其の弐拾参 聖なる暗黒

 その童子たちは、モノが護る砦の門の前に、唐突に現れる。

 放棄された砦の周囲の緑はひたすらに濃く、この夜半では、闇を抱え込んでいる。

 月が煌々と照らすも、荒れた砦の影は深い。

 ぎょろぎょろと目の無数に生えた胴体のようなモノは、目から奇怪な光を放ちながら、幾つも折り重なるように童子たちに……。


 童子たち、比羅璃と由羅璃は、歌いながら踊り始める。



 瑠璃の浄土はいさぎよし 月の光はさやかにて

 像法ぞうほう転ずる末の世に あまねく照らせば底もなし



 笹の枝を振って踊る童子たちの目の前で、冒涜のように不気味なモノが消える。

 正確には、童子たちの歌声に触れた途端に、砂か塵のような微細な粒に分解されて、夜の空気に溶けるように消えて行ったのだ。

 恒河の砂のような銀色の光の粒に変じて、逆の流れ星のように消える。


「ありがとう。よくやってくれたね」


 観音丸が、砦の前の緑の茂みから、静かに姿を現す。

 比羅璃と由羅璃が彼に飛びつく。


「ひらり、ちゃんとまえたよ。ほめて」


「ゆらりは、るりのじょうどがどんなものかしってるよ。ほめて」


 ぺたぺた子犬のように纏い付く比羅璃と由羅璃を、観音丸はしきりに撫で回す。


「なあ。ちょっと訊きたいんだが」


 白蛇御前が、やはり緑の重なりから這い出す。

不思議な力を持つ童子たちをまじまじと見据えながら。


「このわらべたちは、何者なんだい? 観音丸、あんたが観音の化身だっていうんなら、この子たちは?」


 観音丸はうっそりしたような白蛇御前を見てくすくす笑う。


「わたくしたちを手伝ってくれている子たちですよ。御仏に仕える資格を得た童子たちですね」


 と。

 青蓮御前も茂みの中から歩み出て来る。


「観音丸。牙弥さんの居場所がわかったよ。今逃がしたけど、合流した方がいいよね?」


 観音丸は、うなずいて闇に溶け込むように立っている黒耀に顔を向ける。


「こちらは終わりました。黒耀さん、あなたの暗黒で、この砦を覆っていただけますか?」


 黒耀は、すっかりモノの気配のなくなった、砦に向けて印を結ぶ。

 その姿を横目で見ながら、紫乃若宮が悲鳴を上げる。


「あああ、邪神兄弟が出て来ますよ!! 綾風姫と一緒にいます。助けられますかね……」


 黒耀は、静かにうなずく。


「綾風姫には、我が暗黒が届く。観音丸殿のお力添えがあらば」


 黒耀の唇から、朗々と真言が放たれる。


「オン・マカキャラヤ・ソワカ」



◇◆◇



「うわっと、なんだ!?」


 砦の牢から出た牙弥は、辿っていた廊下の視界が、いきなり闇に飲まれたのに驚き、立ち止まる。

 先ほどまで、壁に備え付けられた幻術の松明が燃えていたはずであるが。


「大丈夫。あの光を追って行って」


 胸元に突っ込んでいた傀儡のネズミが、ちゅうちゅうと指示を飛ばす。

 言われてみれば、確かに目の前に、地上に降りた星のような、銀色の清浄な輝きがゆらゆら揺れて、誘うように前へ漂って行く。


「あれを追いかければいいのか? よし」


 足元が見えないのはいささか不安であるが、牙弥は慎重な足取りで、狐火のように揺らめく光の玉を追う。

 モノが満ちていたはずの砦の内部に、何故かその気配がしなくなっているのを、牙弥は不思議に思いつつも、とにかく脱出することを考える。



◇◆◇



「まっくらになったね、にいさま」


「真っ暗になったな、旗丸」


 その広間は、突如闇で覆われる。

 幻術の灯が掲げられていたはずの広間は、今や鼻をつままれてもわからないような濃厚な闇に飲まれている。

 人よりは夜目が効くはずの、邪教徒兄弟の鬼取丸と旗丸の目をもってしても、一寸先すらわからない闇だ。

 自然の闇ではない。

 今宵は月夜だったはずである。

 砦の窓から、月の光さえ差さない真の闇。

 闇そのものが固体のように、広間に詰まっていると思える。


「人質は逃がさないようにしろよ」


「わかってる……あれ」


 旗丸が、兄の指示で、綾風姫を巻き取っていた旗を引っ張る。

 ずるずると旗が旗丸の元に這って来たが。


「いない」


「ん? どうした」


「にいさま、つかまえてたあのてんぐのおんながいない」


 弟の言葉を聞いて、鬼取丸は舌打ちする。

 差し出された大きな邪神の旗には、何も巻き取られていない。

 かすかにぬくもりが残っているところを見ると、一瞬前まで、霊衛衆の天狗綾風姫は、確かにここに巻き取られていたものであろう。


「……まずいな」


 鬼取丸は、何が起こっていたのか、おおよそ推測する。

 まず、この鼻先も見通せぬ闇を何とかせねば。


「にいさま、このまっくら」


「ああ、霊衛衆の中に、大黒天を宿した坊主がいたからな。そいつだろう」


 鬼取丸は、幻術の炎を呼び出すが。


「……幻術が使えない」


 彼は再度舌打ちをする。

 いつもなら、一瞬で闇を追いやるはずの幻の炎が、全く出現しない。

 あらゆるものが大黒天の聖なる暗黒に飲まれ、動きを停止している。


「どうするの、にいさま」


 つまらなそうに旗丸が口を尖らせる気配。


「まあ、この建物から出るしかない。多分仕掛けてくるしな」


 その時。

 兄弟の頭上で大音声がしたのだ。


 天井が崩れ、瓦礫が雨あられと降り注ぐのを、兄弟は目でとらえることもできない。


 全ては、暗黒の中の出来事である。

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