其の拾玖 今様と阿修羅族

 唸りを上げる戦輪を、一行の騎乗している傀儡の天馬は、ひらりと避ける。

 既にどこに飛んでいくのか、わかっているような避け方。


「これが話に聞く、阿修羅の一撃か!? 冗談じゃねえぞ」


 白蛇御前が青ざめた顔で呻く。

 戦の上手だけあって、今の戦輪の威力は一目でわかったのであろう。


「多分地上にいる阿修羅が、あたしらを敵だと認識したんだ。何とか交渉して手を引かせねえと。奴ら、天竜八部衆の一だからな。餓鬼や獣と違って、話が通じるはずだ」


 白蛇御前の言葉に、空の只中にいる黒耀はうなずく。

 それしかあるまい。

 仏法を護る守護神である「天竜八部衆てんりゅうはちぶしゅう」が一である阿修羅族なら、僧侶である黒耀が交渉すれば、かなり優遇してくれる可能性が高い。


 と。

 白蛇御前と紫乃若宮に抱えられて天馬の鞍の前に乗っていた由羅璃と比羅璃が、突然どこからともなく取り出した笹を振って歌い出す。

 今様だ。



 観音大悲かんのんだいひ舟筏ふねいかだ 補陀落海ふだらくかいにぞ浮かべたる

 善根ぜんこん求むる人しあらば 乗せて渡さむ極楽へ



 …… ……

 高い空から見下ろす地上は、静まり返っているようだ。

 次の攻撃の気配はない。


「えっ……ちょっと比羅璃さん、どうしたんですか!? あなた方が歌ったら、阿修羅の方々が静かになりませんでしたか!?」


 自分の鞍の前に乗せて抱えている比羅璃に、紫乃若宮が悲鳴のように問いかける。

 比羅璃は、きゃっきゃっと笹を振り立てて笑う。


「かんのんさまがとりなしたから、あしゅらのひとたちはしずかになったよ」


「えっ」


「ちじょうにおりてきてほしいって」


 紫乃若宮はじめ、霊衛衆は顔を見合わせる。

 観音丸、そして青蓮御前はうふふと面白そうに笑うばかり。


「どうします、地上に降ります? 大丈夫ですかねえ、阿修羅ってほら戦いばっかりしたがる人たちでしょう?」


 大菩薩号を戴く八幡神の子である紫乃若宮だからこそ、天部をも退けることがある阿修羅族の威力を恐れている。


「だが、綾風姫はこの阿修羅道に連れて来られたんだろう? 下の奴らが何か知っているかも知れねえ。無視する訳にはいくめえ、話を聞かねえと」


 白蛇御前は、早くも馬首を下に向けようとしている。


「大丈夫ですよ」


 考え込む黒耀に、観音丸が笑いかける。


「比羅璃が言ったでしょう? 観音菩薩のとりなしがあったんです。今の今様の効果ですかね? 下においでの阿修羅族の方々は、もう我らを敵と思っておられませんよ」


 その後を継いで、青蓮御前がにこにこしながら説得にかかる。


「ただ自分たちの陣地の上を通り過ぎようとした奴をいきなり攻撃するっていうのは、阿修羅族だからこそ変だよね? そう思わない? だって、下の阿修羅族が誰かと戦っているんなら、敵だと確証もない相手に手出しして、更に戦を倍にする訳にいかないはずじゃない? 本来なら」


 気安い口調の青蓮御前の言葉は、しかし、重要な要素を含んでいる。


「下の人たち、何かあったんじゃないかな?」


 その青蓮御前の言葉を聞いた時、黒耀は馬首を巡らせる。


「……下に降りる。阿修羅族の方々に、何があったのか窺うことにする」


 黒耀は更に付け加える。


「……阿修羅族は仏法の守護神。その方々の苦難を見過ごすは、僧侶の不徳」


 黒耀の馬が、急な階段を下りるように、地上への道を辿る。

 白蛇御前も、紫乃若宮も続く。

 青蓮御前、最後に観音丸。


 地上に近付くと、煌めく異国風の鎧を纏う、異形ながら美しい軍団が、そこに待ち構えていたのである。



◇◆◇



 阿修羅族は、天部と戦い続ける宿命を負った魔神であり、その内部から多くの如来、菩薩を輩出している高貴な種族である。


 かつては天部との闘争に明け暮れるのが日常であったが、仏法に帰依してからは、天部はもちろん、りゅう夜叉やしゃ乾闥婆けんだっぱ迦楼羅かるら緊那羅きんなら摩睺羅伽まごらがの各種族と共に、仏法の守護を担っている。

 かつては宿命だった天部とも仏法において和解したはずであり、今更天部との新たな戦いが始まっているというのも奇妙な話である。


「仏法を担う方々よ。非礼をお詫びしたい」


 目の前の、身長が一丈ほどもある巨漢の阿修羅が、黒耀たち……正確には観音丸と青蓮御前の前に跪き、両手を合わせて礼を取っている。

 輝く宝飾品に身を包み、逞しい六臂をいずれも合掌している。

 額には、深い宝石のような色の第三の目が輝く。


 傀儡の天馬から降りた観音丸に青蓮御前、そして霊衛衆の三人は、荒事をいささか覚悟はしていたものの、全く相手に下でに出られてほっとするやらだ。

 比羅璃と由羅璃は、彼らの周りを走り回る。


 巨漢の阿修羅の背後には、男女の、これも一丈はあろうかという巨漢で、六臂を備えた者たちが、頭領と同じように、合掌して頭を下げている。


「……こちらこそ、騒がせてしまい、誠に申し訳ない、尊き護法善神の方々よ」


 黒耀は僧侶の作法で、丁寧に合掌して頭を下げる。

 自分たちに向けられる敵意がまるでないのに、安堵するのと同時に、何かよほどの事情があってあの攻撃になったのだと判断せざるを得ない。


「……我は、人道の僧侶で、黒耀と申す者。八臂の者が白蛇御前、紫衣の者が紫乃若宮、そして、数珠の者が観音丸、頭巾の者が青蓮御前、そして、童子が比羅璃と由羅璃。邪神の一党にさらわれた同輩を探して参ったのだが」


 その言葉に、はっとした顔を上げる、阿修羅族の首領に、黒耀は嫌な予感を覚える。


「我は、阿修羅王が一、佉羅から。我が故郷も、邪神に荒らされたばかりで、あなた方を敵と取り違えのも、それが原因」

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