其の捌 餓鬼道

「……これは、まずいことになっているようだな」


 黒耀が、目の前の土気色をした不気味なモノの群れを、容赦なく聖なる暗黒で覆う。

 地上にひととき出現した夜空のようなそれは、饐えたような悪臭を漂わせるそいつらを一瞬にして飲み込み、全きの無に帰す。

 暗黒の去った後には、それまでと同じ、夜明け直前の薄明りに包まれた見紫荘の一角、荘の真ん中近くの辻がしんと伸びているのみ。


「餓鬼ですね」


 綾風姫が、形の良い鼻の付け根に嫌悪の皺を寄せている。

 彼女は、すぐにあの土気色の飢え死にした人間の死骸のような群れが何者だか判別したようだ。


「一体二体ならともかく、これだけの群れとなると、自然に出て来たものではないですね。どこかに餓鬼道に通じる穴があるのでしょう。それがどこだかわかりませんが」


 と、彼女の前で戟を構えていた白蛇御前が、ふん、と鼻を鳴らす。


「妙じゃないか? あたしらは、執権様のご子息を殺めた高橋を追って来たんだぞ? 何で、その高橋がいるはずのところに餓鬼が出るんだよ? あいつ、『呼ばれざる者ども』の一味で、餓鬼ではないだろ?」


 白蛇御前の口にした疑問は当然のものだ。

「呼ばれざる者ども」の本尊、邪神「呼ばれざる者」は、仏道のどこかに属する魔神でもなければ、八百万の神々の一柱というわけでもない。

 今日広く流布した神名ではあるが、どこのものともわからぬ、不気味で厄介な存在なのだ。

 一説には、太古の昔、神々同士の争いに敗れ、黄泉の奥底のそのまた底に封じられたため、世の全てに恨みを滾らせている邪神だと言われるが、それが事実かどうかは誰も知らないというもの。


 つまり、仏の教えに背いた咎で、餓鬼道に転生した奴ばらである「餓鬼」たちとは関係がない。

 無論、「呼ばれざる者ども」も仏道に背いてはいるが、奴らはあくまで仏法の理の中の六道に吸収されるものではないのだ。


 それが、何故。


「まあ、あれですよ。餓鬼と『呼ばれざる者』って、親和性が高そうじゃないですか?」


 ああ薄汚いヤダヤダとさっきまで餓鬼どもがいた地面をひょいひょい沓先でつつきながら、紫乃若宮が口を挟む。


「やり方さえ知っていれば、餓鬼道までの通路ぐらい開けますよ」


 と、彼の更に背後にいた観音丸が、首を傾げる。

 旅芸人の一座もついて来ているようだ。

 青蓮御前、童子二人も後ろにいる。


「若宮様。それって、託宣というものですか?」


 問われ、紫乃若宮はどうだと言わんばかりに胸を張る。


「そういうことですよ。ここに来るや予想外なことばかりで頭を抱えていましたが、これははっきりわかるんですから。あ、あなた方」


 紫乃若宮が背後の一座を振り返る。


「ちょっと、多分あなた方も働いてもらうと思いますよ。覚悟なさってくださいね」


 観音丸と青蓮御前が顔を見合わせる。

 二人のそれぞれの裾を、比羅璃と由羅璃が掴んで眠そうに。

 何故か二人とも手に笹を持っている。


「あー……さっそくこれ?」


 青蓮御前が、辻の六辻の一方、窟山に近い方に伸びる道を指す。

 そこに、ひたひたと沈んだ裸足の足音を立て、近づいて来る人影に見える何か。

 子供くらいの背丈だが、霊衛衆の目には奇妙な影に見える。

 腹のあたりが異様に膨れ、手足は枯れ枝のよう。

 衣服を纏っているようには見えない。


「この道の先、多分領主様の……」


 観音丸が息を呑む前に、童子二人、比羅璃と由羅璃がぱたぱたとその餓鬼に向けて走り出す。


「お待ち、危ない……!!」


 観音丸が声を上げる間もなく、二人の童子は、笹を振り振り、その異様な人影の前で踊り出す。



 仏は常に在ませども 現ならぬぞあはれなる

 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ



 童子らがその今様を謡った瞬間。

 餓鬼の体が、まるで猛火に焼かれたように、灰になって崩れ去る。

 その灰も、地面に付くや否や、さらさらと雪のように消えて行く。


「ほとけさまがおじひをたれたよ」


「あのひとはつぎはどこにいくんだろう」


比羅璃と由羅璃は、きゃらきゃらと笑いながら、走り来て観音丸と青蓮御前に纏い付く。


「……おい、お前ら。このわらべどもは本当に何者なんだい? ただのみなしごじゃないだろ?」


 白蛇御前が観音丸と青蓮御前を振り返る。


「ただのみなしごだよ。私と観音丸で拾った、本当にそれだけさ」


 青蓮御前がうふふと含み笑い。


「今様は、わたくしが教えました。不思議とこういうことができるようになったようで。元々こういうことができる家系の子だった可能性がありますが、その故郷もなくなっているので、何者かは何とも」


 黒耀が、じっと比羅璃と由羅璃、そして観音丸と青蓮御前を見据える。

 静かな、闇夜を映す水面のような目だ。

 何もかもを吸い込むような。


「そのわらべたちも戦力なのは有難いことだ。……この先が、領主の屋敷か」


 行くぞ、と合図して、黒耀はその道を奥へと進む。

 怪訝な顔をしていた霊衛衆たちだが、ここで押し問答をしても始まらないと判断したのか、そのまま黒耀に続いて領主の屋敷を目指す。


「ちょっと何ですかこれ!!」


 領主の屋敷はすぐ見つかった、のだが。

 紫乃若宮が悲鳴を上げたのも道理。


 領主の屋敷だけあって、立派な構えだ。

 しかし。

 屋根も、家の柱も、入口も門も。

 どこもかしこも、作物にアブラムシがたかるように、餓鬼がびっちりと貼り付いていたのである。

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