其の玖 八臂弁財天
「さあて、ここはあたしの出番だ。そうだろ? お前らの力だと、家屋敷を壊しちまう」
白蛇御前がうじゃうじゃ嫌になるくらいにいる餓鬼どもを見据えながら、一瞬にして、八臂弁財天のあの異国風の薄物を纏った姿となる。
八臂それぞれに武器を持つ輝くその姿は、物騒であるだけに、異様なまでの色香を放っている。
海の風のような爽やかな風が吹き、弁財天そのものと化した白蛇御前の体から、ほのかな金色の光が差し込む。
「そら、お前ら、かかって来な!!」
弁財天そのものとなった白蛇御前が滑るように前進する。
ろくな頭もないのであろう大小様々な餓鬼どもは、まるで光を待ち望んでいた地下牢の罪人のように、白蛇御前に向けてゆらゆら寄って来る。
だらだらと、恐らくは吐き気のあまりよだれを垂らしている巨体の餓鬼に、白蛇御前の戟が突き込まれる。
そいつはまるで最初から灰でできていたかのように、命を失うや目に見えないような細かい何かになって霧散する。
「脆いぞォ!!」
白蛇御前が吼える。
目の前に寄って来た、口から火を吐く黒っぽい小柄な餓鬼を、八臂の中の一つの手に握られた剣で、見事に首を刎ねる。
そいつも一瞬で灰に帰す。
「あのお姿は……弁天様? あのお方は?」
観音丸が目を丸くしている。
「弁財天様の申し子さんですよ。ご存知の通り大雑把な方なんですけど、お力はご覧の通り」
紫乃若宮がああヒマだとばかりに首を回す。
彼と霊衛衆、旅芸人一座が見守る中、白蛇御前の八臂の武器は、まるで漁夫が大群の魚を網で引き上げる要領の良さで、餓鬼どもを粉砕していく。
鉤が顔を髪で覆った餓鬼を引き寄せて切り裂く。
弓矢が柱の上の餓鬼を射抜く。
投げつけられた輪が、壁を成している餓鬼の群れを一気に撫で斬りにする。
舞い上がった白蛇御前の振り上げた宝棒が、常人の二倍はあろうかという巨体の餓鬼の頭を砕き胴体にめり込む。
わらわら近づいて来た、赤子よりも小さい餓鬼の群れを、掲げられた宝珠が強烈な光で焼いて灰に帰す。
戟が炎に焼かれる異臭の餓鬼を貫通し。
剣が、滂沱の涙を流す哀れな餓鬼を袈裟懸けに斬り伏せる。
「屋敷の前は片付いた。屋敷の中に入るよ!! お前ら、ついてきな!!」
あれだけ戦っても全く疲れを見せない白蛇御前が、ぼろぼろの家の戸を押し破り、屋敷の中に潜入する。
「知ってましたけど、凄い……白蛇御前もつまらなそうな戦いは黒耀阿闍梨に任せるものだから、この戦いぶりは久々に見ますね」
綾風姫が、周囲を警戒しながら、黒耀、紫乃若宮に続いて屋敷の中に足を踏み入れる。
領主の屋敷だけあって、かなり豪壮な造りの館なのだが、今は餓鬼どもが食い付いたせいかそれとも他の理由か、ぼろぼろだ。
燃え上がっていないだけ、ましと見るべきか。
明け方の薄明りの中で、屋敷は黒々と広い庭の真ん中に浮かび上がる。
「さ、あなた方も来てください」
綾風姫が旅芸人一座を手招きし、屋敷の中へと共に足を踏み入れる。
観音丸と青蓮御前が、比羅璃と由羅璃を抱えるようにして、屋敷の中へ。
「……私の占いで、領主様に死相が見えたんですけど、こういうことですね」
観音丸は溜息をつく。
「しかし、この餓鬼って一体どこから」
綾風姫は、屋敷の中にもいる餓鬼と戦い始めた白蛇御前を見やり、次いで観音丸を振り返る。
「多分、屋敷の中のどこかに、餓鬼道に繋がる通路を誰かが開いてしまったのでしょうね。そういう術法もあります」
綾風姫が早口で説明する。
「この屋敷の誰かがその術法を使ったのは明白ですが、はて、誰なのか。見紫兼徳様がそんな術を使えるなどということは聞いたことがないのですが」
ともかく、はぐれないように。
綾風姫は、旅芸人一座に気を遣う。
彼らも貴重な戦力。
「おい、どけ!!」
先頭を突き進む白蛇御前が、こんもり山になっている餓鬼どもを剣でひと薙ぎ。
吹っ飛んだ餓鬼どものいた後に残っていたものは。
「うわわ……だから嫌だったんですよお」
潔癖症の紫乃若宮が泣き言を言うのも道理の汚穢でおぞましい光景が広がっている。
ほとんど骨になった死骸だが、恐らく一刻程度前までは生きていたものであろう。
食い尽くされている。
屋敷の異変に気付いて逃げ出す時には遅かったものか。
「……良い布地の小袖だ。ここの奥方か……」
黒耀は、血をべったり吸って元の色がわからなくなった衣装の切れ端からでも、瞬時に身に着けていた者の身分を割り出して見せる。
元は京都の醍醐寺で育てられ、東国に下って鎌倉殿に仕えるようになった黒耀の目は、高貴な者には慣れている。
「奥方が殺されている? すると、領主の兼徳は?」
綾風姫が、険しい表情で惨劇を見据えている。
「なあ。これって、屋敷のどっかに、餓鬼道へ通じる穴が開いてるんだろ?」
廊下の餓鬼を一通り片付けた白蛇御前が戻って来る。
「やったのは、ここに逃げ込んだ高橋なのか? 急に何で? 大人しく隠れていたらいいものを、どうしてこんなことするんだ?」
この分じゃ、見紫も死んでるんじゃないのか?
全く訳が分からないというように、白蛇御前は天井を仰ぐ。
猪武者に思える彼女だが、知識と技芸の神である弁財天の申し子だけあって、頭も悪くないのだ。
筋が通らないことには気持ちが悪いのであろう。
「まあ……最も考えられる線は、わたくしたち霊衛衆が追って来るのを見越したからでしょうけど……匿ってくれた家の者を殺害してまでこんなことをするのは説明がつきませんね。邪教徒なんて生贄が確保できれば何でもいいのかも知れませんけど」
紫乃若宮は、袖で口元を押さえながら推理を吐き出す。
「……おかしい。すると、高橋は誰に命じられて、時実様を殺めたのだ? 見紫ではないのか」
黒耀が腕組みをしたまま、深い色の目を底光らせる。
疑惑が、彼の目の光を強くしている。
「とにかく、見紫兼徳を探しましょう、皆様方。生きているのを確保できれば、かなりのことがわかるはず」
綾風姫に促され、他の面々もまた、その地獄の部屋を後にしたのだ。
◇◆◇
「これは……」
黒耀は、白蛇御前が見付けたその地下への通路を見つけて息を呑む。
屋敷のちょうど真ん中の部屋、恐らく領主の居室。
その床の一部が跳ね上がり。
地下の石室に向けて、黒々とした階段が伸びていたのである。
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