其の拾参 見紫兼徳が変じたもの
それは、餓鬼の一種であろうが、見たこともない異様な風体である。
さながら山中の断崖のような巨躯。
赤剥けじみた、膿まみれの表皮。
特に異様なのは、その巨大な顔だ。
まるで虫が食い込むように、幾つも顔に空いた穴に、並みの人間くらいの大きさの、やはり赤剥けの人間のようなものが突き刺さり、垂れ下がってぶらぶら揺れている。
よく見ると、巨大な身体のあちこちがそんな風に死骸が埋め込まれている有様だ。
うめき声が上がっているように思えるのは、餓鬼の凹んだ胸に、まるで口のようなものが見えるからであるが、何故かその大きな穴に、黒々した玉のようなものが埋め込まれてどろりと輝いている。
「ヤダーーー!! もう、ヤダーーー!!!」
紫乃若宮が顔を背けて悲鳴を上げる。
「おいおい。見紫って、餓鬼だったのかよ!?」
白蛇御前が頓狂な声を上げつつ、剣を優雅に構える。
「元がそうだったとは思えませんね。確かにこの方は人間だったはずですが、誰かに何かされたのではないですかね。餓鬼道に入っても害されることがないように、かも知れませんが」
綾風姫が冷静に分析すると、黒耀がうなずく。
「……そういうことができる道具を、見たことがある。その道具を使って、京で騒乱を起こした妖術師ならいた」
霊衛衆の残りが、思わず黒耀を振り返る。
「えっ、ちょっと待ってくださいよ!! そいつって五十年前にあなたがどうこうしたって奴のことですか!? えっ、討ち洩らして生きてたってことですかぁ!? そんなもう、責任取ってくださいよ!!」
涙目ながらも、そう喚きつつ紫乃若宮が弓矢を構える。
餓鬼の、胸の玉がぴかりと光る。
間一髪。
霊衛衆の周囲に、灰色で、血塗れの大きな何かが広がり、その衝撃を受け止めて無に帰している。
血の匂いだが、それは餓鬼道の汚穢なものではなく、神に捧げられた祭壇における匂いのような、恐ろしくも清冽さを含んだものに思える。
「これは……!! 大黒天の纏う、象の生皮ですか!!」
綾風姫が思わずといったように叫ぶ。
象といっても大きすぎるその生皮は、霊衛衆全員の頭上を覆い、巨大餓鬼の攻撃や視線をしっかり防ぎとめているのだ。
戦いの神でもある大黒天の、最大の防御がこの聖なる象の生皮である。
「おおう……久々に見るなこれ」
白蛇御前がニヤリと笑い。
「……向こうからの攻撃は気にする必要はない。一気に攻めよ」
大黒天の護りを表出させた黒耀は、静かな声でそう断言する。
かつてはこんなに上手くはいかなかった戦いを思い起こしながら。
「あっ、ちょっと怖いけど、こういうのならいいんです!! 黒耀さん、ずっとこうやって象さん出したままにしていてください!!」
紫乃若宮が、予言の弓を引き絞り、巨大餓鬼に一撃命中させる。
汚らしい腹のあたりに矢は吸い込まれ、大爆発を起こす。
肉片がばらばらと飛び散り……
「おぎゃええええ!! この餓鬼、どうなってるんですか!?」
紫乃若宮がまたも悲鳴を上げる。
餓鬼は肉片を盛大に撒き散らしたが、その地面に付いた肉片から、やはり顔のない不気味な餓鬼が、何体も生まれて起き上がり、わらわらと霊衛衆に向けてにじり寄って来るのだ。
「案ずるな」
黒耀は動じた様子もない。
何ならば、その小型の餓鬼たちは、大黒天の象の生皮が覆う範囲に近付けもしない。
何かに焼かれているように、象の皮の影の範囲に踏み込もうとしないのだ。
「近寄って来ないとはいえ、邪魔ではありますからね……さて」
綾風姫が、手にした華やかな扇で、緩やかに前方を仰ぐ。
不可思議なことに、貴婦人らしいごく緩やかな扇ぎ方だったはずの扇から、きらきらとした、水晶の細片のような氷の粒子が含まれた極寒の風が、餓鬼たちに向かって吹き寄せる。
押し寄せようとしていた小型の餓鬼たちは一瞬で芯まで凍り付いたようで、見る間に動きを止める。
「さて、どけどけどけーーー!!」
白蛇御前が、今だとばかりに武器を振るって前進する。
剣で撫で斬られた、氷の柱と化していた餓鬼たちは枯れ木のように断ち割られて、そのまま倒れる。
汚穢な血肉も凍り付いて、白蛇御前を汚すことはない。
戟で大穴を開けられ、宝棒で粉砕され、小型餓鬼たちは既に障害物にすらなっていない。
巨大餓鬼が、ぴかりぴかりと、胸の玉から奇怪な光を放ち、更にとんでもない長さの腕を振るって、白蛇御前を捕まえようとする。
「無駄だな!! お前なんぞ、霊衛衆の敵じゃねえ!!」
白蛇御前は既に大黒天の象の生皮の加護を持ち、それらの攻撃をことごとく退けていく。
彼女の剣が一閃、巨大な餓鬼の腕を切り落とす。
足下に彩雲を踏んだ白蛇御前の武器が、綾風姫の極寒の風で凍り付き始めている巨大餓鬼の首を捉える。
斬!!
信じられないような呆気なさで、巨大餓鬼の首が、弁財天の斧で落とされる。
吹き上げる臭い血も、綾風姫の生み出し続ける冷気で凍り付き、黒耀の象の皮で、霊衛衆に危害を加えられない。
地面に首が落ちるより早く、その汚れた血肉は崩壊を始めている。
山が崩れるように、見紫兼徳が変じていたはずの巨大餓鬼は、塵の山と化して餓鬼道の汚れた地面に無造作に降り積もる。
それも消えて行き、瞬きを幾つかする間に、見紫兼徳だったものの痕跡は、全く消え去っていたのである。
◇◆◇
「……ふむ。いささか面倒ではあったが、わかったことはあるな」
黒耀が、象の皮を収めて、生き物の気配のなくなったその一角を眺める。
「黒耀? 何か気が付いたのですか?」
綾風姫が、思わず問い返す。
武器から血を払い飛ばした白蛇御前も、ぱたぱた狩衣から埃を払っている紫乃若宮も、ふと黒耀に視線を集中させる。
「……見紫兼徳をあのようにしたものには覚えがある」
黒耀は、どこかにいる「その者」に視線を飛ばすように。
「……あれは、『餓鬼玉』を使ったのであろう。人間を餓鬼に変える道具だ」
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