其の弐拾漆 地獄にて

「ぎぃやぁぁぁああああああぁぁぁ!! だから嫌だったんですよ、地獄なんてぇ!!」


 紫乃若宮が、いつも以上に派手な悲鳴を上げる。

 霊衛衆の目の前に広がっているのは、真っ赤に灼熱した鉄の塊の上に、鎖で縛りつけられた人間が、斧だの鉈だので、身体をぶつ切りにされている様子である。


 見上げるくらいに巨大な――恐らく二丈くらいはあろう――鬼が、目の前で、ひょろ長い感じの素っ裸の男のふとももあたりを、斧で切り落とす。

 それ以前に、その男の横たえられている岩に見えるものは、金属の塊のようだ。

 下から大型の炉の炎で炙られているかのように白熱している。

 無論横たわる男の体は焼け焦げ、異臭と濛々たる煙が上がるが、その男を責め苛む鬼たちは気にも留めていないようだ。


 男は人間の声とは思えないような絶叫を放ち続け、どうにか逃れようとしているが、その鉄岩に結びつけられた鎖は全く揺らがない。

 そもそも、足を切り落とされているので、そこから逃げ出すすべもなくなっている。


 別な鬼が、今度は巨大な鉈で男の右腕をまな板の上の魚のように切り落とす。

 男の悲鳴は更に轟き、鉄岩から更に狼煙のような煙が上がるが、鬼たちは手加減するつもりもないよう。


等活地獄とうかつじごく……地獄の一番浅いところでも、話に聞く以上の凄まじさですね」


 綾風姫が、漂ってくる生きたままの肉体が焼ける煙から、袖で口と鼻を庇う。

 焼け焦げた岩の地面は、火の山の周囲のようで、地獄の炎の熱気は霊衛衆を取り囲む。

 彼らが害されないのはひとえに、神仏の加護を得た者たちであるからだ。

 地獄道に降り立った霊衛衆は、まず最も浅い階層の「等活地獄とうかつじごく」に足を踏み入れたのである。


「しかし、こんなところに鎌倉殿を連れてきて、榊姫って奴はどうしようってんだ? 閻魔大王の審判を受けないと、地獄の鬼は鎌倉殿に責め苦を与えたりしないだろうしな?」


 こんな場所でも、薄物と輝く武器が涼やかな白蛇御前が当然の疑問を投げる。

 こんなところに連れて来られた齢十歳の鎌倉殿の心が心配ではあるものの、鎌倉殿も、地獄行きの審判が下った死者ではない。

 従って、鎌倉殿も地獄の責め苦に害されないはずであるが、それでも地獄に生きたまま引きずり込まれる経験がまともである訳もない。

 早急に鎌倉殿を取り戻し、榊姫を断罪しないことには、この一件は終わらない。

 いや、本当にそれだけで済むのか。

 背後には……


「……そもそも、『呼ばれざる者ども』は、仏法に沿った地獄に落ちることもできぬ。地獄なら、まだ望みはある。遠い未来となっても、もしかしたら他の道に転生できるかも知れないという望みが」


 黒耀は、目の前でとうとう炭となって絶命する罪人をじっと見据えたまま動かない。

 彼の黒々とした水のような目の前で、罪人が再び五体満足の体に再生される。

 無傷の肉が焼かれ、また凄まじい悲鳴が上がる。

 黒耀は続ける。


「……しかし、『呼ばれざる者』に一度与した人間は、仏法に定められた救いはない。死ねば他の道に転生するのではなく、邪神『呼ばれざる者』の力で、奴の手先のモノに転ずるだけじゃ。モノに転生していると言えるかも知れぬが」


「ううん?」


 白蛇御前が戟をしゃらりと鳴らす。


「するてえと、榊姫って奴は、何が目的で鎌倉殿を地獄なんかに? 鎌倉殿は審判を経ていないんだから、地獄に置き去りにしたところで責め苦には遭わないだろう? 奴らの教義を吹き込むつもりなら、仏法の地獄は都合が悪くねえか?」


 黒耀は、暗い水のような目をすっと眇める。


「……だが、地獄の炎の只中に置き去りにされれば、やはり熱い。鎌倉殿は、世俗の権威の頂点にあるとはいえ、我らのように神仏と一体化している訳ではない。鎌倉殿を獄炎で拷問し、逃れたければ『呼ばれざる者』に与せよと迫るつもりやも知れぬな」


 綾風姫が、ぎゅっと袖を握りしめる。


「まずいですね。どのみち早く鎌倉殿を御救いせねば。紫乃若宮さん、鎌倉殿がどちらにおわすかわかりますか? 十歳の鎌倉殿がどこまで耐えられるかも考えないと」


 紫乃若宮は、あっ、あっ、と短い悲鳴を上げながら、地獄の光景から目を逸らしたがっている様子。

 熱い地面からぴょんぴょん跳ねている。


「よりにもよってですねえ、阿鼻地獄の底ですよっ!! 鎌倉殿が危険なのももちろん、榊姫って奴が無事なのもおかしいような気がしますよ。それに……」


 紫乃若宮が、更に言葉を継ごうとした時。


 罪人の悲鳴とはまた違った奇怪な音が轟き渡る。

 霊衛衆がつられて頭上を見あげた時。


「わーーーー!! だから嫌だったんですよお!!」


 紫乃若宮が悲鳴を上げる。


 大音声と共に降りて来たもの。

 見たこともない異様なものだ。

 上がすぼまった、下が丸い、伏せた盃を伸ばしたような奇妙な形は、すぼまった上に、女のもののような化粧をした顔が生えている。

 下に行くほど広い胴体らしき場所のそこここから、呼吸するかのように炎が噴き出している。

 下の丸い部分からも、腕のように長い炎が噴き出し、その勢いで宙に浮いているように見える。


「おい!! なんだこれ、こいつも地獄の獄卒かよ?」


 白蛇御前は、武器を構えて仲間の前に立つ。

 霊衛衆それぞれが、戦に備える。


「……地獄の獄卒ではない」


 黒耀が、手に大黒天印を結ぶ。


「『呼ばれざる者』の手先のモノじゃ。榊姫ばかりか、モノも地獄に引き入れているようだな」

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