其の弐拾壱 千手観音
「佉羅王。期限ハ来タ。従属スルカ否カ、答エヲ聞カセテモラオウ」
奇怪で耳障りな口調でそんなことを言い渡す仮面の男に、霊衛衆も旅芸人一座も、そして阿修羅たちも釘付けになる。
「……王よ。この者が王子を連れ去ったという者か?」
黒耀がちらと佉羅を振り返る。
佉羅王はうなずく。
「こいつは我が国とその民を、邪神の尖兵にしようとしている。その人質となったのが、我が息子」
黒耀は要領を得た表情でうなずき、仮面の男に向き直る。
その間に、佉羅王が仮面の男に言葉を投げる。
「我が息子が、本当に無事かどうか判断できぬのでは、交渉には応じられぬ。まず息子を連れて来い」
仮面の男は、金属を出鱈目に組み合わせたかのような奇怪な乗騎の上で笑う。
表情は見えないので、笑い声が聞こえたということなのだが。
「ソナタガ交渉デキル立場カ。息子ノ命ガ惜シクナイト?」
ひゅん、という音がする。
空の彼方から、輝く金属を組み合わせた、奇妙な装置のような、虫のような何かが飛来し、近くの阿修羅たちに襲い掛かったのだ。
流石の阿修羅たちは、武器や魔術でその金属虫を退けたが、それは次々と降って来る。
「わきゃきゃきゃ!! まずいですよ!!」
紫乃若宮が頭上から降って来る金属虫をべしべし振り払いながら悲鳴を上げる。
「これ以上増えたら、総力戦ですよ!!」
「全くな、邪教徒はこれだから!!」
白蛇御前が、八つの武器を振るって、降り注ぎ襲い来る金属虫を退けて行く。
鉤で引き寄せ引き裂き、剣で真っ二つ。
「さあって、と。どうする、観音丸?」
青蓮御前が、手元の傀儡箱から、幾つもの獣の傀儡を取り出す。
それは、見る間に天がける無数の狼となり、金属虫を噛み砕いていく。
「こうするしかないでしょうねえ?」
観音丸は、穏やかに口にして、傀儡の天馬の上で静かに合掌する。
その途端。
淡い黄金の輝きを帯びた、無数のたおやかな腕が、降り注ぐ雨のように、戦場に伸ばされる。
千、いやそれ以上の、輝く聖なる腕が奔流のように下し置かれる。
それは帯びた輝きだけで、穢れた金属虫を蒸発させ、傷ついた阿修羅を一瞬で治癒する。
「ソンナ……!?」
奇怪な仮面の男は、悲鳴を上げる暇もない。
無数の腕に掴まれた仮面の男、技置の体は、一瞬でかすかに光る粒と変じる。
無数の手に護られるように、その光の粒は、天上に昇っていく。
「えっ……ひえっ!?」
紫乃若宮が、何が何だかわからないと言いたげに悲鳴を上げたのも道理。
一瞬の黄金の雨の後は、仮面の男も、金属の虫も、どこへともなく消え去って、残ったのは無事の阿修羅の軍勢と、霊衛衆、旅芸人一座のみ。
「えっえっえっ……今のは、ちょっと!?」
「何だあの腕!? まさか……!?」
紫乃若宮も、白蛇御前もあ善としたのは道理。
黒耀も、仲間の声すら耳に入らないように、観音丸を注視する。
彼は、今まさに合掌を解いた様子。
「……今の
黒耀に詰問され、観音丸は艶然と微笑む。
「何てことのない旅芸人一座の座長くらいの者にも、観音の慈悲が下されることがございますよ?」
無論、観音の慈悲を自在に呼び出せるとなると、それは他者に対する慈悲ではなく、自分の体を操るようなもの。
観音丸は、庇護を得る者ではなく、「慈悲を発する者」だということだ。
いつの間にか、観音丸を取り囲む形の阿修羅たちが、観音丸に向け合掌している。
今の慈悲を垂れたのが誰なのか、彼らには一瞬で判断できたのだ。
「さあ、皆さん」
啞然としている霊衛衆に笑いかけ、観音丸は、自分が誰かを認識した阿修羅たちにも声を張り上げる。
「囚われの王子を助けに参りましょう。私に、考えというものがございます」
◇◆◇
閉じ込められている石室には、高い場所にと小さい窓というか空気穴があるが、そこから差し込むのは、月の光のようだ。
夜である。
空気がひんやりして、夜露の匂いが流れてくる。
ちち、と小さな声がする。
牙弥は身を起こす。
薄く漏れる月光の中に、何か小さいものが見える。
閉じ込められている石室の薄汚れた床に、小さな影。
ネズミだ。
牙弥は、嘆息する。
誰か、人の気配がしたように思えたのだが。
『ねえねえ、そこにいるのは、王子様!?』
急に、妙に陽気な女の声がして、牙弥ははっとして身を固くする。
本格的に床に座り、足に絡んだ足かせを引き寄せて、周囲に人影を探す。
誰もいない石牢に奇怪なことだが、魔術を使えればこのくらいは可能にはなる。
ただ、この邪神の城で、それを行えるのは誰なのか不思議ではあるが。
「誰だ。私は、確かに阿修羅王佉羅が一子、牙弥だが」
声を落として、その「喋るネズミ」に応じる。
『良かった!! 無事なんだね!? あたしたちは、あなたのお父上から頼まれた者でさ。あなたを助けたいんだ』
牙弥ははっとしたが、影を落とす牢屋の柵の向こうに人がいないのを確認し、ようやく返答する。
「しかし、ここは厳重に外から見張られているはずだ。それに、邪神の幻術もかかっている。到底そんなことは」
『大丈夫!! ちょっと待ってて!!』
足先に、ネズミが触れたのを、王子牙弥は認識する。
その瞬間、足に絡まり付いていた足枷が、がしゃりと音を立てて、外れて落ちたのだ。
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