其の拾漆 辻取
いきなり、霊衛衆の頭上を、あの巨大な象の生皮が覆う。
血を滴らせた生皮は、縁をゆらゆらさせながら、巨大なスズメバチの攻撃を見事に防ぐ。
一見頭上しか覆っていないように見えて、下からも横からも、スズメバチの化け物は霊衛衆に近付けない。
「うわああああ、何か悪い予感がしますよ!! 気を付けて、みんな固まった方がいいです!!」
紫乃若宮が急にそんな言葉を叫び始める。
全員、やや怪訝な顔で彼をちらりと見やる。
どういうことだろう。
「何言ってんだおい。固まってたら、この変な餓鬼を捕まえられないだろうが」
白蛇御前が宝珠を掲げてスズメバチを焼くが、一角が崩れただけで、そのすぐ後を別の一団が埋める。
きりがない。
「そこのあなた」
綾風姫が声を張り上げる。
視線は、象の生皮の端にちらちら見え隠れする、あの奇妙な子供に向いている。
一見、身分の高い家に生まれた子供だとわかる、小綺麗な子供である。
目鼻も端正であるものの、その目は子供にしては暗くぎらぎらしていて、その子供を「子供の皮を被った別の何か」に見せるのに一役買っている。
「あなたは見紫兼徳の次男の、
綾風姫の鋭い詰問に、旗丸と呼ばれたその子供は、ニンマリと不気味な笑みを返したように見える。
「僕のこと知ってるの? 天狗様って何でも知ってるんだね」
旗丸がけらけら笑う。
次いで、何かを呼び込むように、大きく腕を広げたように見えた……のだが。
「つわっ!? 何だこりゃあ!?」
白蛇御前が思わず声を跳ね上げたのも道理である。
旗丸の両腕を広げて羽ばたくような姿勢を取ったその前の虚空から、何かどろどろした色彩がうねるようなものが見え、そこから蛸の腕と虫の肢を繋げたような奇怪なものが何本も飛び出て来たのだ。
それは、象の皮を貫通し、黒耀に襲いかかる。
「……ふむ。このわらべは、『呼ばれざる者』の分霊を宿しているな」
その奇妙な腕を大黒天の暗黒で消し飛ばした黒耀が、静かな声でそう断言する。
彼の声は、低くともはっきり聞き取れるのだ。
「父親を切り捨てても何ともなかったのも道理よ。『呼ばれざる者』とはいえ、神の一柱、その分霊を宿せるとなると、並みの力ではない」
その言葉の間にも、黒耀の聖なる暗黒が象の皮を修復していく。
その向こうでちらと、旗丸が邪悪な笑みを浮かべる。
「僕だけじゃないよ。姉さまと兄さまもあの方の分霊をいただいているよ。で、二人ともどこにいると思う?」
黒耀も、白蛇御前も紫乃若宮も、怪訝な何かを感じ……
「……!!」
霊衛衆の視界の端に、何かが翻ったのはその時である。
それは奇怪な彩色の、大きな旗のようにも見えたのだが。
「綾風さん!?」
「しまった!!」
「!!!」
紫乃若宮、白蛇御前、そして黒耀も振り返る。
とてつもなく巨大な布のような極彩色のひらひらする何かに、綾風姫の全身が一瞬で覆われたのだ。
そのまま、何か巨大な怪物の口に吸い込まれるように、虚空のどこかに、その布ごと綾風姫は消える。
「あー!! 上手くいった!! こんなに上手くいくとは思わなかったよ!!」
げらげら大人のように笑う旗丸は、スズメバチに乗ったまま、霊衛衆から後退しつつある。
まるでもう用なしだというように。
「おいこのこわっぱ、待ちやがれ……!!」
流石に顔面蒼白となった白蛇御前が輪を投げつけた時には、旗丸はもうスズメバチの群れごと高空に舞い上がり、そして一瞬で消えたのだ。
「綾風姫……おのれ……!!」
黒耀が珍しく怒りの呻きを上げるのを、呆然として上空を見あげるばかりの紫乃若宮と白蛇御前は、反応を返すこともできなかったのだ。
◇◆◇
「……あの旗丸なるわらべが我らをまともに相手にしなかったのも道理だ。問題になるのは、綾風姫一人」
すでに生き物の気配のなくなった岩棚の上で、黒耀は、残された霊衛衆の白蛇御前と紫乃若宮にそう告げている。
寒々しい風が、黒耀のたぶさを、白蛇御前の薄物を、紫乃若宮の袖を撫でていく。
「……綾風姫がいなければ、我らはこの先二度と、この畜生道から逃れることはできぬ。生きている限り無為な戦いに時間を費やされる。地獄と変わらぬ」
「ふっざけんなよちくしょう!!」
白蛇御前が叫ぶ。
武器を持ったままの手首で、綺麗な黒髪を掻きまわす。
「そういう訳にもいかないじゃないですか!! あの、わたくしさっきから親に、八幡大菩薩に助けてくれるように呼び掛けているんですよね」
神の子である紫乃若宮は、顔面蒼白なままながらも、気丈に打開策を打っているようだ。
「でもですね、『大丈夫だからちょっと待ってろ』って来るんですよ。どういうことだと思います?」
実際大丈夫な気がしているんですが、これはどういう……
紫乃若宮が言葉を切った時。
岩棚の付け根あたりから、明らかに人の足音が響いて来る。
大人の足音。
そして……これは、子供の声?
「おや、またお会いしましたね。霊衛衆の方々」
山道から姿を見せた四人。
それは、あの見紫荘で出会った旅芸人一座の、観音丸、青蓮御前、そして、由羅璃と比羅璃であったのだ。
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