「その法則性とは?」
「それは……企業秘密だ」
「企業秘密」
「し、商売道具だからな! まあ僕の助手を続けてくれればいずれワトソンにも伝授してあげるよ、あはははは」
半ば強引に笑って誤魔化すと「ふぅん」と唸りながら象形文字(という名の平仮名と漢字)をじっと見つめた。
「で、これをもとに閃いた推理が、イライザがここにいて、火あぶり直前で、爆弾まである、というものですか」
なんだか行けそうな気がする。
こうなったらやけくそだと自分に言い聞かせて、声をワントーン下げてそれっぽさを演出する。
「さすがだ、ワトソン。僕の象形文字推理についてこれたのは君が初めてだよ」
「……はあ」
「推理が閃いたからには検証しなければならない。お願いだ、もし犯人がいなかったら何でも言うことを訊くから一緒に来てはくれないか――」
「何でも……?」
「約束する! どんな命令でも訊く!」
「うーん、そこまで言うのなら中庭に急ぎますか」
「本当か!?」
「ええ。その象形文字推理とやらの結果も気になりますし」
ワトソンが微笑みながら首肯した。瞬間、その手を引いて走り出――そうとして、
「あ」突然ワトソンが声をあげ踵を返した。
「え、ちょっとワトソン!?」
敷地に入ろうとする僕の横をワトソンがすり抜けた。
路上まで戻りきょろきょろとあたりを見回している。
しばらくして新聞売りの少年が通りかかると一部を購入して懐に収めた。
「お待たせしました」と言いながら小走りに戻ってくる。
「いや、なにこの状況で新聞なんか買ってるんだよ!?」
「まだ今朝の新聞を買っていなかったもので。ほら、防弾にもなりそうでしょう?」
「いや、紙じゃ厳しいんじゃないか……?」
得意げにコートの内側へ新聞をしまう。
ぺらっぺらのそれが銃弾をはじくようには到底思えず、つい胡乱な顔になる。
「まあまあ、とにかく行きましょう!」
「うん……」
なんだか緊張感が緩んだなあとぼんやり考えながら、押されるがままに教会の中へと足を踏み入れた。
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