第11話 三度目の死

 ロンドン市民がハイドパークと呼ぶ公園は厳密には東西二つの公園からなっている。


 東側半分がヘンリー八世の鹿狩り場だったというハイドパークで、西側半分がケンジントン宮殿に付属するケンジントンガーデンズだ。


 だが多くの市民はこの二つの公園を合わせてハイドパークと呼んでいる。


 公園に一歩入ると、それまで居住区を奪い合うようにひしめき合っていたビル群がなりを潜めて、代わりに背の高い樹木が姿を現した。


 しかし冬と言うこともあって葉は全て落ちきっており、魔女の指先みたいに折れ曲がった細枝が空を覆い尽くしているだけだ。


 それでも地面を覆う芝生は健在で、このあたりだけはスモッグの匂いも幾分和らいでいる気がする。


「ハイドパークを知らないってことは、ホームズってロンドンに来たばかりなんですか?」

「え」


 呑気に歩いていた背中にワトソンからの指摘を受け、五秒くらいの間があってから、


「いや、そんなこともないけど、化学実験が忙しくてさ、あはは……」


 苦し紛れの言い訳をしながら舗装道路を進もうとして、ふいに香ばしい匂いが鼻をついた。

 脳が認識するより先に腹の虫がめざとく捉え、身体が九十度直角に曲がる。

 視線の先では呼売の少女が「サンドイッチ、自家製のローストビーフだよう」と威勢よく口上を述べていた。


「ローストビーフのサンドイッチ!」


 毎週末食べたあの味を思い出し、僕の足は機械的にそちらのほうへと向いた。


 少女が立つのは舗装道路から脇に逸れた芝生の上。

 道路を進んでもたどり着けるが、道は曲がりくねっていて明らかに遠回りだろう。

 芝生を突っ切ったほうが近道なのは明白だったので。


 足が舗装道路を飛び出して機械的に駆け出した。


「だめです、ホームズ! そっちは乗馬道ですよ!!」

「え?」


 間の抜けた声で機械的に振り向いた瞬間、視界の隅に茶色い物体が映った。

 止めなければよかったのに機械的に足が止まって。


 ひぃぃ――――んっ!


 馬の長い顔を今度は真正面から捉え、突進をもろに食らう形で突き飛ばされた。


 肋骨のひしゃげた音が身体の内側から響いたと思うと、急に息ができなくなってひゅうひゅうと変な音が口からこぼれる。

 刹那、喉から真っ赤な鮮血がせりあがって、灰色のスーツを鮮やかに染めた。


 いや嘘だろ、っていうのかよ。

 それも、――!


 生暖かく広がる血の海に浮かび、くすんだ青灰色の空を見た。

 黄ばんだ太陽光が遮られて、多分ワトソンだと思うのだけれど、顔もよく認識できない人がしきりに叫んでいた。


 そこで意識はぶつりと途切れ、僕は

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