其の肆拾壱 幻と現実

「あっ……あれ?」


 紫乃若宮が頓狂な声を上げるが、他の三人にしても心境は同じようなものであっただろう。


 周囲はあの、燃える寺院ではない。

 奇怪な造形の、邪神の寺院である。

 無論、道震もあの奇怪なモノも存在していない。


「……あれは、幻ですけど、幻ではありませんよ」


 綾風姫がその様相を見取って、仲間たちに解説する。


「作り上げた別の世界に、我らを引っ張り込んだんですね。その世界で我らが死ねば、実際にこの世界で死んだのと同じこと。あの泡のモノで我らを片付けてから、鎌倉をどうにでもできると踏んだのでしょうけど」


 綾風姫のその言葉に、黒耀がうなずく。


「……道震は、『呼ばれざる者』の信徒となってからの方が修業は進んだようだな。他の邪教徒とは、格が違う高度な術を使う。本人と直接対峙したら、こんなものではないはずだ」


 白蛇御前が黒耀の言葉を受けて、へっと鼻を鳴らす。


「上等だ。真正面から、頭をぶち砕いてやる」


 ひゅん、と宝棒を振った白蛇御前をふと見やり、黒耀は遠くに目をやる。

 星が瞬いている綺麗な鎌倉の星空の手前には、不気味な造形の寺院が甍を連ねる。


「……問題は、道震がこの島のどこにいるのか。気配は感じるが、今の術に似たような術で、幻と現実を切り張りしているのだとすると、かなり厄介だが」


「それなら、大丈夫です」


 綾風姫が、翡翠色の翼を広げる。


「私が、道震を感知しています。あの幻の空間の中にも、本人の気配を写し取っていたのが仇となりましたね。今からひとっ飛びで行けますよ」


 綾風姫が、霊衛衆一行を手招きで呼び集める。


「わあああ~~~、緊張してきましたよ~~~。多分ね、普通に戦ったら倒せない相手ですよ道震って奴」


 紫乃若宮が不吉なことを予言する。


「具体的にどう攻めたらいいのか戦術を組み立てるためにも、道震の本物を見ておかねえとな。綾風、頼むぜ」


 白蛇御前が、綾風姫の翼の影に寄る。


「よし、行きますよ!!」


 綾風姫が夢幻の風を呼び、一瞬で霊衛衆の姿は、その場から消えていたのである。



◇◆◇



「わあああああ……あれ」


 紫乃若宮が思わず周囲を見回す。


 よく床の磨かれた広間である。

 周囲のふすまに、逆巻く波が描かれている、冬の海の美しさを示した広間である。

 飛ぶ浜千鳥、濡れた磯の岩、風の音まで聞こえて来そうな空。

 何故か昼間のような光が、どこからともなく差していて、襖絵を鮮やかに浮かび上がらせる。


「よう、来たな」


 奥に、誰か座っている。

 酒の匂いがする。


「道震……」


 黒耀は、その人影に向けて呼びかける。


「……なあ、こいつおかしくねえか? よく考えると」


 白蛇御前が首を捻る。


「黒耀とこいつが同じ寺にいたのって、五十年以上前だろ? 全然年寄じゃねえな?」


 確かに、その男は先ほどの幻の中にいた道震で、しかも若いままの姿である。

 衣装は金襴の派手な直垂に烏帽子で、胡坐をかいて床に置かれた盆に、銚子が鎮座している。

 彼は手酌で、それを土器かわらけに注いで呷っている。

 大柄な男で、顎の発達した男臭い容貌だ。


「異なことを言う奴だ。お前らが年を取らないなら、俺だって年を取らなくていいではないか」


 道震がけたけた笑う。

 黒耀と同じくらいに見える若い顔で。


「……道震。もしやお前は」


 黒曜が、再会の挨拶も省略して冷たい目で見据える。


「……やはりそうか。お前は、『呼ばれざる者』の分霊を宿したな」


 と、その言葉を待っていたかのように、道震が大柄な体をひねり、黒耀を覗き込むように。


「お前も、昔から変わらぬな。お前が大黒天の分霊を宿したのなら、俺が別の神の分霊を宿して悪い訳はあるまい」


 そう言って破裂するように笑う道震を、黒耀は冷然と、そして他の霊衛衆は唖然として見据えている。

 まるで生き物のように、道震の影が伸び。

 体がまるで人間ではない生き物のように、伸びて蠢く。


「……何故だ。道震、何故、お前は『呼ばれざる者』なぞに己を売り渡したのだ。あのまま醍醐寺に留まって修業していれば、また別の仏尊の分霊を宿す機会もあったやも知れぬだろう」


 黒曜は凪いだ瞳で道震の道を踏み外した原因を訊き出そうとする。


「ああ、そのことかあ……」


 ひっく、と酒臭いしゃっくりをしながら、道震はけたけた笑う。


「それはなあ……待てん!! 待てんのだ!!」


 何がおかしいのか、彼はとめどなく笑い出す。


「……なんだこいつ」


 白蛇御前が心底呆れ返った顔で呟くが、道震には聞こえていないよう。


「俺はなあ、それが待てなかった。待ったところで、お前の二番手だということになるではないか。それはなあ、嫌だ。周囲がやっぱりなって顔をしてるのも、嫌だったしな!! なあ、親王様!!」


 また笑い出した道震に、綾風姫が鋭い表情で口を挟む。


「あなた、もしかして、黒耀が親王様だから、大黒天に選ばれたと思ってます? いいですか、神仏は、俗世の身分で待遇に差をつけるようなことはありませんよ!?」


 その非難に返って来たのは、またとめどない笑い。


「そうでもないぞお!! 醍醐寺の連中が『やっぱり親王様だから』って言ってたのを聞いてしまった!!」


 と、紫乃若宮が首を傾げながら突っ込む。


「あのー。あなただって親王様じゃないにせよ、公卿の家の人ですよね?」


「それがどうした、俺は、黒耀に、醍醐寺では勝てなかった!! なら、勝てる方策を探すまで!!」


 道震が号令のようにそう口にした途端。

 広間の周囲の荒海の襖がひとりでに開き。

 奥から、まるで本物の海のように、逆巻く白い海水が、勢いよく流れ込み、霊衛衆を一気に押し流したのである。

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