其の参拾参 阿鼻地獄
白蛇御前の戟が幼い鎌倉殿の痛ましいような未熟な胸に突き立てられ、彼が命を失うや、その姿は急激に人間ではないものとなる。
巨大なナナフシの節の一つ一つに、老若男女様々な人間の顔がへばりついたような奇怪なモノの死骸が、そこには残る。
今まで化けていた鎌倉殿の幼い体より、正体のモノの方がはるかに大きいくらいである。
人間の大人の二倍はありそうだ。
「うわあ……まー、こんなことだろうと思いましたが。これって、あの小芝居の意味あったんですかねえ?」
紫乃若宮が、何の粘液かはわからないがべたべたしたもので覆われた鎌倉殿だったモノの死骸に嫌悪を示す。
その不潔な死骸も、光の粒と化して往生していく。
霊衛衆は、確実に「呼ばれざる者」の勢力を削っていくのだ。
「するってえと、本物の鎌倉殿は、榊姫のところに捕らえられたままだな。舐めた真似を」
白蛇御前が荒っぽく唸る。
「でも、一つわかったことがありますよ」
綾風姫が、ぎゅっと形の良い眉根を寄せる。
「鎌倉殿は、まだ『呼ばれざる者』に取り込まれていないのですね。実際に鎌倉殿を取り込んだなら、本当に我らにけしかけて、我らに鎌倉殿を手に掛けるよう仕向ければいいはずです。化けたモノが言っていた屁理屈は、本物の鎌倉殿に吹き込んでいるものかも知れません」
黒耀は、獄炎の渦巻く空を見上げ、仲間たちを促す。
「……急ぐぞ。鎌倉殿はまだ幼くてあらせられる。『呼ばれざる者ども』の小手先に、丸め込まれかねない。幸い今は抵抗してくださっておいでのようだが、いつまで保つかわからぬ」
霊衛衆は、綾風姫の広げた翼に寄る。
一陣の涼し気な風が吹き、霊衛衆の姿は、衆合地獄からきえていたのだ。
◇◆◇
「これは……!!」
「うわああああ、ヤダーーー!!」
黒耀の呻き声と、紫乃若宮の悲鳴が重なる。
猛烈な暑さ、いや、熱さである。
岩山が燃えている。
その十重二十重の炎の中に、追いやられる亡者たちの姿が一瞬見え、そしてそのまま灼けるというよりは蒸発するように燃え尽きていく。
その一方で、巨大な蛇や熊といった、人間の何十倍もある巨大な生き物が、焦げた亡者を更に噛み砕いていく光景も生々しい。
骨が噛み砕かれるぞっとする音が、炎の轟音と重なって聞こえる。
亡者たちの絶叫が熱気と共に渦巻いており、容赦ない責め苦に背筋が凍る。
ここは、地獄の最下層。
「阿鼻地獄」である。
「こいつは……閻魔様に派遣された追跡の任を負った獄卒か。参ったな」
白蛇御前が、目の前のゆらめく巨大な影を見て暗澹たる溜息を落としたのも道理。
それは正確に表現するなら「獄卒だった者たち」であろう。
まるで背中を突き破って巨木でも生えて来たかのように、塔のような細長い大きなものが、彼らの背中から突き出して、彼らはさながら、それを運ぶ車のような状態だ。
すでに彼らは地獄の獄卒ではない。
「モノ」に全身を乗っ取られた犠牲者である。
「彼らから生えているのは、生き物に寄生する性質のあるモノですよ。追跡部隊の獄卒たちが、榊姫に返り討ちに遭ったようですね」
綾風姫が痛ましそうに眼を眇める。
と。
その、獄卒たちの背中から生えた鉄製の塔のようなものから、鋼鉄の弾丸のようなものが勢い良く射出されたのは、その時である。
どんな強弓より速い弾丸が、霊衛衆に雨あられと降り注ぎ……
「……ふむ。敵もさるものだが、我らの敵ではない」
黒耀は、頭上に象の皮を展開させている。
灼熱した鉄の弾丸は、象の皮に受け止められて、わずかにその表面をゆらめかせるのみ。
「ちょっと!! なんですか、あれ!!」
紫乃若宮が、その黒い巨大な影を見て悲鳴を上げる。
今まで一人の獄卒の死骸につき一つのみだった、鉄の弾丸を射出する塔が、恐らく十人ほどはいる獄卒の背中を跨いで突き破り、並みの数倍もの巨大な鉄の塔となっている。
見た目は、巨大な鉄の塔を、牛頭鬼馬頭鬼が十数人で支えているような有様である。
轟音。
後の時代なら、「大砲のような」と表現されたであろう巨大な鉄の弾丸が、霊衛衆に降り注ぐ。
象の皮が激しく波打つ。
「ちょっと黒耀さん!! この皮、破れるんじゃないですか!? ヤダーーー!!」
紫乃若宮が再び派手な悲鳴を上げる。
「ちっ!! ごんごんうるせえや!!」
白蛇御前が、鉄の塔に向かって、輪を投げつける。
弁財天の霊威の籠った輪は、星のように輝きながら空を飛び、鉄の塔を半ばから寸断する。
名人が切り落とした藁の束のように、極太の鉄の塔は、ずるりとずれて、轟音と共に、灼けた地面に転げ落ちる。
支えていた牛頭鬼馬頭鬼が、脱力したように倒れる。
「……
小さく呟いた綾風姫の経文が、この阿鼻地獄の空中で実体化する。
白く青く燃える巨大な岩山が、突如空中に現れたのである。
それはそのまま落下し、軍団を成していた牛頭鬼馬頭鬼の残骸と鉄の塔の塊を、一気に押し潰す。
大音声と地震。
牛頭鬼馬頭鬼の残骸と鉄の塔を付け加えたモノの群れは、この阿鼻地獄から消えている。
黒耀は、丁寧に合掌し、「呼ばれざる者」の犠牲となった獄卒たちの霊を慰める。
無論、仏道に則った力を与えられた霊衛衆によって始末をつけられた獄卒たちは、おそらくすぐにでも、同じ役目に戻るのだろうが。
「……これだけの犠牲者を出せるということは、榊姫は近くにいるはずだ」
黒耀は、胸にずしんと来る声で、静かに断言する。
「そして、鎌倉殿もそこに」
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