其の参拾玖 思い出
「うらあ、これで仕舞いだぁ!!」
白蛇御前が、異国風の戟で、そのモノの胴体を貫き、粉砕する。
双頭の巨大なモノは、人間に似た肢から崩れ落ちて、地面に倒れ伏す。
見る間にその巨躯が塵と化していく。
周囲には似たような残骸が、幾つも転がる地獄絵図。
「さて、もう道震のいる寺院の敷地ですね」
綾風姫が、泡を実らせたような、奇妙な樹木を見上げながらそう呟く。
彼らの間近には、現世の寺院よりかなり巨大に造られた、「呼ばれざる者」に捧げられているのであろう寺院がそそり立つ。
赤黒くぬめぬめとした何かが纏わり付き、おかしな、嗅いだことのないような匂いが漂っている。
全体的な造りは、現世の仏教寺院を模しているようだが、あちこちに見られる装飾の意匠は、何とも表現しようのない禍々しいものであり、仏法を奉じている気配はない。
「あ……誰かいますよ。人間じゃないですか? 女の人みたいですよ?」
紫乃若宮が、広大な庭に相当する敷地の中の一角を指す。
確かに、人間の女性に見える。
この島に近付いてからというもの、奇怪なモノに付き纏われていた霊衛衆一行からすれば、久々にまともなものを見た想いである。
恐らく高貴な誰かに仕える女房、腕に、おくるみで包まれた赤子を抱いている。
「赤ん坊を抱いた女? どういうことだよこれ?」
唐突な状況に、白蛇御前は警戒を緩めずに、その女を見送る。
赤子を抱いた女は、庭の一角に着けられた牛車に乗り込み、そのまま牛車はどこへともなく消える。
「なんだ……」
『主上、これで醍醐寺も押さえられますな』
ふと。
寺院ににた建築の、庭に面した部屋に、いつの間にか誰かがいる。
畳を敷かれた、上座にいるのは、僧形の貴人。
そして、下座にいるのは、顔は見えないが公卿であろうことは衣装から判別できる誰か。
『まあ、ちょうど良い時分に生まれてくれたわい。あの白拍子が懐妊したと知った時は血の気が引いたが、これも御仏の采配よ。醍醐寺も、そう無理はできなくなるよう、折を見て息子に手紙でも書いてやるとするか』
はははと笑う僧形の、主上と呼ばれた男に、黒耀は見覚えがある。
「……父上」
「え? いや、確かに後白河法皇ですけど、この方!!」
紫乃若宮がわたわたと黒耀と後白河法皇の間に視線を行き来させる。
白蛇御前は鋭い目で後白河法皇の姿をした人物を睨み、綾風姫は目を細めて観察する様子。
「後白河法皇はとっくの昔にいなくなってんだから、本物じゃないのはわかるが、こりゃあどういうつもりだ?」
「過去を再現しているつもりでしょう。どのくらい正確なのかは怪しいものですが。さきほど、牛車で連れて行かれた赤ん坊が、黒耀ということでしょうね?」
白蛇御前と綾風姫が、素早く言葉を交わした後、更に寺院の内部のやり取りに耳を澄ませる。
『しかし、あちらの御子が、それなりの待遇を求めておいでになって、醍醐寺をまとめるどころでなくなる懸念も』
『そうなったらそうなった時よ。母親が公卿の姫君という訳ではないのじゃから、若死にしても問題あるまいて』
けらけら笑い合う後白河法皇と公卿の誰かの会話に血の気を引かせた霊衛衆の面々が、淡々としているように見える黒耀を振り向く。
「黒耀阿闍梨。真に受けてはいけませんよ」
綾風姫が真っ先に言葉を放つ。
「何の裏付けもないたわごとです。わざわざこんな幻を作り上げて見せつけてくるのが、その証拠」
「……たわごとだろう。これを作り上げているのは、道震に間違いあるまい。奴は我と同い年だ。我がこの時期に赤ん坊なら、奴も赤ん坊、事情を見知っていたはずがない」
あっさり言明された黒耀の一言に、霊衛衆も一気に緊張が解ける。
「あー!! そうですよね。人づてに聞いたというのもこういうのの場合かなり有り得ないんじゃないです?」
紫乃若宮が、大仰に手を打つ仕草をする。
「黒耀を揺さぶろうっていうのか。みみっちい奴だな、道震っていうのも」
白蛇御前が軽蔑で鼻を鳴らす。
と。
『黒耀、こっちに来いよ』
『やだよ、道震。叱られるよ』
穢れた寺院の庭に、二人の幼子の姿が見える。
霊衛衆は、じっとその二人を目で追う。
黒耀と呼ばれた色白の子供には、確かにここにいる黒耀の面影がある。
『大丈夫、ほら』
幼い道震が、目の前にいる二、三人の子供の方に、幼い黒耀を導いていく。
「……ああ。これは出鱈目だな」
黒耀は、遊び始めた子供たちの幻をあっさり否定する。
「え? よくある光景みたいだけど、何か違うのか?」
白蛇御前が振り向いて問う。
「……道震は、座学が苦手で、なまける口実によく我を誘ったが、我は与えられた課題をこなすのが楽しくて、大体の場合は道震の誘いを断っていた。醍醐寺の小坊主じゃからな。その辺のわらべと同じように過ごす訳にはいかぬのだ」
黒曜が身も蓋もない種明かしをすると、紫乃若宮が前にも増して激しく手を打つ。
「あー!! そうだ、そうですよね。学僧になる予定なんだから、小坊主の頃からでも、こんな風に遊んでいられないですよね」
「自分が引っ込み思案の黒耀を、友達と遊べるようにしてあげましたとかいう筋書きの幻かあ? しょうもねえ」
白蛇御前がぱたぱたと手を払う。
それに押されたかのように、庭の子供たちの幻が弾けて消える。
「道震って人があんまりまともじゃないのを実感しますよ」
綾風姫が、盛大に溜息をつく。
「恩着せがましい奴に、まともな奴はいません。おまけに、その恩が嘘で固められているんじゃあ、まともな要素が欠片もないじゃないですか」
と。
庭の一角で、炎の柱が巻き上がるのが、霊衛衆の目に捉えられたのだった。
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