其の参拾壱 道震

 高橋二郎の最期は、呆気ないものだ。

 弁財天の化身である白蛇御前が剣で首を落とすと、逆向きに流れる水の筋のような光の粒に変わって、成仏していったのである。


 これは霊衛衆に属する者なら、一人の例外もなく宿している神仏の加護である。

 通常のやり方で命を失った「呼ばれざる者ども」は、洩れなく「呼ばれざる者」配下のモノに転生する。

 しかし、霊衛衆に手を下されると、彼らに宿った神仏の力で、モノに転生することなく、仏法に沿って往生おうじょうするのである。

 不穏な表現ではあるが、霊衛衆に手を下されることが、「呼ばれざる者ども」にとっては、救いと言えるものなのだ。



◇◆◇



「しかし、黒耀さん。本当に心当たりがないのですか」


 綾風姫が、高橋二郎の往生を確認するや、振り向いて黒耀を問い正す。


「高橋二郎は、この件の背後にいる者のことは、黒耀さんがご存知のはずと言っていました。誰か、ご存命の方で、そういう地位に堕ちている人の心当たりは?」


 問われ、黒耀は重い溜息をつく。

 さしもの彼でも動揺を禁じ得ない。

 しかも、黒耀からすると、まるで心当たりがない。


「……前にも申したが、知己で『呼ばれざる者ども』に堕ちたような者は、みな始末をつけている。愉快だったことではないが、討ち洩らしはないはずだ。霊衛衆になる前の知り合いなど、もう五十年前のこと。今更生きてはおるまい」


 と、白蛇御前が八つの武器をしゃらりと鳴らしながら黒耀の顔を見据える。


「あたしは、高橋の奴が『大僧都』なんて呼んでたことが気になるんだよな。坊主の位だろ? んで、黒耀って、元は京の醍醐寺で修業してて、そこで大黒天を宿したんだよな? そういう凄い修法が伝わっている寺の、今の大僧都って誰だ?」


 黒耀は珍しく激しい動きで首を横に振る。


「あり得ぬ。もしそのようなことがあれば、大黒天から我に伝えられるはず」


 黒耀の言葉は単なる言い訳ではなく、事実そのものだ。

 仏尊の分霊を人間の修行者に封入して生ける仏となす宿仏秘法は、醍醐寺に伝わる修法の中でも秘中の秘。

 そのような重大な秘法を保持する寺の動向は、鎌倉幕府も朝廷も注意を払っているし、何かあれば黒耀の宿す大黒天から黒耀に知らせが届く。


 ただし。

 ……それは正常な修法によって正当な仏尊の分霊を宿した場合のことであり。

 そもそも、寺を出奔して「呼ばれざる者」信仰に身を投じた破戒僧のような者がいても、醍醐寺の外へ逃げ出しただけであり、そこまでの細かい情報は黒耀にも届かぬはずだ。

 つまり、寺に留まっている者が、道を踏み外したということはあり得ぬということになる。


「……あのー。黒耀さん?」


 紫乃若宮が、一通り説明した黒耀の袖をつんつんと引く。


「……でっかい、人に見覚えありますか?」


「……でかい人……どういうことだ、紫乃若宮」


 黒耀は、いささか顔色が悪く見える紫乃若宮を振り返る。

 綾風姫も白蛇御前も、彼の様子のおかしいのに気付いたようだ。


「託宣です。見えるんです。大柄な男の人ですね。若い人……見た目の年ごろとしては、黒耀さんと同じくらいですかね」


 大柄な男。

 年の頃は黒耀と同じくらい。


 黒耀の回想は、遠い昔、醍醐寺でまだ修業していた頃に遡る。

 最後まで、黒耀と彼と、大黒天を宿す修法を巡り候補として残っていた者。

 名を、「道震どうしん」と呼ばれた男。

 一緒に京の街に溢れた餓鬼を退治しに向かったこともある。

 法力は大したものだった。


 しかし。


『なあ。ここまでやらなくちゃいけないのか?』


 あれが、彼との決定的な決別だったように思う。

 阿野全成に連れられて醍醐寺を出る時も、彼は見送りに来なかったのだ。


「……生きているかは知らぬが、少なくともしばらくの間、倒された『呼ばれざる者ども』に同情的だった男なら知っている。大柄で、今もその時と同じ名を名乗っているなら、道震というはずだ」


 彼は、黒耀の素質に敗れて、大黒天を宿せなかった。

 そのことも、彼の心に暗い影を落とした可能性はある。

 本人は黒耀を祝福していたが、その決定後しばらく様子がおかしかったのを、黒耀は知っている。


「その道震って奴……醍醐寺で修業していたんで、大僧都ってあだ名を付けられたのかよ」


 なるほど、と白蛇御前が呟く。


「しかし、引っ掛かるのは、見た目が黒耀さんと同じくらいなんでしょう? 黒耀さんが醍醐寺にいたのは五十年前……恐らくその方が生きていれば七十にはなっているはず。そうなっていないとすると」


 綾風姫が、顔を青ざめさせる。


「ちょっと!! すっごい嫌な予感がするんですけど!! その人、あれじゃないですか。あいつらの中でも珍しい奴じゃないですか!?」


 紫乃若宮が声高に囀る。


「『呼ばれざる者』の分霊を、直接体に宿したっていう、噂のアレなんじゃないですか!? 嫌なんですけど!! そもそもそんなことまでする奴と会いたくないんですけどどうすれば」


 騒ぐ紫乃若宮を見据えながら、黒耀は顔からますます血の気が引いて行くのを感じる。

 一つ一つ検証していって、最後に残った可能性がそれ。

 旧友道震が、「呼ばれざる者」に身も心も捧げてしまったという可能性である。



◇◆◇



 ごうごうと、何かが空を切って飛来する音がする。


「皆の者、寄れ!!」


 黒耀が、頭上に大黒天の象の皮を展開する。

 何か大きな石のようなものが当たって、象の血まみれの皮が波打つ。


「あーーーあ。せっかく術を試したのに。避けるなよ、無礼者」


 甲高い子供の声が聞こえて、黒耀はじめ霊衛衆は、焼け焦げた地獄の岩の向こうを思わず見上げたのであった。

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