其の参拾弐 鎌倉殿

 その小さな人影に、霊衛衆の面々は見覚えがある。


 いや、霊衛衆だけではなく、御所に登ったことのある者なら、知らぬ者はいない。

 更に、姿を知らなくともその名声ならば、日の本の国に知らぬ者などいないはずだ。


「……鎌倉殿……」


 黒耀が呻く。

 そこに小山のようなモノの一団を引き連れて、手に炎を纏っているのは、弱冠十歳にして、第四代鎌倉殿、藤原頼経ふじわらよりつねその人であったのだ。


 公卿の子弟らしく、色白の柔和なかんばせが、今は怒りの赤みが差し、険しいものとなっている。

 不満に口を歪め、端正な顔に苦々しい皺が寄っている。

 子供離れした猛悪さの影。


「鎌倉殿!? いかがなされました、我らでございます、霊衛衆にございます!! 鎌倉殿を御救いに馳せ参じました!!」


 綾風姫が声を張り上げるが、鎌倉殿こと頼経は聞こえているのかいないのか。

 ふん、と鼻を鳴らすのが聞こえる。


「何だよ、この変な皮!? 邪魔だなあ、取れよ!! 命令だぞ!!」


 鎌倉殿が、子供の甲高い声で命じる。

 子供ではあるのだが、流石物心もつかぬ頃より京より乞われて鎌倉殿となった者、威厳は子供離れしている。


「えっ、えっ、ちょっと、これは託宣できませんよ!! どういうことですか!? あの鎌倉殿、これはどういう」


 紫乃若宮があたふたと象の皮の奥に逃げながらも尋ねる。

 鎌倉殿は、形の整った目をぎろり、と彼に向ける。


「霊衛衆。お前らに訊くぞ。お前らの主は、執権か、それとも鎌倉殿であるこの僕か!?」


 誰もが、一瞬言葉を失う。

 難しい問いである。

 御所の仕組みとしては、霊衛衆は第三代執権北条泰時ほうじょうやすときの直属ということになっている。

 それは二代執権北条義時ほうじょうよしときの時に始まった仕組みであり、そもそも霊衛衆発足当時の仕組みとしては、初代鎌倉殿である源頼朝みなもとのよりともの直属という形であったのだ。

 今でも、形式の上では、執権の上に鎌倉殿が存在するのであり、執権に仕えている霊衛衆もまた、鎌倉殿の臣下という理屈。


 実権なき鎌倉殿とはいえ、実権を持つ執権の権威はそもそも鎌倉殿という存在に依拠しているのであり、決してないがしろにできたものではない。

 ただの毛並みの良い子供ではないのである。


「……我ら霊衛衆、執権北条泰時様と共に、鎌倉殿にお仕え申し上げる臣下にございます。その御恩を忘れたことはございません」


 黒耀が、静かな、だが妙に良く通る声で断言する。

 霊衛衆の面々が、はっとした顔で黒耀を振り返る。


「おい黒耀……!!」


 白蛇御前が珍しく声を抑えて黒耀に詰め寄る。

 黒耀本人は、ちょっとした手の仕草で、彼女を制する。


「よーし。じゃあ、この皮を取れ!! 命令だ!!」


 鎌倉殿は、ぐいっとふんぞり返るようにして、改めて命じる。

 黒耀は、まだ象の皮を展開させたまま。


「……その前に、御ひとつ鎌倉殿にお尋ねしたき儀がございます」


「なんだよ、うるさいなあ!! 早く取れってば!!」


 鎌倉殿が、人間の巨大な首が、鎖のように連なった形のモノをけしかける。

 しかし、モノは象の皮の下には近付けず、蛇か百足のようにうねうねするだけである。

 口から矢のように吐き出す極太の針も、象の皮影に入るや、ひしゃげて落ちる。


「……やめよ、白蛇御前」


 輪を投げつけようとしていた白蛇御前を、黒耀が止める。

 がくん、と動作を止め、白蛇御前は黒耀を振り返る。


「でも、黒耀よう、こりゃあ……」


「……しばし待て」


 黒耀は、改めて鎌倉殿に振り返る。


「……鎌倉殿、ご無礼をいたしました。鎌倉殿は、何故そのようなモノにまで、御威光を届かせることがおできになったのですか。我らの見かけたモノどもは、御所であろうとどこであろうと踏み荒らしますが」


 そもそも、モノは人の世の権威であればあるほど、上等な獲物と認識する存在。

 鎌倉殿にかみつきもせず従うのは、よほどの苦労があったものと思われますが。

 黒耀がうやうやしく尋ねると、鎌倉殿は自慢げに鼻の孔を膨らませる。


「榊姫が、僕の臣下になってくれるって、臣従の印にこのモノをくれたんだ。榊姫は、鎌倉の主は鎌倉殿なのに、執権の泰時の方が大きな顔をしているのは根本からの間違いだって言ってくれたぞ!!」


 黒耀を除く霊衛衆三人が思わず顔を見合わせる。

 いくら執権の権威が鎌倉殿の補佐であるという体裁に従ったものだとしても、今のわずか十歳の鎌倉殿が実権を握るなどとは、土台無理な話である。

 執権を排したとしても、また別の補佐を立てねばならないことは明白であり。

 そうなると、その「補佐」というのは、榊姫か、あるいはまさかの道震なのか。


「鎌倉殿。お気持ちお察しいたします」


 幼い頃より、傀儡となるべく連れて来られたかのような鎌倉殿。

 その心の隙間に、「呼ばれざる者ども」の甘い誘惑があったのか。


「しかし、だからと仰って執権様を排除し、『呼ばれざる者ども』の力を借りようなどとは大変な間違いにございます。その代償はどれほどのものになるか。日本国そのもので済むかどうか」


 世界のどこへ逃げても、「呼ばれざる者ども」しかいない世の始まりとなるやも知れませぬ。


「……ゆえに、鎌倉殿……」


「うるさーーーい!! ……!?」


 鎌倉殿が、我慢ならずに声を張り上げる。


 その瞬間。


 鎌倉殿の周囲を取り囲んでいた腕の束のようなモノや、巨大な口の集合体のようなモノが、一瞬で背後に展開した輝く闇の中に吸い込まれ、消えたのだった。


「え……あ……」


 幼い鎌倉殿は、露骨にうろたえ。

 そんな彼のまだいとけない白い首筋に、白蛇御前の戟が突きたてられたのだった。

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