其の肆十 邪神の殿堂
「あぢゃぢゃあ!! 何ですかこれ!!」
紫乃若宮が悲鳴を上げるより早く、霊衛衆の周囲の光景が変わっている。
周囲は、燃える堂宇が立ち並ぶ、古びているのだろう寺に変わっている。
その燃える建物を取り囲んでいるのは、熱に煽られる竹林で、端の枝が燃えようとしている。
「おい、こりゃあどこだ? 今までみたいな『呼ばれざる者』の殿堂じゃあねえだろ?」
白蛇御前が周囲を見回すと、黒耀がふと彼女を振り返る。
「いや。邪神の殿堂だ」
「ああん?」
「見覚えがある。道震と共に始末を付けに来た、『呼ばれざる者ども』が根城にしていた寺だ。京の、右京の外れにあったもの」
黒曜の言葉に、白蛇御前が舌打ちする。
「幻か。つくづく面倒なことが好きな野郎だな、道震って奴は」
ふと。
綾風姫が鋭い天狗の目で、その幻の奥を見据える。
「……黒耀阿闍梨。道震というのは、あの男ですか?」
綾風姫が指差した先に、大柄な若い男がいる。
返り血を浴びたものか、左頬に血のしぶきの跡。
細身ではあるが平均よりも背の高い、黒耀よりも、更にだいぶ背が高く、おまけに筋骨が発達しているらしく、小山のような大男に見える。
頭は蓬髪であるが、僧兵のいで立ちだ。
片手に薙刀。
男臭い風貌だが、その表情はどこか戸惑っているように見える。
「黒耀!!」
その大男が、まさに黒耀の方に向けて手を伸ばす。
黒耀は静かにその幻の大男を見返す。
「こやつが道震。みな、風貌を覚えておけ。これ自体は幻にせよ、どこかに本物がいるはずだ」
黒曜の指示に、霊衛衆たちは鋭い視線を「道震の幻」に向ける。
「これって、この道震って人が『呼ばれざる者ども』入りのきっかけになったっていう、あの人たちの粛清の場面ですか?」
紫乃若宮が、いきなり周囲に現れた、転がる無残な死骸を見やって、口元を袖で覆う。
「……って、わああ、やっぱり!!」
紫乃若宮が更なる悲鳴を上げる。
黒耀の足元に、血塗れの幼子の死骸が出現したのだ。
四つか五つ程度であろうが、身体の半ばが、大きな芋虫のように見える奇怪なモノと融合している。
子供自体は死んでいるようだが、芋虫の部分はまだうねうね動いている。
「どうしてだ、黒耀」
幻の道震が、轟雷のように叫ぶ。
「何でこんなわらべまで手に掛ける。四つだったというではないか。殺す必要はなかろう。醍醐寺に連れて行って、祭壇を設えれば」
「我はこう言った。『無駄だ。このようになってしまった者を素早く救うのには、早く御仏のお力で成仏させるしかない。醍醐寺に連れ帰ったところで、結論は同じ』」
「わからないではないか!! お前ひとりの力でどうにもならなくとも、寺を挙げれば」
道震は更に叫ぶ。
黒曜はすうっと目を細めて何かを探るように。
「『我はその醍醐寺の総力を挙げて生み出された、大黒天を宿す者。思い上がる訳ではないが、我が手を掛ける以上の修法など、存在せぬ』」
その言葉を聞いた時の道震の表情は身震いするようなものである。
ぎろりと剥いた目に、周囲の炎が映りぎらぎらしている。
何か叫び出しそうに口を大きく歪めたが、言葉は出ず、獣じみた荒い吐息だけが吐き出される。
彼は掴みかかるように、黒耀に向けて太い腕を伸ばす。
「黒耀。お前はそういう奴よ。いつも自分が一番だと思っていて、他人の言葉を聞かぬ」
「『落ち着け。これは事実だ。「呼ばれざる者」の惨禍をこれ以上広げぬために、大黒天の加護にすがるしかないのは、お前にわからぬはずがないだろう』」
道震が絶叫する。
抑えきれぬ感情を噴出させた、断末魔の悲鳴にも似た絶叫。
「はっきりとわかりましたね」
綾風姫がかすかに溜息。
「この道震という人、幼子が目の前で黒耀阿闍梨に始末されたから、嫌になったんじゃないですよ。嫌になったのは、自分ではなく、黒耀阿闍梨が醍醐寺で一番の法力の持ち主で、その判断に自分が何も言えないこと」
白蛇御前の溜息は、綾風姫のように控えめではない。
「要するにこいつ、黒耀に対する嫉妬を抑えきれなくなった訳だろ? 男臭い見た目の割に僻みっぽいうじうじした奴だな」
紫乃若宮は、足元で火が燃えているように、ひょいひょい足踏みする。
「わたしにはわかりますよ~、こういう感じで僻みっぽい奴ってのは、始末に負えないんですよ~……ほらーーーこういうことする!!!」
紫乃若宮が、今の今まで蠢いていた子供の死骸を指す。
モノと融合させられた子供の死骸が、まるで空中から吊り上げられたように、ついと立ち上がる。
半ばモノの顔が満面の笑みを浮かべ、そこここから、虹色の泡に似た、奇怪な球体を生み出す。
それが、黒耀はじめ、霊衛衆に向かって突っ込んで来る。
「……オン・マカキャラヤ・ソワカ」
間一髪、黒耀たちの周囲に、象の皮が展開する。
しかし、それに触れても、虹色の泡は消えることはない。
逆に、まるで空気を吸い込んだかのように、数十倍もの大きさに膨れ上がり、象の皮に護られた霊衛衆を取り囲んで押し潰さんばかり。
それに加え。
「ちっ、めんどくせえことを!!」
白蛇御前が、泡の隙間から伸びて来た、芋虫状の触手を、剣で両断する。
彼女でなければそんなことはできないであろう、人間の胴体くらいある触手である。
切り落とされた触手は、泡に帰して、周囲のそれと融合して、霊衛衆に迫って来る。
「わあわあ、まずくないですかこれ」
紫乃若宮が、泡が触れた足元を指す。
そこには、まるで匙でえぐり取られたかのように、地面が丸く泡の形に消えている様子が見える。
「まずいですね、確かに。でも」
綾風姫が、幻の巨大な翡翠を実体化させ、泡を押し返す。
泡が殺到して来るのは、黒耀の真正面、象の皮の鼻の部分だけとなる。
「黒耀阿闍梨は、かつてこれに勝っているはずなんですよ」
綾風姫が信頼をにじませて口にすると、黒耀はうなずく。
「……いささか前より難しいが。こんな泡は生み出さなかった」
えっという声と共に、紫乃若宮と白蛇御前と綾風姫が顔を見合わせる。
「それは……」
黒曜の手元に、泡が殺到するかに見えて。
「……オン・マカキャラヤ・ソワカ」
広がる聖なる暗黒が、虹色の泡を包み込んだのだった。
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