其の肆拾参 葬送の地
「えっ、今度は、どこですここ?」
紫乃若宮がきょろきょろと周囲を見回す。
他の霊衛衆も同じようなもの。
そこは、月もない夜中だと思われる、暗い場所である。
最低限の視界が保たれているのは、霊衛衆の闇に眼を塞がれない霊能と、そもそも周囲に点々と、橙色の蝋燭が灯って揺れているからである。
蝋燭のぼんやりした灯りの中に浮かび上がるのは、ところどころに転がる石でできた墓碑や、灯籠のようなものである。
「なんだ!? ずいぶん臭いな……」
白蛇御前が形の良い鼻の付け根に皺を寄せる。
確かに、ぼんやりとした夢幻の雰囲気の漂う場にしては、異様な悪臭が漂っている。
誰もが思わず顔をしかめたほど。
これは。
「……死臭、ですね」
綾風姫は、袖で鼻と口を押えている。
「よく見て下さい。周り。ここ、死骸を捨てる場所ですね」
点々と灯る灯りの外周部に、よく見ると妙な影が見える。
曲がった棒状のものの先に、更に曲がった細い棒状のものが生えている何か。
微妙な曲線。
……人間の腕だ。
腕ばかりではない。
もはや動かない、足先、膨れ上がった胴体、崩れた頭。
人間の死骸である。
それも、一体や二体ではない。
蝋燭の灯りの届くところにも、そして恐らくは届かないところにも、延々と、無数の死骸が転がっているのである。
「ぎぃやぁぁぁああああああぁぁ!! またこういうのぉ!! 嫌だって言ってるじゃないですかあ!!!」
紫乃若宮が真っ先に悲鳴を上げる。
そこは、黒耀なら見たこともある、京の
足の踏み場もないほどの死骸の山が、霊衛衆を取り囲む形だ。
「……ふむ。何のつもりだ、道震」
黒耀が、静かに周囲を見回す。
動かない死骸と、灯火の灯りに寄って来る虫の影がちらちらと。
「単なる嫌がらせってこたあ……つうか、生きてるのかよ、道震って奴。どうしたら死ぬんだ?」
白蛇御前が、気分悪そうに顔をしかめてこぼす。
「この無数の死骸の山から、道震を探せというのだったら、ぞっとしませんが……」
綾風姫も軽く死骸に手を合わせてから、そんなことを口にする。
「……道震は生きておる。どうも、並みのやり方ではあやつは死なないのではないか。そのように言っていたな、紫乃若宮」
黒曜が、託宣の権能を持つ紫乃若宮を振り返る。
紫乃若宮は、死臭が目に染みるのか涙ぐんでいる。
「ええ、はいはい。あの人、普通のやり方では死なないんですよ。どうも、命を別のところに隠しているみたいで。隠しているっていうか、持ち運んで追い付けないようにしている奴がいるみたいで」
急にそんなことを言い出した紫乃若宮に、黒耀ばかりか、白蛇御前と綾風姫の視線も集中する。
「なんだよそれ!? そういうこたぁ、早く言えよな!!」
「紫乃若宮さん、何者が、道震の命を持って逃げているんです?」
矢継ぎ早に突っ込まれて、紫乃若宮はいささか泡を食う。
「ほら、いたじゃないですか、あの、邪神の島に入る時に出くわした……」
「……逆巻丸か」
黒曜が低く口にした、次の瞬間。
まるで、その名前が合図であったかのように、霊衛衆の足元の死骸の群れが、一斉に動き出したのである。
「わぁああああああぁ!!! 何か嫌な予感がしたんですよねえ!!!」
臭くて汚いだけの嫌がらせなんて、生ぬるいことじゃないとは思ってました、わたし!!
紫乃若宮がやけっぱちで悲鳴を上げる。
「ちっ!!」
白蛇御前は、予期していたのか慌てた様子もなく、手にしていた輪を振りかぶって投げる。
むくむくと起き上がり、霊衛衆の方へ押し寄せようとしていた死骸の群れが、両断されて草がなぎ倒されるように倒れる。
「これは、この方法しかありませんか……」
綾風姫が、翼を駆って暗い空中へと躍り上がる。
その優雅な腕が一振りされると、青白い炎が、まるで津波のように膨れ上がって、死骸の群れを飲み込む。
上空から見ると、まるで同心円状に広がる津波のように青白い炎の波が、死骸たちを飲み込み、急激に灰と化していく。
もはや、橙色の控えめな灯火は青白い炎の大波に飲み込まれて見えず、周囲一帯は地獄の光景のような火の海である。
動く死骸は見えない。
「やれやれ。これで終わりか?」
白蛇御前がようやくというように大きく息を吐いた時。
「……まだだな」
黒耀が、炎の壁の向こうに、顎をしゃくる。
まるで、地獄から罪人を迎えに来るという、伝説の車のように。
人間と、車を半ばしたような奇怪で巨大なモノが、燃える死骸を踏み越えて、霊衛衆に突進してきたのである。
「ちぃっ!!」
白蛇御前が、戻って来た輪を今度はそのモノ車に投げつけ、車の前から生えた、人間の胴体を撫で斬りする。
道震の顔をしたモノ車が絶叫する。
そのまま胴体をねじりつつ、霊衛衆に向かい、うすぼんやり光る霧のようなものを吐きつける。
「くっ!!」
霊衛衆の面々の、足元がぐらつく。
死の気をたっぷり含んだその毒霧は、霊衛衆たちの肺の腑を焼き、肌を浸蝕する。
「……ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」
黒耀が、不動根本印を結びつつ、高らかに不動一字咒を唱える。
同時に、猛烈な霧を吐き出すモノと化した道震の体が、紅蓮の炎に包まれる。
あまりに勢いよく燃え上がったため、まるでモノの形の炎だ。
道震だったモノが、青白い炎の揺らめく地面に崩れ落ちる。
天狗の青白い炎と、不動明王の紅蓮の炎が混じり合い、共に不浄を浄化していく。
「……これでも、まだ、か」
霊衛衆がほっとしかけたところに、黒耀が重い溜息をつく。
仲間を振り返り。
「このままでは、道震は倒せない。ここで燃えているのは、道震の切れ端に過ぎず、命そのものを燃やし尽くさぬ限り、奴は何度でも甦る」
黒曜が話している間に、燃えていく道震の体がさながら蛹のように割れて、向こうに何かが見えてくる。
「そなたら三人で逆巻丸を追え。我は、道震を釘付けにしておく」
黒耀は、その空間の割れ目の間から吹きつけてくる寒気を受けて髪をなびかせながら、そう命じる。
三人は顔を見合わせて、息を呑む。
「しかし、黒耀阿闍梨……」
何か申し出ようとした綾風姫を、黒耀は強い言葉で制する。
「行け!!!」
それが合図であったかのように。
「ちょっと黒耀さん、死なないでくださいね!! 寝覚め悪いですからね!!」
「どうせそっちの道震が死なねえんだったら、適当に体力温存して受け流せよ!!」
紫乃若宮が勇気づけを、白蛇御前が戦いの指針を与え、彼らは綾風姫の翼の風に乗って、一瞬で空間を飛ぶ。
次の瞬間、黒耀が飲み込まれたのは、一面の銀世界、キンと冷えた、冬の山の只中であった。
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