其の肆 霊衛衆集結のこと

「今が一番暗い時刻ではあるな」


 暗い未明の空の上。

 黒耀は、青毛の神馬の上で、空の風に煽られながら、そんな風に呟く。

 ものの例えではない。

 黒耀はじめ、霊衛衆の四人は、様々な毛色の空飛ぶ馬――神馬にまたがって、件の見紫荘に向かっている。


「神馬ちゃんたちも眠そうじゃないですか。朝になってからの方が良かった……とは言えないんですよねえこれ」


 葦毛の神馬にまたがった紫乃若宮は、すでに何か予見しているようだ。

 月のとっくに沈んだ空は暗く、夜明け前の凝った闇が霊衛衆と神馬に纏い付くよう。

 神馬にまたがり夜空を行く四人の霊威は、見る者がいたならば、それは何かの予兆となる禍々しき威容となったであろう。


「窟山(いわややま)ってのは、目の前のあの山だろう? さて、どうするかな。この時刻じゃ誰も起きてやしないだろうしな」


 白蛇御前が、いつも白糸威の大鎧を纏ったまま、黒々とした山塊を望む。

 またがった神馬も白馬。

 この山と、麓の平野部を合わせて「見紫荘」である。

 昼間であったなら、上空からの眺めは格別であったはずだ。

 この時期なら、紫草の小ぶりな白い花が、地上の雲のように見えたはず。

 ――それは美しくのどかというに留まらない何かであっただろうが。


「山の中に洞窟があるんですよ。祭祀を行っていた、特別な窟(いわや)で、あの山はその窟から、窟山と。そこに逃げ込んだ可能性もありますね」


 もし、あの荘に「呼ばれざる者ども」が入り込んでいるなら。

 その窟も、今まで通りに祀られているかどうか。

 綾風姫は、知恵と知識を恃む天狗らしく、そんな蘊蓄を口にする。

 またがった鹿毛の馬は、背中の翼のある主人を見あげて、ぶるんと鼻を鳴らす。

 何かを感じ取っているのは、何も予言の力を持つ紫乃若宮だけではない。

 天狗の知恵と知識、そして神通力が、彼女に異変を知らせるのだ。


「……窟をまずは探る。山裾に降りるぞ」


 黒耀の号令で、一行の神馬は、闇に沈むその一角に降りていく。



◇◆◇



 後に「霊衛衆」と呼ばれる者どものうち、最初に黒耀と合流したのは、八幡神の御子、紫乃若宮である。


 彼は、修行僧の風体で東国入りした黒耀、そして主の阿野全成の元に、託宣を持って現れたのである。


『おや、お疲れのようですね』


 峠道で、その都人としか思えぬ風体の若者は、くすくす笑いながら黒耀と主の全成の前に立ち塞がる。

 黒耀は、穏やかに主に「御下がりください」と要請する。


『神気を感じる。そなたは』


『ええ、わたくし、八幡神の御子で、紫乃と申します。ところで、そちらの。高貴なお方のお兄様、今、非常に「乗って」おられますよ?』


 黒耀というより、全成がはっとする。


『あなたのお兄様の源頼朝様は、天下を治められるでしょう』


 あなたも、ご加勢なさるおつもりですね?

 それが正しい行動です。

 そちらの、大黒天様を宿仏になさっているお方を差し出せばなお吉。


 山道で繰り広げられたそんな託宣は、その後の鎌倉幕府開府となって成就するのであった。



◇◆◇



 黒耀と紫乃若宮の主が源頼朝に変わり、彼らは「霊衛衆」と呼ばれるようになる。

 彼らの役目は主に、神仏と鎌倉幕府の仲立ち。

 そして、何より、人間だけでは十分対処できない、邪教集団「呼ばれざる者ども」の対処に当たることだ。


 しかし、流石に二人だけでは、勢力としては脆弱に過ぎる。

 どんな強力な神仏の分霊であったとしてもだ。

 そこで、彼らは霊衛衆の一柱となるべき霊威を探しに出たのだが。


『いやあ、これは噂にたがわぬ。素晴らしき霊威じゃごあざいませんか』


 紫乃若宮が、富士川でその女武者を見つけたのだ。

 彼ほどの眼力がなくとも、彼女を見つけることは容易かったろう。


 その女武者は、八臂を持って武器を振るい、敵兵を退けていく。

 弁財天そのもののような薄物を身に纏い、宝珠、剣、戟、鉤、輪宝、宝棒、弓、矢を持って奮戦する。

 まず掲げられる宝珠の神秘の光に、敵兵の大半は萎え、直接彼女と打ち合う者など千人に一人もおらぬ。

 あれよという間に、平氏軍は総崩れ、生き残りは撤退して行き、富士川での戦いは、源氏の大勝となったのである。


『そなたはどなたか。どれほどの御神徳に護られておいでなのか』


 黒耀が、人間の姿に戻った女武者に声をかけると。


『あたしは、清良(きよら)の白音(しらね)。何でも、親が江の島の弁財天に詣でて生まれたのがあたしなんだってさ。周りには白蛇御前って呼ばれてる』


 こうして、白蛇御前が、霊衛衆に加わったのである。



◇◆◇



 その翼のある麗しくも不思議な女が目撃されたのは、三人態勢の霊衛衆が発足して数年経ってから。

 紫乃若宮の姉王子である若宮八幡の祭りのさなか。


「それ」は、突如姿を現す。

「呼ばれざる者ども」が穢れた本尊を転身させて作り出す、邪神「呼ばれざる者」の分霊。


 大祭の人ごみにいきなり出現した、二頭の獣が、群衆を追い立てて……


『さあさあ!! 八幡神のお祭りに、不遜な真似は許しませんよ!!』


 突如、頭上からその怪物に向けて岩が降って来る。

 呆気なく、モノは潰れる。


『おや、あの方が噂の』


『へえ。珍しいね、女の天狗ってあの子かい』


『……行くぞ』


 紫乃若宮、白蛇御前、そして黒耀が、翡翠色の翼の人影に声をかける。


『あなたは』


『高尾山の天狗、綾風姫です。元は人間だったのですが、名前は忘れました』

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