其の参拾肆 榊姫と黒耀の過去

「……そなたが榊姫か」


 黒耀は冷酷に詰問する。


「……鎌倉殿はいずこだ」


 阿鼻地獄の奥の奥。

 炎の岩山の下をくりぬいたようないわやから出て来たのは、髪に榊を挿した、美しい娘である。

 こんな地獄とは不釣り合いはなはだしい、天女のような美しさ。

 だが、目の中に踊る、嗜虐的なぎらぎらした光が、地獄の炎と一体化して渦巻いているのは隠しきれない。


 霊衛衆を、榊姫の配下であろうモノが、十重二十重に取り囲む。

 総勢数十体はいるであろうか。

 人間と牛ににた獣の首が二つ並んで生えている巨体のモノ、透明の管に、両側に人間の男女の顔が付いた紐が通されているような形のモノ、手の甲に目が付いた腕が球状に束ねられたモノ。

 どれも悪夢の産物。

 邪神「呼ばれざる者」の力で変化した、元邪教徒たちだ。


「まあ、怖い。私を殺そうとしていますね? それは罪ですよ?」


 榊姫は澄んだ綺麗な声で、非難を投げる。

 霊衛衆は流石に違和感を感じて眉をひそめる。


「おい、何言ってんだおめえ。邪教を振りまくわ人は殺すわ、しまいに鎌倉殿までさらった奴が命乞いするにもやり方ってものがあるだろうが」


 白蛇御前は、彼女らしくまっすぐに怒りをぶつけたが。


「命乞いなどではありません。私を殺すのが罪だと指摘しているだけです」


 まるで何も見ていないような視線を霊衛衆に投げかけ、榊姫は更に言い募る。


「私たち『呼ばれざる者ども』は、あなた方異教徒に、常に迫害されてきました。正しい簡素な教えを広めているだけなのに、あなた方狭量な異教徒は、それが許せないんですね。哀しい人々です」


 これ以上、罪を重ねない方がいいですよ。

 恐らく心からそう思っているのだろう、祈る仕草で、榊姫はそう告げる。


「自分の邪な欲望を叶えるためにだったら、誰かなるべく悲惨なやり方で生贄にしろ、本尊の『呼ばれざる者』を祀るためには、父母や僧侶の亡骸を穢せ。そういった教えが、『正しい簡素な教え』ですか。恐れ入りますね」


 流石に嫌悪を目に浮かべて、綾風姫が非難する。


「あら、だって、異教徒ですよ? 異教徒はどうなってもいいのは、どの宗教でも同じでしょう?」


 にこにこして返答する榊姫に、霊衛衆はいずれも背筋が凍る思いを味わう。

 こいつは心底、邪教の教えを信じており、そして問答の訓練もしている指導者階級なのだと理解できたからだ。


「あのー……あなた、同じ宗派だったはずのお父さんを生贄にしてますよね……?」


 思わずというように、紫乃若宮が突っ込んだが。


「だって、父は使えない人だったんですもの。それに、『呼ばれざる者』様から、生贄にせよって指示があったんだから逆らえないでしょう? 私は常に正しい『呼ばれざる者ども』であろうと努力しているんだから、当然です」


 恐らくその「使えない父親」の死を悲しんだことなど一瞬たりともないであろう様子が窺えるにこやかな表情で、彼女は平然とそう答える。


「キてるな……こりゃあ、処置なしだ」


 あの白蛇御前が呆れ返っている。

 確かに並みの「呼ばれざる者ども」とは、精神の歪み方の度合いが違う。


「……そなたの宗教的信念に興味はない。それより、道震のことを聞かせてもらおう」


 黒耀は、淡々と、だが容赦ない声音で詰問を始める。


「……そなたらが『大僧都』と呼んでいるのは、道震だな?」


「ああ、そうそう。大僧都から聞いてますよ。あなたでしょ、黒耀って」


 榊姫は、嫌悪に耐えかねると言いたげに、袖で口元を覆う。


「醍醐寺にいた頃に、『呼ばれざる者ども』を迫害して、四歳の子供まで殺したって言うじゃないですか。何たる暴虐。外道ですねあなた」


 鋭い非難の声に、黒耀の記憶が刺激される。


 かつて、阿野全成に醍醐寺を連れ出される少し前。

 その頃京でも、「呼ばれざる者ども」の脅威は大変なものであったのだ。

 まさに、その対応のために生み出されたのが、黒耀のような存在、すなわち「宿仏」を宿し、邪神の因果の鎖を断ち切ることができる「大黒天の化身」だったのである。


 その日、「呼ばれざる者ども」の集会所を急襲した黒耀と道震の前に立ちはだかった邪教徒たち。

 その中に、親に連れられて「邪教の英才教育」を受けている幼子がいたのだ。

 見紫兄弟にも似ていたかも知れない。

 それだけだったなら、親だけ殺害して、幼子は寺に引き取って邪教の教えから抜けさせる訓練を受ける可能性もあったのだが。

 しかし、その子の親と、そしてその集会所の指導者は徹底していたのだ。

 その四歳の子供は、既に「モノ」と融合する処置を施されていたのである。

 人間でなくなった子供は、黒耀たちをモノの力で襲って来たのだ。

 もうそうなってしまえば、人間に戻す術はない。

 モノ化した肉体と霊を切り離し、大黒天の力で往生させるのが唯一、その子が救われる方法である。


 しかし、肉体を丸ごと大黒天の力で消滅させ、強引に往生させた黒耀のやり方を、道震は非難したのだ。

 年端もいかない幼子を殺した。

 他に方法はあったはずだと。


 恐らく、道震にしても、他の方法などないとわかっていたはずだ。

 だが、目の当たりにした黒耀の使う大黒天の力が、彼にかなりの衝撃を与えたのだと、黒耀は彼の様子を見て気付いた。


 結局その集会所は潰し、京の「呼ばれざる者ども」の勢力をかなり削いだ後で、黒耀は阿野全成に引き連れられて、全成の兄源頼朝の元へと向かったのである。


 ――その後、あまりに激動の時代が続き、道震の動向を人づてに聞くことすらなくなっていたのだが。


「……道震は、恐らく我が醍醐寺を出て間もなく、醍醐寺を捨てて『呼ばれざる者ども』に合流したのだな。そこで位階を登り、今や大僧都と呼ばれているということか」


 黒曜が推理を突きつけると、榊姫はにやりと笑い。


「鎌倉で権力にすり寄っていたから、こうなるんですよ!! 幼馴染の大僧都の言葉も、あなたは聞くべきだったんです!!」


 邪教徒特有の無茶な難癖を付け、榊姫は周囲のモノに合図を送ったのだ。

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