其の弐拾肆 邪神兄弟の秘密

「うわっと……!! おいおい」


 傀儡の天馬の上で、牙弥は眼下に崩れ行く石造りの砦をまじまじと見つめる。

 黒耀の巨大な暗黒で推し包まれていた砦は、その暗黒が夜空に昇って消え去るのと同時に崩れて行く。


 牙弥はつい今しがた、光の玉に導かれて砦を脱出し、青蓮御前にあれよという間に天馬をあてがわれて、安全な上空に逃れたのだ。


 大音声と共に、山の斜面に食い込むように建てられた砦が、巨人の槌に一撃されたかのように崩壊していく。

 一部で山崩れが起き、月光の下で、斜面を石と緑の樹木を巻き込んだ土砂がなだれ落ちる。

 阿修羅族がまだ天部と争っていた時代に作られたという砦は、土砂と混じり合って、山裾に流れて停止する。


「うわあ、やるねえ、お坊さん!! これで、邪教徒の兄弟って奴らは死んだかな?」


 青蓮御前が物騒なことをのたまいながら、瓦解した砦の残骸を月光の下に見る。

 彼女も牙弥と同じく、傀儡の天馬に乗って空に浮かんでいる。


「……我だけの力ではない。観音丸殿のお力添えあってのこと」


 黒耀はやはり天馬にまたがり、静かに眼下の惨状を見下ろし、何事か起こることを予期している風情。


「あっ、でも、わかりますよ。あいつら死んでないですよっ!!」


 やはり傀儡の天馬にまたがり、ついでに比羅璃を鞍に乗せた紫乃若宮は、あっさりよろしくない予言をする。


「無傷です。砦にいたのは、三姉弟のうち、下の男兄弟二人だけですねえ。なんでしょう、嫌な予感がしますよ?」


 ぴよぴよさえずりながら、紫乃若宮は天馬の上で怖気を振るった仕草。


「ええ、そうです。三姉弟の、姉姫の榊姫はこの砦にいなかったようです」


 やはり天馬にまたがる綾風姫が、軽く溜息を吐く。


「ついでに、時実様の御首もこの砦にないようです。恐らく榊姫が持っているので間違いないと思いますが、するとその榊姫はどこにいるのか」


 鋭いまなざしで闇を見透かす綾風姫は、ぎゅっと眉根を寄せて考え込んでいるよう。


「そもそもだな。時実様の暗殺を企んだのは、その榊姫なのか? 若くても『呼ばれざる者ども』の間での地位が高いって言うんならあり得るが、時実様の御首一つのためにここまでのことを?」


 白蛇御前は全く納得がいかないようで、天馬の鞍の前に由羅璃を乗せたまま、難しい顔をしている。


「あなた方が追っておられるのは、執権様の殺されたお身内の、奪われた首。そうですね?」


 観音丸は優雅さを崩さぬ態度で、やはり天馬にまたがって首を傾げる。


「しかし、そのお陰で、あなた方、鎌倉の護り霊衛衆は、鎌倉どころか人界を離れているのです。執権様もそこまで気が回らなかったのは無理もないとはいえ、危ういですね?」


 観音丸の言葉に、霊衛衆は思わず顔を見合わせる。

 執権の息子の首が奪われるという衝撃的な事件のせいで、彼らは本来の守護地・鎌倉を遠く離れることになった訳だ。

 しかし、それは鎌倉を霊的に手薄にするという、危うい賭けでもあったのだ。

 鎌倉には、紫乃若宮の姉が祀られる鶴岡八幡宮を始め、幾つもの寺社仏閣はあるが、もっとも効果的な守りは霊衛衆だという事実に変わりはない。

 しかし、今、その霊衛衆は鎌倉から引き離されている……。


「……もしかして」


 綾風姫の顔は、月下でもそれとわかるほど青ざめている。


「この事件の首謀者は、もちろん実行した高橋二郎でないことは明らかですよね。奴もどこへ行ったのかがわかりません。もしかしたら、我らは六道に誘い込まれたのではありませんか? 時実様の御首を餌に、鎌倉の護りを薄くさせるのが目的なのだとしたら? 首謀者は榊姫だったとしたら、奴は今頃鎌倉に……」


 霊衛衆の間に音もなく戦慄が奔る。

 黒耀は、紫乃若宮に更なる託宣を求めようと……


「へえ。賢いね、流石鎌倉の護り」


「ねえさまも、あまいんじゃないかなあ」


 不意に空中から声をかけられて、霊衛衆と旅芸人一座は顔を上げる。


 そこには、奇怪な鎖と鉄棒を繋ぎ合わせたような妙な乗り物の上に、またがった鬼取丸と旗丸が構えている。

 と、霊衛衆の視界を、巨大な旗が……


「オン・マカキャラヤ・ソワカ!!」


 黒耀の呼び出した輝く暗黒が、広がった邪神の旗を一瞬で飲み込み、消滅させる。


「へえ。このくろしょうぞく、つよい」


 旗丸がきゃらきゃら笑う。


「鬼取丸と旗丸の兄弟です。妙な旗を使うのは弟の旗丸」


 綾風姫が、早口で説明する。


「じゃあ、そろそろ死になよ、霊衛衆」


 妙に柔らかい声だが、凶悪そのものの言葉を投げかけ、鬼取丸は空中にきらきら光る無数の刃を呼び出す。

 太刀より大きく、薙刀より長い刃が、轟音を立てて霊衛衆と旅芸人一座に降り注ぐ。


「甘いですね」


 綾風姫は、輝く網を呼び出す。

 繊細な鎖を編み上げてできた、帝釈網に似た網は、刃を一つ残らず絡め取り、そのまま氷が火に触れたように蒸発させていく。


「幻を現出させる術で、私に挑もうなど」


 綾風姫は、その巨大な輝く網で、邪教徒兄弟を取り囲む。


「ま、あたしにも見せ場をちょうだいよ」


 歌うような調子で口にしたのは、青蓮御前である。

 手に、何か持っている。


「青蓮御前さん……?」


 綾風姫はじめ、霊衛衆がきょとんとしたのを、彼女は面白そうに。

 手にしているのは、瑠璃を削り出したかのような、見事な碧い水瓶である。


「清めて」


 青蓮御前が命じると、その水瓶の口から、まるで湖の堰が決壊したかのような大量の水が溢れたのだ。

 それは、巨大な龍のようにうねり、あっという間に邪教徒兄弟を飲み込む。

 碧い光が、自ら動くかのような水の中から放たれる。

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