其の弐拾捌 黒耀の懸念

「モノが地獄に!? どういうこった!?」


 白蛇御前が、武器を構えながら、疑問を口にする。

 その奇怪なモノが、けけけけと嗤う。


 地獄はおぞましい場所であるが、仏法に沿った、「罪人を罰する場所」である。

 無秩序な暴力とは程遠く、「仏法から見て許しがたい悪とされた者に当然の罰を与える」、すなわち秩序の一部であり、厳正この上ない仕組みである。

 ここにモノが入り込み、野放図な暴力を振りまくことを予告している。

 これは異常事態であり、断じて許されざること。


「やられましたね。榊姫は、地獄を乗っ取る気ですよ。『呼ばれざる者たち』が、一つの荘を乗っ取ったでしょう?」


 綾風姫は、いつでもモノに対応できるよう、扇を構える。


「それと同じように、地獄を乗っ取るつもりだと思います。仏法を損なう気ですよ、榊姫は」


 綾風姫がそう断言するや、例の奇怪なモノが遠くからわらわらと降り立つ。

 霊衛衆の前に降り立ったモノも幾体かあるのだが、大半は、責め苦を与えている鬼たちに襲い掛かる。

 鬼たちはぎょっとしたようで、手にしている責め苦の武器で応戦しているが、モノの炎は地獄の炎と違うようで、轟音と共に炙られて倒れていく。


「……三人とも、しばらくここを頼む」


 黒耀は、印を結び、戦列から一時離脱し、背後の攻撃される鬼たちに向き直る。


「……仏法を損なう者は、除かれねばならぬ。獄卒殿たちを助ける」


 綾風姫と白蛇御前はうなずくが、紫乃若宮はあわあわとしている。


「あーーーもーーー!! ちょっと黒耀さん、早く帰ってきてくださいよっ!! こんな気色悪いモノなんて、私は近づくのも嫌なんですからっ!!」


 渋々と「的中の弓」を構えた紫乃若宮の声に軽くうなずき、黒耀は倒れた獄卒の背を炙るモノに狙いを定める。


「……オン・マカキャラヤ・ソワカ」


 黒耀が大黒天の真言を唱えると、煌めく闇が一気に広がり、そのモノを一瞬で飲み込んで消え去る。

 一瞬である。


「……そう強くはないが、数が多い、か。さて……」


 黒耀は呟き、馬の頭をした獄卒を助け起こす。

 何せ巨体なので苦労したが。


「……オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」


「呼ばれざる者」の炎で焼かれ、仏法の炎では傷つかぬはずの馬頭鬼めずきがが負った火傷を、黒耀の薬師如来咒が癒す。


「ああ、ああ……」


 助け起こされ、馬頭鬼は呻く。


「……獄卒殿。ご災難お見舞い申し上げる。申し訳ないが、しばらく岩陰で休んでいてくだされ。我らがあのモノを始末する」


 黒耀が丁寧に合掌してそう申し出ると、馬頭鬼はぶるると鼻を鳴らし、どさりと罪人の縛り付けられている赤熱した鉄岩によりかかる。

 仏法に沿った炎は、馬頭鬼を絶対に傷付けない。


「阿闍梨殿か。大黒天を宿しておいでだな」


 馬頭鬼は更に鼻を鳴らす。


「少し前に、閻魔大王の審判を受けていない生者が、子供を伴って通って行った。閻魔大王の指令で、追跡の任を任された獄卒が追っているはずだが、この調子ではどうなっているか」


 黒耀は予想していたこととほぼ変わらぬ事態に、改めてうなずく。


「恐らく、その紛れ込んだ者というのは、我らが追っている『呼ばれざる者ども』の一人榊姫。そして連れている子供というのは、さらわれた鎌倉殿に相違ない。我らも追うゆえ、獄卒殿方はなるべくなら手出しをなさらぬ方が良いかと」


 黒耀は改めて合掌し、また新たな獄卒に襲い掛かるモノへ向き直る。

 その二つのモノは、今度は倒れた牛頭鬼ごずきに構わず、赤熱している鉄岩に縛り付けられた罪人を、炎を刃物のように操って解放する。


「いやぁぁぁあああああぁぁ」


 罪人は、喜悦の奇妙な叫びを上げて、岩から身を引き剥がして飛び降り、どこかへ逃げ去ろうとする。


「……ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン」


 不動明王咒を唱えると、飛来した羂索けんじゃくが、罪人を見事に縛り上げる。

 全力疾走していた罪人は、いきなり縛り付けられた衝撃で派手に転倒する。


「……やはり、地獄の秩序を乱すため、罪人を解放しようという訳か。さて、肝心の榊姫はどこに……」


 ひとりごち、更に周囲のモノを片付けようとした黒耀の脳裏に、疑問が点滅する。


 榊姫は、わずか十六だ。

 婿も取ろうという年ごろであるが、世の中のことがわかっている、あるいは大任を任せられるには、いくら何でも若すぎるであろう。

「呼ばれざる者ども」の常識は世の常識とはかけ離れているところはあるものの、いくら何でも子供のような年ごろの娘をこの世をひっくり返そうという大規模な企みの先頭に立てるだろうか?

 子供特有の世間知らずで、大胆な作戦を立てた可能性はあるが、ここまで念の入った計画を十六そこいらの娘が、まだはっきり子供という年ごろの弟たちの力も借りて?


 いくら何でもあり得ぬように思える。

 子供のような年の若者に、そう信は置かれぬのは、「呼ばれざる者ども」とて同じであろう。


 誰か、背後にまだいる。

 黒耀は確信する。

 前から推測していることであるが、恐らく「呼ばれざる者ども」の中で、もっと経験を積んで信のあるそれ相応の年齢の者が背後にいるのではないか。

 それは誰か。


 高橋二郎ということはあり得ぬだろう。

 陽動の実行役が、計画の頭を兼ねるなど聞いたことはない。

 すると、誰か。

 黒耀には思い当たらぬ。

 鎌倉周辺の「呼ばれざる者ども」は、かなり退けられ、雑魚しか残っていないはずだ。

 次々に新手が出てくるのではあるが、そんなぽっと出が、鎌倉幕府をひっくり返し、更には仏法も損なうという大事を任せられるほど経験を積めるものか。

 鎌倉から遠く離れたどこかから渡って来たのか。


 わからない。


 黒耀は、目を眇めて、目の前の阿鼻叫喚に対応しようとする。


「……オン・マカキャラヤ・ソワカ」


 罪人を放り出し、黒耀に向かって炎を噴き出すモノどもを、彼は大黒天咒の一撃で葬った。

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