其の拾肆 餓鬼玉と干し柿
「
綾風姫が、じっと黒耀を見据える。
「確かですか? 何か思い当たったことでも?」
「五十年前にな」
黒耀は、目を伏せ、静かに言葉を紡ぐ。
「先ほどの見紫兼徳と同じような餓鬼に変じた者と戦ったことがある。そやつを創り出したのが、餓鬼玉であった。ある外法師が創り出し、操っておった」
思い出す。
黒耀の、恐らく本格的に命の危機に瀕した戦いであった、あの五十年前の戦い。
「その外法師も、『呼ばれざる者ども』と手を結んでおった。最初は別系統を学んでおったらしいが、すぐに奴らに声をかけられたということらしい。外法が二倍となって、大した敵であったな」
そやつが使役したのが、欲深な人間を餓鬼に変えたもの。
要するに、先ほどの見紫兼徳のような者だったのだ。
黒耀の言葉に、霊衛衆の面々が顔を見合わせる。
「ええと、待ってくださいよ」
紫乃若宮が怖気を振るった顔を見せる。
「でも、その時の外法師さんという人は、まさかまだ生きているということは」
黒耀はゆるやかに首を横に振る。
「いや。そやつ自身は、我が葬った。この手を下し、この世から消えたことを確認した。生きているはずがない」
黒耀の記憶の中で、当時の黒耀としては渾身の暗黒を創り出し、それに飲み込ませて消滅させた外法師の姿が蘇る。
どれだけ修業を積んでも、人の身で大黒天の聖なる暗黒に抗うことなど不可能である。
それに。
「万が一そいつなり、そいつの弟子かなんかの討ち洩らしが生きてたとしてもだぞ? 五十年前だ。寿命は尽きてるんじゃないのか?」
白蛇御前が、怪訝そうな顔で、八つの武器をゆっくり振り回す。
波のような剣呑な光が揺れる。
「直接、黒耀の若い頃の戦いに参加した『呼ばれざる者ども』が生きていなくてもいいのですよ」
綾風姫が、静かに確認する口調で、そう断言する。
「そやつの教えを受けた何者かが、その戦いから離れたところで生き延びていたらいいだけの話です。あいつらのことですからね。そんな有用な教えは有難く使わせてもらうはずです。弟子やその類は、一人や二人ではなかったでしょう。何人生き残ったやら」
綾風姫の指摘するそれは、そもそもその事象のみならず、「呼ばれざる者ども」の性質として、霊衛衆全員が聞き覚えのある内容である。
誰かが思いついた悪だくみは、瞬く間に千人の「呼ばれざる者ども」の知るところとなり、そのうち数百人が実行に移す。
「……するってえと」
白蛇御前が渋い表情を見せる。
「その餓鬼玉ってやつを創り出した外法師の末の弟子かなんかが、同じものを創り出して、この事件に関わっている? 高橋二郎はそいつに使われたってことか」
大体の見当は付いたかもしれんが、詳しくはわからないな。
白蛇御前が形の良い顎をつまんで考え込む。
「……紫乃若宮」
黒耀が託宣の神の御子に顔を向ける。
と。
「あのー、皆さん。なんかこう、お腹が空きませんか? いやな感じの空腹感を感じるんですけどこれは」
全員がはたと顔を上げる。
いつの間にか、周囲……といってもかなり離れたところに、気配を感じる。
この餓鬼道で気配といっても、どこもかしこも餓鬼だらけであるため、特に不審なものではないが、どうもおかしい。
明らかに、数百もの餓鬼がこっちを見据えている。
まるで、弱った獲物が倒れるのを待つ鴉のように。
「おお。そうだな、今何刻くらいだ」
白蛇御前が優雅な薄物の腹のあたりの袷を撫でる。
「いや。そういうことじゃありませんよ、白蛇。これは餓鬼に攻撃を受けているんですよ」
そもそも、私たちが、一日二日食べなかったからといって、こんなに深刻な空腹感を覚えるなんてありえませんからね。
綾風姫が、鋭い鳥の視線を、周囲の物陰に隠れているであろう餓鬼たちに投げる。
「……ふむ」
黒耀が軽く溜息。
彼自身はそう強い空腹を覚えた様子はないが、違和感は感じているであろう。
「ひだる……か。空腹で弱って倒れるのを待っておるらしいな」
「おいおい。気が長い話だな。あたしらじゃ、何百年かかるんだよ」
白蛇御前は露骨にあざける調子だ。
「そんなこともあろうかと!!」
綾風姫は、虚空から何かを掴みだす仕草をする。
自分に付属した専用の異空間に、ものを収納する天狗の術である。
「おっこれは」
紫乃若宮が珍しく嬉しそうである。
綾風姫が取り出したのは、麻袋に詰め込まれた、甘い香りの干し柿である。
大ぶりで、上品に粉の吹いた、いかにも美味しそうな上等のもの。
「清浄な天狗道で作られた、特製の干し柿です。下等な餓鬼の呪いなんぞ退けますよ。さあ」
綾風姫はまず紫乃若宮に麻袋を差し出す。
「いいんですかあ? やった、こういう綺麗な食べ物がいいんですわたくしは」
いそいそ受け取り、特に大きな干し柿を取り出した紫乃若宮に続き、白蛇御前は無造作に手を突っ込んで適当に掴みだし、黒耀は僧侶らしく丁寧に一礼して受け取る。
「さ、多分現世にいれば朝餉の時間でしょうから」
綾風姫が最後に自分の干し柿を取り出すと、いただきます、と口にしてかじる。
霊衛衆が干し柿を平らげた頃には、餓鬼の呪いの空腹はどこかに飛び去っている。
「あ、そうだそうだ、確か高橋二郎の行方でしたね」
紫乃若宮が名残惜しそうに指を拭う。
「なんか餓鬼道から消えている気がするんですけど、どこ行ったんでしょうね?」
怪訝そうな紫乃若宮を、霊衛衆の面々がぎょっとした面持ちで見据えたのだった。
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