其の参拾捌 逆巻丸
弁財天の船の周囲をびっしり取り囲んでいるものは、一見すると、巧みに組み上げられた石組のようにも見える。
石組で固められた
しかし。
「ぎぃやぁぁぁぁあああああああ!! ちょっとなんですかこれぇ!! ヤダーーー!!」
紫乃若宮が真っ先に嫌悪の悲鳴を上げる。
船に乗り込んだ霊衛衆の周囲を取り囲む石組の、その石のように見える白っぽい枠一つ一つに、恨みが滴り落ちそうな、人間の顔が付いていたのだ。
いずれも霊衛衆には見覚えのない顔ばかりであるが、向こうはまるで親の仇ででもあるかのように、霊衛衆にじっとりした視線を送り込んで来る。
「何か、こういうの見たことあるぞ」
うげげと喉を鳴らしながらも、白蛇御前がそんな風に評する。
「腹の虫に似てねえか。不摂生した奴の尻から出てくるやつ」
白くて平べったく、無数の体節に分かれている「腹の虫」を、何千倍も大きくしたら、この船を取り囲むモノに似ているであろう。
無論、体節の一つ一つが、一体のモノであるはずなので、自然の虫では有り得ないが、この世と言う体に食い込む虫という意味では同じようなものかも知れない。
「流石、『呼ばれざる者』の領域から連れて来られただけあって、今までのモノとは大きさが違いますね。『呼ばれざる者』により近いのですよ」
綾風姫が、ゆっくり幻の風を巡らせ、弁財天の船の周囲を警戒しながら、そんな風に解説する。
「皆様、油断なさらず。今までとは訳が違いますよ」
「……本体は、この虫ではないな」
黒曜が、静かに
「……貴様は何者だ」
黒曜の視線の先に、調和がとれずけばけばしい印象の翼を背負った、奇怪な生き物がいる。
綾風姫ら天狗のような、様々な色の鳥の翼ではなく、
上半身は裸で毛皮に覆われており、水干袴を穿いた下半身は、獣のような関節の向きが人間とは違った肢が生えている。
爪が四本や五本ではなく、二本の大きな
牛の
「おめえが、黒耀だな?」
その奇怪な生き物は、黒耀を睨み据えてくつくつと笑う。
「後白河の法皇と、ひところ親しくなった白拍子の間に生まれて、周囲が処遇に困って、醍醐寺に預けたっていう、あの黒耀かよ?」
その思いがけない暴露に、動揺したのは、黒耀本人ではなく、周りの仲間、霊衛衆である。
「そのような立ち入ったことを知っているというのは、この喋るモノが道震か、あるいは道震に近い存在か、ですね?」
綾風姫は、もの問いたげに、黒耀に視線を送る。
「……こやつ自身は道震ではない。目鼻も声も別人だ」
黒耀はあっさり断言する。
半ば獣のような姿ながら知性を感じさせる口調のこの者は、単なるモノではないが、しかし、黒耀の知る道震とは共通点がない。
「……この禍々しい瘴気からして、自ら『呼ばれざる者』の分霊を宿してモノと化した信徒であろう。道震に仕えているのであろうな」
「ま、ちっと違うけど、そんな解釈でもまあ、いいや」
卑し気な口調で、そのモノはそんな言葉を投げる。
「俺は、
すうっと、逆巻丸が板状の翼で、瘴気で覆われた島の空に舞い上がる。
「そのまま、死にな!!」
それが合図であったかのように、船を取り囲んで押さえつけている形の巨大なモノの群体が、それぞれの口から、朧に燃える炎なのか発光する煙なのか……を吐き出す。
それぞれ、何事か恨み言を口にしながら吐き出されるその瘴気は、聖なる弁財天の船を、まるで大岩をぶつけたように揺るがす。
ぐらぐらと、弁財天の船が揺れる。
「あわわわわ、ちょっとこれどうしたら……!!」
紫乃若宮が悲鳴を上げた時。
「……オン・マカキャラヤ・ソワカ」
黒曜が大黒天の咒を口にした瞬間。
「ん? おい」
白蛇御前が、周囲の巨大なモノの群体を攻撃しようとして、いきなり目標を見失う。
そこには、霊衛衆たちには見慣れた、安心感を与えてくれる、輝く大黒天の闇がある。
まるで新鮮なタケノコの皮を剥ぐ呆気なさで。
大黒天の輝く闇が、モノの群体を飲み込み、丸ごとあさり消し去っていたのである。
「うわ、おいおい!!」
呆れたような悲鳴を上げたのは、危うく輝く闇から逃れた逆巻丸である。
大黒天の輝く闇は、そのモノを消し去った攻撃で消えたわけではなかったのだ。
「呼ばれざる者」の力を宿した穢れた島を包み込み、ゆっくり拳を握るように、島ごと飲み込もうとしている。
「おっ、いいぞ黒耀!! このままこの変な島消しちまえ!!」
白蛇御前がうきうきした声で囃し立てる。
「ちっ、ちくしょおおおおおおお!!!」
逆巻丸が、翼を駆って、島の中に逃げ込んだのが見える。
それと同時に、大黒天の輝く闇を押し返すように、微細な稲妻を帯びた壁が、島全体を覆ったのである。
「あれって……あれが道震って人の力……」
紫乃若宮は怖気を振るった顔になっている。
「大したものですね。大黒天の力に少しでも対抗できるなんて、やはり道震という人も、ただの邪教徒じゃありませんよ」
綾風姫がそう見立てる。
「あー!! もしかして、この島を送り返すには、ここに突っ込んで道震って奴をツブさねえと無理だってことかあ!? めんどくせえーーー!!」
白蛇御前が剣の柄で、ごしごしと頭を掻く。
「……行くぞ。島のどこかに着けてくれ、白蛇」
黒耀が、弁財天の船を操る白蛇御前にそう依頼する。
おうっと威勢よく応じた白蛇御前の声に応じるように、弁財天の船は、不気味な鬼火が燃える島の周辺部に降りたったのである。
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