其の弐拾 争いの理由と雪嵐
「……お
黒耀は流石に声に動揺が混じるのを感じる。
「呼ばれざる者」は、護法善神である阿修羅族にまで、その魔手を伸ばしていたということらしい。
低劣な餓鬼や畜生ならまだわかるが、高貴な阿修羅族までその猛攻に曝されているなど、完全に予想外である。
「左様」
阿修羅王である美丈夫・
「天部との争いらしい争いは、もう何百年もない。その代わりここ百年ほど昔から、邪神としか言いようのない者どもが、この世界を荒らしているのだ」
最初は大したことがなかった、と佉羅は続ける。
おかしな生き物が紛れ込んで暴れるくらいで、すぐ抑えられた。
だが、次第に明らかに「呼ばれざる者ども」だとわかる連中が、阿修羅道に入り込んで、我らに戦いを挑むようになった。
正面からくるのはまだ良い方で、あの手この手で我らを害する。
最近もそれがあった。
黒耀ばかりか、白蛇御前も、紫乃若宮もぎょっとしたように顔を見合わせる。
動じていないのは、観音丸と青蓮御前。
そして、二人の童子たちは意味をわかっていないのか。
「……最近あったことと仰せなのは」
「我が息子、
黒耀の問いかけに、佉羅は重い声で応じる。
「そろそろ妻も取ろうという年ごろで、戦えない訳ではない。にも拘わらず、ある日、帰って来なかった。付きの者が血まみれで辿り着き、牙弥が奴らに連れ去られたと」
それまで黙っていた白蛇御前が、佉羅王に思わず問いかける。
「息子さんを連れ去った『呼ばれざる者ども』は、どこのどんな奴だかわかってるのかい?」
佉羅王はうなずく。
「確か、
霊衛衆、そして旅芸人一座も顔を見合わせる。
「仮面の男で技置……知らない名前ですねえ」
紫乃若宮が首をかしげる。
「……佉羅王。仮面とは、どんな仮面かご存知か?」
黒耀が更に突っ込んで尋ねる。
「紙に奇妙な紋様を描いたものを顔の前に垂らして仮面にしている。そちらの紫の衣を纏う方の風体に少し似ている。あちらは白い衣だったが」
思わず、霊衛衆も旅芸人一座も紫乃若宮を見つめてしまう。
「皆さん」
その時、観音丸が顔を上げる。
その視線の先に。
煌めく氷柱が、地面から突き立つのが見えていたのだ。
「皆の者!! 空へ退避されよ!!」
黒耀が叫ぶと同時に、天馬に飛び乗る。
紫乃若宮は比羅璃を、白蛇御前は由羅璃を抱えて天馬に飛び乗る。
旅芸人の大人二人は、わかっていたような仕草でさっさと空に逃げる。
阿修羅族も佉羅王の号令一下、それぞれの天馬にまたがり、空へと舞いあがる。
彼らが全員地面を離れたちょっと後で、恐ろしい氷の嵐が地面を凍てつかせながら通り過ぎる。
分厚い氷の塊が、雷のような速さで地面を駆け抜けていく。
後には、分厚い氷の層で覆われた地面が残る。
「えっ、何ですか、あれ!?」
紫乃若宮がひえっと悲鳴を上げる。
「何か地面を走り回ってます!? 何ですかあれって!?」
「投げ槍の術、用意!!」
しかし、動じていないのは、戦いに慣れ切った阿修羅たちである。
術で輝く槍を出現させ、手の上に構える。
「放て!!」
佉羅王の号令に合わせて、光の槍が雨のように動き回る氷の塊に突き立つ。
奇怪な悲鳴が聞こえたように思える。
「あっ、ヤバイですよ……!!」
紫乃若宮が、天馬の上で更に怖気を振るった声。
「敵の親玉、近くにいますよ。まずここを凌がないと、次々に」
その時、空中に輝く巨大な氷の玉が出現する。
その宝石のような多面体の氷から、青ざめた冷たい光が放たれる。
阿修羅たちと天馬たちが見る間に凍り付き……
「うるせええ!! これでもくらいな!!」
白蛇御前が、八臂の中の一臂で、宝珠を天空に掲げる。
その清浄なる光が、氷の光を押し返す。
氷に囚われようとしていた阿修羅たちと彼らの天馬が解放される。
ギチギチいう音を立てて、分厚い氷の層から、巨大な氷で作ったフナムシのような巨大な生き物が飛び出す。
一匹だけではない。
十匹近い。
それと同時に、強烈な雪嵐が巻き起こり……
「オン・マカキャラヤ・ソワカ」
黒耀の真言が、吹き荒れ始めた吹雪を貫いて、全員の耳に届く。
周囲が宇宙になったかのような一瞬。
と。
地面にあの氷虫の姿はなく。
頭上の氷の塊も、綺麗に消え失せて、本来の輝く太陽が、あたりを以前と変わらず照らしているだけである。
「……相変わらず、凄いなお坊さん」
青蓮御前が、天馬の首をぽんぽん叩きながらそんな風に口にする。
「でもさ、これで敵の大将、消し飛ばしたりしなかった?」
事情を吐かせるとか。
大丈夫?
尋ねる青蓮御前に、黒耀は遠くをみやって目配せする。
「下っ端どもと命運を共にするほど、間抜けではなかったようだ。おでましだ」
「へっ!?」
青蓮御前が黒耀の視線の先を見やる。
空の一角に、ぎらぎら輝く何かが、塊を成して近づいて来る。
霊衛衆も、旅の一座も、そして阿修羅の軍勢も、その方向に視線をやる。
煌めいていたのは、金物を出鱈目につなぎ合わせたようなおかしな乗り物である。
そこに乗っていたのは、紙の仮面を身に着けた、日本の貴人のいで立ちをした、奇怪な男であった。
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