其の弐拾陸 鎌倉殿の行方

「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」


 黒耀が倒れ伏す執権、北条泰時に向けて、薬師如来の真言を唱える。

 大医王仏だいいおうぶつとも呼ばれる薬師如来は、全ての病や怪我に苦しむ者を救うという。


 頭から血を流していた泰時は、真言により呼び出された瑠璃色の光に照らされると、にわかに目覚める。

 頭から流れていた血も止まったようだ。


「執権様、ご無事で」


 黒耀が呼びかけると、泰時は黒耀に助け起こされて上体を起こす。


「そなたら、戻って来てくれたか。助かったぞ」


 泰時は、まさかこんなことがあろうとは、と言わんばかりの安堵の吐息を洩らす。

 と、霊衛衆の背後の、旅芸人一座に目を留め。

 これきり派手な、持者と傀儡子と、何故か童子二人という四人組はこの上なく注意を引いたようだ。


「その者たちは何者だ? 何故そなたらと?」


 黒耀は旅芸人一座を振り返り。


「こちらの方々は、観音菩薩と、勢至菩薩の化身の方々にございます。持者の方が観音菩薩の化身の観音丸様。傀儡子の方が、勢至菩薩の化身の青蓮御前様。童子の比羅璃殿と由羅璃殿は、菩薩にお仕えする護法だとのこと」


「なんだと!? 確かか!?」


 泰時は流石ににわかには信じられない顔を見せる。

 無理もないが、今長々話す時間はない。


「我らが『呼ばれざる者ども』に罠をかけられた時に、お救いいただきました。間違いございません」


「それは……このような事態で、十分な礼儀も取れず申し訳ない……」


 非礼にならざるを得ない状況を詫びる泰時に、観音丸と青蓮御前は、顔を見合わせて微笑み、軽く一礼する。


「お初にお目にかかります。観音丸と申します。ご災難でしたね。信用していただけるなら、この騒動収めるのにお力添えをしたく」


「執権様っていい男だね!! でも無事でよかったよ。あたしは青蓮御前。ところでさ、まだ子供の鎌倉殿も見物したいんだけど。もしかしてさらわれたりしてない?」


「ひらりだよ。かまくらどのってどこへつれていかれたの」


「ゆらりだよ。たすけてあげなくちゃ」


 観音丸と青蓮御前、比羅璃と由羅璃が挨拶すると、泰時の顔がみるみる青ざめる。


「鎌倉殿……あの女が鎌倉殿を!!」


 霊衛衆の面々も旅芸人一座も顔を見合わせる。

 観音丸と紫乃若宮の予言の通りだ。


 黒耀が、泰時を底光る目で見据え。


「……執権様、あの女とは? もしや、若い女でしたか? 髪に榊を差しているという?」


 榊姫の風貌は、綾風姫から聞いていたのである。

 泰時は、大きく息をつく。


「……これと交換だといって。モノを引き連れた若い女が鎌倉殿を」


 泰時が指差した部屋の奥の暗がりには、何故か首桶が置いてあった。

 白蛇御前が素早く首桶に近付き、ふたを取って覗き込む。


「こりゃあ……まさかこんなところに」


 呻いた白蛇御前に、紫乃若宮が悲鳴のような声をかける。


「あー!! 何か予想が付きますけど!! 白蛇さん、私に近付けないでくださいね!! 怖すぎますから!!」


「そういう訳にもいかねえよ。……執権様。時実様の御首ですよ」


 白蛇御前が首桶を右手に提げて、泰時の元に持って来る。

 綾風姫が、手の上に幻の灯籠を創り出し、水に浮かべるように、空中に浮かべる。

 周囲がほのかな光で照らされ。


「……時実」


 泰時が、殺された次男の名前をぽつりとこぼす。

 首桶の中にあったもの。

 それは、あれだけ霊衛衆が探し求めていた、北条時実の、持ち去られていた首だったのだ。


「……こちらの奥から、鎌倉殿がお住いの棟でしたね。どなたもいらっしゃらないようです。なるほど、『呼ばれざる者ども』の目的は、時実様の御首ではなく、最終的に鎌倉殿の身柄だったということですね」


 時実様の御首は、霊衛衆を鎌倉から引き離すための餌だったということですね……。

 綾風姫が暗澹とした口調でそう推論する。

 呆然としている泰時を気づかわし気に見るが、あえて言葉をかけない。


 黒耀は、時実の哀れな首に向けて、丁寧に合掌して悼み、観音丸と青蓮御前は、それぞれ比羅璃と由羅璃が首桶を覗き込もうとするのを止めている。

 白蛇御前も流石に手を合わせ、綾風姫も続く。

 穢れが苦手な紫乃若宮は、軽く合掌はしたが、こわごわと離れていく。


「……執権様。おいたわしく」


 黒耀は、最後に丁寧に一礼して時実の首から顔を上げると、泰時に語り掛ける。


「……もし、御許しいただけるのでしたら、鎌倉を観音丸殿たちに任せて、我ら霊衛衆は、鎌倉殿を連れ去った榊姫を追いたく存じます。鎌倉殿を生きたまま連れ去ったということは、単純に御首が目当てではありますまい」


 泰時は、鋭く息を吐いて、姿勢を正す。

 こんな時でも、彼は執権でなければならない。


「そうだな。観音丸殿、青蓮御前殿、比羅璃と由羅璃も、頼めるであろうか」


 泰時の要請に、観音丸は優雅にうなずき、青蓮御前はにかっと太陽のように笑う。


「喜んでお受けいたしますよ。執権様、お疲れでしょう。わたくしどもが鎌倉のモノは平らげておきますので、根を詰められないようになさってください」


「大丈夫。あたしらが来たからには、鎌倉は護られるよ。執権様は、これから鎌倉殿を連れ戻す霊衛衆の人らを待っていればいいからね」


 観音丸と青蓮御前は、それぞれ泰時にだくいらえを返す。

 黒耀にもうなずきを送り、彼は合掌を返す。


「それにしてもさ、榊姫って奴はどこに鎌倉殿を連れて行ったんだ?」


 白蛇御前が、いらだたし気に唸る。


「この世か? まさかまた六道じゃねえだろうな」


「あっそれ!!」


 紫乃若宮が、声を跳ね上げる。


「見えましたよ、鎌倉殿が連れて行かれているところ!! 地獄道ですよ!!」


 鎌倉殿が、地獄に引きずり込まれた。


 その託宣に、霊衛衆全員の顔から血の気が引いたのであった。

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