其の参 紫野行き

「執権様、この度は誠に御いたわしく……」


 執権北条泰時の屋敷は、よりにもよって、十六歳の北条時実殺害及び首奪取事件の起こった空き地と隣接している。

 時実は、自邸の裏の空き地で殺害されたのだ。

 黒耀はじめ、泰時に呼び出された霊衛衆の面々、白蛇御前、紫乃若宮、綾風姫は、沈痛な面持ちで、執権北条泰時の前に控えている。

 黒耀が代表してお悔やみの言葉を奏上するも、泰時は手を振ってそれを遮る。

 袖の動きに、彼の近くの灯火が揺れる。


「よい。あれがこのようなことになったのは、一重にあれが、若宮の託宣をないがしろにしたからだ。わしも、どんなことがあっても、誰に呼ばれたとしても、屋敷から一歩も出るなと、もっと言い含めておくべきであった」


 四十半ば、精力的な風貌の泰時も、今は流石に顔に影が差している。

 屋敷の奥から、恐らく奥方だろう、女のすすり泣きが聞こえてくる。


「……若様の御首を奪って行った、あのやり方は、『呼ばれざる者ども』の手口にございます。彼奴らは、人の心の隙を巧みに突いて悪だくみを実行に移します。執権様におかれましては、奴らの手口に乗らず、加担されずおられますよう」


 黒耀の静かでひんやりした声は、感情が読みにくいものの、その奥に強固な信念をうかがわせる。

 流石は真言の行者といったところか。

 泰時は、一瞬はっとした表情になり、苦さを含んだ表情ながらうなずく。


「……それはそうだ。すまぬな、流石にわしも落ち着いてはおられぬようだ」


「下手人の高橋二郎が、『呼ばれざる者』の一党であったのは、まさかの事実でありました。恐らく執権様の近辺に、彼奴らが食い込んでいようということは、若宮が予見していたことでありましたが」


 黒耀が、背後の平伏したままの紫乃若宮に視線を送ると、泰時も彼に視線を送る。


「若宮。高橋は、息子の首を持って、今どこにいるかわかるか。鎌倉からそう離れてはおるまいな」


「いえ」


 紫乃若宮は、公家風の顔を上げて、静かに応じる。


「奴は、モノに乗って、かなり遠くまで逃げ去っておりますね。武蔵国ではありますが……西の、見紫荘(みむらさきしょう)というところです」


「ほう」


 泰時はすっと目を細める。

 と、綾風姫が息を呑むかすかな声音。


「……私の故郷の近くです。今は甥が治めている領地のすぐ隣だったはず」


「ほう……綾風姫、そこはどんなところだ」


 泰時に尋ねられ、綾風姫は一礼して話し出す。


「名前の通り、紫草と鹿革の産出を主とする、さほど大きくない領地でございます。領主は、確か見紫兼徳(みむらさきかねのり)様。私が人でありました頃は、『呼ばれざる者ども』の噂など聞くこともない、穏やかなところだったのですが」


 綾風姫は、優美な翼を畳んだまま、元武家の姫らしく、はっきりした口調で応じる。


「なるほど。綾風姫が天狗に転じた後に、『呼ばれざる者ども』がその領地に入り込んだという訳か。わざわざわしの息子の首をそんなところまで持っていって、邪教の本尊に仕立てる儀式を」


 泰時の濃い色の目が、ごうっと炎を映すように燃え上がる。


「お畏れながら、執権様」


 綾風姫が、更に発言を求める。


「ご存知の通り、邪教の輩、『呼ばれざる者ども』本尊は、人の髑髏です。それも、人としての位の高い方であればあるほど、良いのです。手にかけられた時実様は、その条件に適っておられました」


「とはいえ、あれはまだ十七だが、それでも良いものか。そう大きなことは、まだ成しておらなんだが」


 泰時は、どうにも納得いかないようだ。

 綾風姫は更に言葉を重ねる。


「彼奴らの本尊となる髑髏の条件は、一に智者、つまり、悟りを開いた方。二に、行者、悟りに向けて修業する方、ここにいる者なら黒耀のような者ですね。そして、三に、国王のものが良い、とされております」


「国王、というと……鎌倉殿も危ないということか……」


 円座の上で、泰時は、形の上では主ということになっている、藤原頼経(ふじわらよりつね)にも思いを巡らせている。


「鎌倉殿に限りませぬ。執権様も、この日の本を事実上采配しておられる方。そして、この度非業の死を遂げられた時実様は、その国王の一族のお一方なのです」


 泰時はようやく合点がいったようだ。

 苦々しく笑う。


「息子は、国王の子、王族だったから殺された、と。なるほどな」


 ふうっと、泰時は大きく息を吐く。


「わかった。霊衛衆のそなたらに命ずる。我が子、時実の首を取り返して参れ。邪教の本尊扱いされるようなことがあってはならぬ」


 霊衛衆は、ただちに諾の応えを返す。


「おっと、その前に」


 今まで黙っていた白蛇御前が、とん、と白い拳を床の上に置く。

 そこから出て湧いたのは。


「ほうほう、わしが護れば良いのは、こちらの執権殿じゃな?」


 大きな白蛇に、老人の首が乗っているような、奇怪な姿の何かである。

 しかし、禍々しい気配ではなく、神霊特有のすがすがしい気配を漂わす。

 泰時がぎょっとしている間に、その人首蛇体の神霊は、するすると彼の方に這って行って、触れる直前に煙のように搔き消える。


「あたしは、弁財天の申し子だからさ」


 白蛇御前はにやりと笑う。


「弁財天の使いの、宇賀神(うがじん)を使える。執権様、あんたは安心していいよ。宇賀神があんたを護る」


 泰時は、大きく息を吐く。


「……それでは、執権様。霊衛衆一同、早速見紫荘へと向かいまする」


 黒耀が一礼して宣言し、配下ともども、立ち上がったのだった。

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