其の漆 窟からのまれびと
「わたくしどもが、このような山の中に押し込められている理由。それもこれも、この窟の中から、あの方々が這い出て来られるからですよ」
観音丸は、背後の窟の中の暗闇を見据え、溜息をつく。
ずるずると何か引きずるような音は、まだ低く響いて来る。
「おい……何だい、何がいるんだよここ!?」
白蛇御前は、戟を両手に出現させる。
薙刀には似ておらず、銛のように先が三叉に分かれた、曲線的な装飾の施された異国の武器。
「悪いものかどうかはわかんないけどねぇ」
青蓮御前が、箱の中から、木彫りの獅子の傀儡を三体ほど取り出し、そのまま本物の獅子と成す。
馬ほども大きな純白の獅子が、窟の中に向けて牙を剥き、咆哮する。
その間に、観音丸が、寝ていた比羅璃と由羅璃を揺り起こす。
彼らはぱたぱた走り回り、霊衛衆をすり抜けてそのまた背後に隠れる。
「あっ……まずいですよ」
紫乃若宮がごくりと生唾を飲み込む。
「これは窟が異なる国に繋がっているやつですね」
黒耀は、手の中に五鈷杵を取り出して構え、ちらと紫乃若宮に振り返る。
「……紫乃。異なる国とはどういうことだ」
「窟が、現世でない世界に繋がっているんですよ。悪いものどころか尊い方々の国に繋がっているようですが、それが今回はまずい。多分かなりお怒りなんじゃないかな~~~って」
紫乃若宮がはははと乾いた笑い声を立てるのに続き、綾風姫が嘆息する。
「思い出しました。私の生まれ故郷の隣のこの見紫荘にまつわる伝説」
「ほう?」
黒耀は、ゆっくり彼女を振り向き、話を促す。
「……三つ頭の龍の伝説です」
しゃあっ、と何かの激しい呼気が聞こえ。
ゆらゆらする窟の入口の焚火の光の輪の中に、三つの巨大な大蛇の首が、ぬうっと突き出されていたのである。
観音丸が息を呑むかすかな音が聞こえる。
その頭の一つ一つが、人間くらいもある巨大な三頭蛇が、ずるずると窟の奥の暗闇から伸び上がって来る。
森の木々に頭をこするばかりに鎌首をもたげ、五色のきらびやかな角を振り立てながら、霊衛衆と旅芸人一座を睥睨する。
焚火の照り返しに、黄金色の鱗が無数の鏡のように輝き、三つのぞろりと牙の並んだ口から、青白い炎が燃え上がる。
「さあ、お前ら」
青蓮御前が獅子をけしかける。
三頭の白獅子は、さながら猟犬のように、三つの頭それぞれの前に立ちはだかる。
龍蛇が牙を剥き、獅子と対峙し……
「……やめよ、青蓮御前殿。戦ってはならぬ。その方は神だ」
黒耀が、静かな、だがずしんと肚に響く声で命じる。
青蓮御前は青い目をすがめ、黒耀を振り返る。
「でもさ、この人昨日も襲い掛かって……」
「それは、そなたが戦う態勢を取るからだ。恐らく、そなたらは見紫荘の誰かにこの龍神と戦うよう仕向けられた。だから荘の家屋敷でなく、この窟にいた。違うか?」
霊衛衆の面々が、はたと気付いた表情を見せ、観音丸と青蓮御前が顔を見合わせる。
「皆も手を出すな。我が話す」
黒耀の漆黒の直垂が炎の灯りを跳ね返し、複雑な陰影を作り上げる。
彼は五鈷杵を袂に収めて、畏れることなく三頭蛇の前に進み出る。
気が立っているのか、三頭蛇は真っ赤な口を開いて威嚇の声を立てる。
黒耀は、僧侶らしく丁寧に合掌し、頭を下げて神への礼を示す。
「三頭蛇様。我は、真言の阿闍梨で、大黒天の化身、黒耀と申す者。夜分遅くにお騒がせしたことをお詫び申し上げる。どうか、御慈悲を賜りたい」
声明の声が美しく尊いと評判の黒耀の深みのある声が、鎌首をもたげる龍神の耳にも届いたものか。
三頭龍は、礼を取られたことでやや落ち着いたものか、首をゆっくり下ろして、静かに黒耀を見据える。
残り二つの首の四つの目は、霊衛衆と旅芸人一座をしげしげ眺めているようだ。
「三頭龍様、麓の見紫荘の人間たちが、何かご無礼をなしたものか? 実は、我らも不埒者を追ってここに辿り着いたという次第。こちらで何があったのか、ゆっくりお伺いできればと」
黒耀は、改めて一礼すると、背後に向けて目配せをする。
素早い動きで、紫乃若宮が前に進み出て一礼。
「三頭蛇様、ご子息様の方でしょうか? わたくし、八幡神の子で、紫乃若宮と申します。母がいつもお世話になっております」
ほう、というように、三頭龍が首を下げる。
落ち着いて来たと見て、綾風姫が前に進み出て紫乃若宮に並ぶ。
「私は、三貴子の一柱、素戔嗚尊に連なる天狗の一族の一人で、綾風姫と申します。この度は、御料地がどうも不埒者により穢されているらしいとのこと。そのことで鎌倉にも色々と動きがあり、我らもこちらにその原因を除きに参りました」
『ふむ、大黒天の化身に、八幡のところの放蕩息子、素戔嗚尊のところの末っ子か。そして、残るは……白いそなたは何者か』
龍の口から、意外にも聞きやすい滑らかな男の声が響く。
白蛇御前は、はたと戟を収めて前に進み出る。
「あたしは、弁財天の申し子だ。龍神様、あたしのおっかさんの顔を立てて、ここらへんで暴れている『呼ばれざる者ども』について、教えちゃくれないか? 鎌倉でもえらい事件を起こして困ってるところなんだ」
『ふむ』
すっかり落ち着いた様子の三頭龍は、霊衛衆を見回す。
『そなたらが追っている者であろう不埒者は、一刻ばかり前に見紫兼徳の屋敷に入り込んだ者か。まだそこにいるはずだ』
三頭龍のその言葉に、霊衛衆の背中に戦慄が走ったのだった。
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